二の三
犬沢村の名主の家に着くと庄兵衛という六十ばかりの老人は、蕪を片手に持った侍と、娘婿になるはずだった男を目にし、訝しげな顔をしながらも丁寧に応対してくれた。
「それで、お目付様がわざわざどのような御用でいらっしゃったのでしょうか?」
客間に通されて、妙に慇懃に挨拶をしてくれたと思ったら、なにか役目の筋でたずねてきたと思われているらしい。新次郎はいささかいごこち悪い気分であった。だが、それを訂正しなかった。さきに甚助が新次郎のことを目付と紹介してのもただしはしなかった。そのほうが何かと都合がよいだろうと思われたからだ。
「四年前、馬崎家老の屋敷で奉公していたこちらの娘御が、ご家老のお嬢様と時を同じくして亡くなられた、と聞き及んだのだが」
「はい、その通りで」
「なにか、不審な儀はなかったかの」
「不審と申されましても、さて」と庄兵衛はじっと天井をしばらくみつめてから、「娘はご家老様のお屋敷で息をひきとりまして、ご家老様のほうで棺桶も用意してくださいまして……。不審と言えば、棺桶の蓋はけっして開けてはならぬ、と、ご使者までお使わしになられて、そう厳命されたことくらいでしょうか」
新次郎が部屋の隅につくねんと座っている甚助をみると、むこうもこちらに顔を同時に向けて目が合った。
「ご使者?」
「ご用人の丸岡様で」
「うん、なぜ蓋を開けるなと厳命されたのかな」
「病でやつれた顔を親族に見せたくない、と言うのが、娘の遺言だったそうで。あちら様で釘を打ちつけて、しっかりと閉じられておりました」
「病でやつれた……、何の病だったかの」
「瘧です」
「瘧でそんなにやつれるものかな」
「さて。ずいぶんたちが悪かったと聞きおよびましたが」
「それで、誰も棺桶の中は見ていないのだな」
「はい。私も、土に埋める前に一度娘の顔を見たい気持ちはありましたが、ご用人にきつく言われましたし、通夜から葬儀までずっと立ち会っておられまして、……ですので、無理にもというわけにもいきませんで」
「それは用人が、棺桶にずっとはりついていたように聞こえるが」
「はりついていた、とまでは言いませんが、葬儀が終わるまでずっと……、言われてみれば、確かに、ずっと見張っていたような気もいたしますな」
「用人を見張りに使わしてまで、な……」
庄兵衛の目には、あきらかに新次郎に対する疑念の色が浮かんでいた。それが目付がわざわさ調べるほどの大事か、とでもいうような、目つきであった。
「他には」
「ございませんな」
庄兵衛は、とっとと帰れとでも言わんばかりに、きっぱりと言った。
帰りしなに、庄兵衛が甚助に、いつまでもおまちに未練を残すなどみっともない、お目付に訴えてまで詮索するなどどういう了見だ、と小声で嫌味たらしく文句を言っているのが聞こえたが、じつのところ、あえて新次郎に聞こえるようにささやいていたのかもしれない。
――未練を残すなどみっともない、か……。
庄兵衛のささやく声が胸に刺さるようだった。
――佐保といっしょに働いていた娘の死に、いったいどんな意味があったというのだ。
庄兵衛の屋敷を出て、甚助と別れ、家へと帰る道すがら、新次郎は、いったい俺は何をやってるんだ、といささか馬鹿馬鹿しい気分に陥った。突如現れた、昔の女への未練を断ち切れない甚助という男の妄執に振り回された、という徒労感でいっぱいだった。
――いや、妄執に捕らわれていたのは俺のほうか。
甚助に振り回されたというよりも、逃げた許婚への未練を断ち切れない自分自身の妄執によって動かされたのかもしれない。
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