第一話 事始め

[壱]


 窓から射す朝焼けともに目覚ましの音が部屋全体に鳴り響き、後に静寂にとなる。


(眠たい寒い布団に居たいでも、冬休みも終わりか、いやだな、でも学校へ行かないと)


 彼女は、半分寝ぼけながら、布団から体を起こし、部屋から出る。顔を洗うが冬の水は肌に凍みる。駆け込むようにリビングへ行く。


「おはよう」


 母と姉が穏やかに言い返し、父が気づいた様子で遅れて言い返す。


 私の家族は、朝早くから出る人が多い。よって、皆早起きであり、私はいつも最下位だ。


 いつもと変わらぬ冬の平日。私はすぐにストーブの前に行き、手と足裏を温める。


「今日は起きるがはやいね。」と姉が冗談染みた口調で言う。


「今日学校あるから少し早いよ。」


「でも、私いつも6時起きだから、私と比べたら遅いほうよ。」


 私はムッとするが、大体起床するが7時前かそれ以降だから、言い返すことができない。私は「ほっといて。」と言うしかない。


 手足が少し温まり、テーブルに行き、椅子に座る。テーブルには、母と私の朝食しかない。父も姉も早くに食事を済ませ、出勤通学の時間になるまで各自に過ごしている。父が毎朝の恒例である紅茶を片手に新聞を読む。


 私は同じテーブルでパンとサラダ、コーンスープの朝食を取る。


 母が「そろそろ時間よ。」と父と姉に言う。


「わかった。」と父が無表情に言い、足早に玄関へ向かう。姉も同じように笑顔で返し、父の後を追う。


 母も玄関へ行き、少しの会話をして、二人に「いってらっしゃい。」と言い見送る。かすかに二人の「いってきます。」の声が聞こえてくる。


 私は寝ぼけて「いってらっしゃい。」と母が言うのにちょっと遅れて言う。


 二人を見送ると母は身支度を始めた。私はそれを横目にゆっくりと食べる。少し時間がたち、母が「今日、半日で帰るでしょう。ここに鍵置いとくから戸締りよろしくね。」と髪を留めながら、私の朝食の隣に鍵をトンと置いた。


「母さん、何かあるの?」


「今日ね。会社の事務の人が正月休暇の延長で手伝い頼まれているから、朝から行かなくちゃならいの。たぶん、6時頃には、帰って来れるはずだから。」


「ふ~ん、分かった。」


 時計を見て「もう行くから、戸締りよろしくね。いってきます。」と慌ただしくリビングを後にした。


「いってらっしゃい。」と少し呆然に言った。家には私一人となった。


 今は7時半頃、朝食も食べ終わり食器を台所に持って行き、少し洗って食洗器へと入れた。部屋に戻り学校の制服に着替え、髪を結び整える。いつもなら、母に少し手伝ってもらうが、今日は違う。身支度をする間に登校時間の8時になっていた。 

              

(早く自分で身支度しないとな~)


 学校の用意が整い、時刻はすでに5分を過ぎていた。急いで鍵を持って戸締りをする。


 そして、独り「いってきます。」と言って登校する。


 肌を刺す冷たい空気は、自然と足取りを早くする。私の家から学校までそう遠くはない。歩いて10分ほどの道のりである。


少し歩くと遠くの方で馴染みの声が私を呼ぶ。


「おはよう、もりちゃん。」


「はるか、おはよう。」と返し、小走り。


「今日は、少し遅かったね。」


「ちょっとね、準備に時間が掛かって。」  


「もりちゃん、いつも朝弱いね。」


 私はこの言葉を聞いて、心が小さくなる。


「努力はいつもしているよ。」


「そうかな、小学生の時にも聞いたよ。」


「言ったけ?」と内心苦笑いしながら、こんな感じのたわいない話を登校中に続けている。この会話のおかげで、10分の道のりが、いつも15分ぐらいになってしまう。


 学校に近づくにつれ、人も多くなる。年初めの学校だから、足取りが重く見える。しかし、冷たい空気で少しばかり早く見える。


 中学校の南門を久しぶりに通り、少し湿っている運動場を縦断し、武道場と校舎の間を通って、いつも通りに教室に入ろうと思っていた。


 しかし、私はいつもとは違うなにかを感じた。南門を通り過ぎた後、武道場と校舎の間にが見えた。私は少し戸惑ったが、何だろうと思った。


「どうしたの?」


「いや、何でもない。それでどうなったの?」


「あっ、それでさあ…。」


 私はそれに気を取られ、親友の話が頭に入って来なかった。


「ねぇ、聞いてる? お~い、もりちゃん。」


 私は、ふっと自分に戻った。


「ごめん、聞いてなかった。」


「まだ、寝ぼけてるの? 私の話そんなにおもしろくなかった?」


 少しご立腹した様子だった。


「ごめん、なんかぼっーとしちゃって。」


「あるよね、そうゆう時、特に技術の先生とか。」


「確かに。」


 私は笑いながら返したが、彼女は気付いていない、それどころか周りの人も気づいていない様子だ。不思議に思ったが、徐々にへと近付いて行く。そして、武道場の正面を過ぎ、隣の銀杏の木の近くの道端に『何か青く光るもの』の正体があった。


 私たちはその前で立ち止まった。


「なんだろう。みたいだから、お守り? 誰かの落とし物かな?」


 はるかが不思議そうにそれを見つめる。


「多分そう、とりあえず、職員室に行って、届けよ。」


 私は正体がわかり、内心ほっとした。青く光っていたのは、光の屈折で私にだけ見えていただけとそう考えた。


 私はそっと、を手に取った。その瞬間、奇妙な感覚が全に走った。しかし、私は気にも留めず、一年昇降口へと二人で歩いた。




[弐]


 職員室の前には落とし物を陳列棚がある。


 私は、その中にを入れ、先生に挨拶をしつつ、自分たちの教室へ行く。


「じゃ、またね。」


 はるかがいつものように別れを言う。


「うん、またね。」


 一年昇降口の階段の前で別れ、私は笑顔で返す。私の教室は一階だが、はるかは二階にある。


 私は寒い教室に入り、挨拶をしながら自席に着く。時刻は8時20分前後、教室には多くの人が朝の準備や友達との久しぶりの会話を楽しんでいる。


「おはっよ、もりちゃん。」


 と聞きなれた元気な声ともに私の両肩を持った。私はスッと振り返った。


「りんちゃん! 新年あけましておめでとうございます。」


「そっか、年明けてるもんね。こちらこそ、新年あけましておめでとうございます。」


「テンション高いね~ 冬休みどうだった?」


「もりちゃん、聞いてよ。冬休みの間にさぁ~……」


 彼女と話していると続々、人が私の周りに集まってくる。みんな、冬休みの間にいろいろ話したいことがあったらしく。


 私は聞き手で上手に会釈する。そうこうしているうちに、始業のチャイムが迫り、担任と副担が教室に入る。


「はよ、席着きや~」


 担任が催促する。そして、チャイムが鳴り、室長が起立と言い、朝の会を始める挨拶をクラス全員で行う。それが終わると担任が言う。


「皆さん、新年あけましておめでとうございます。今年はあと3か月程度の担任ですが、よろしくお願いします。先生ね、冬休みは……」


 担任は技術科目の先生である。優しい声でいつも口調がゆっくりと話し、おまけに余計な話が多いことから、ほとんどの人がぼっーとしてしまう。私も例外ではない。


「皆さん聞いていますか。で今日の予定の事ですが…」


 担任が一通り話終わり、「種田先生、何かありますか。」と朝の会の決まり文句を言う。


「今日の放課後に国語の冬休みの宿題を提出してください。遅れは認めません。」と強い口調で全体に呼びかける様に話す。


 やはり厳しい。種田先生は、このクラスの副担で国語科の先生である。若い女性でありながら、テストや提出物に厳しい採点をつけることから、多くの人が内心嫌っている。私はきっちりとやっており、先生とも仲が良いからそんなことはなかった。


「じゃ、朝の会を終わります。」と担任が淡々としめる。


 室長が起立と言い、挨拶して朝の会は終わった。そして、皆はぞろぞろと体育館と向かった。


 体育館に行くためには途中、職員室を通る。私は友達としゃべりながら、ぱっと、陳列棚を確認した。私が置いた所にはなかった。


(誰が取りに来たんだと)と少し良いことしたと内心安心した。

  

 体育館に入って、クラスごとに列に並び、先生たちが生徒の話し声を注意して、始業式が始まった。校長のよくわからない長い話を聞かされて終わった。各学年、順番に体育館を怠そうに出て行く。


「校長の話、なに言ってるか、わかった?」かりんが共感したそうに言う。


「えっ、全然、わかんなかった?」


 私は困惑気味に答えた。


「そっか、なぎさんはわかった?」


「私もよくわからなかった。」


 職員室前の廊下は、一年生でごった返している。突然、私は立ち止まり悪寒に襲われた。


 立ち尽くしたまま、なぜか廊下の先を見つめた。が見える。形が定まらず、ふわふわと動き、何かを探しているように見える。


「どうしたの?」と友達が私に呼びかける。しかし、私には聞こえなかった。


 私には意味が分からない。黒い物は私の方を向き、目が合った。は獲物を見つけたかのようにこっちへ向かって来る。私は逃げようとしたが、体が動かない。犬が走る様な速さで向かって来る。私は焦った。(どうにかして、あいつから逃げないと)


 私の左肩に何かあるのを感じた。私はそれを確認するため、左に顔を向けた。


「ぷにっ」


 私の左頬に人差し指が突いた。


「なに、ぼっーとしているの? 何か見えるの?」


 かりんが人差し指で左頬を抑えながら不思議そうに見つめる。


「ねぇ、大丈夫、熱でもあるの?」


 なぎが心配そうに言う。


 私は驚き、少し安心した。


「大丈夫、大丈夫、ちょっと考え事してて。」


「突然、立ち止まるからびっくりしたじゃない!」


 なぎはため息をつき、少し呆れ気味言った。


 私はを見たせいで、人の流れは少し詰まっていた。


「早く、教室に戻ろ!」


 かりんが早く戻りたそうにしている。


「うん、そうだね。」


 私は慌てて言い返し、違和感を持ったまま、雑踏の中、教室へと向かった。




[参]


 今日は本当に不思議な事が多い、私だけ見える青い光や始業式終わりの謎の黒い物。まるで、何か憑かれている様で気がしない。幸い、学校が半日で終わる。家に早く帰ってゆっくりと過ごそうと思った。


 そんな事を考えている内に、下校時間直前となった。


「はい、皆さん!冬休みの宿題を前に提出してください!」


 種田先生の声が教室に入るともに響く。雰囲気が変わり、友達との会話が消え、緊張感が走る。


「うっとしい」


 そんな小言がどこからか、小さく聞こえた。


「もう一回言います。冬休みの宿題を……」


 私はちゃんと宿題を終えている。他の人は知らないが…


「あっ、ない。」


 かりんが何かに驚いた様子だった。


「あれ? 今日の朝、入れたはずなのに?」


 まあ、あの子は時々そういう事がある。


 終わりの会が終わり、昇降口前ではるかを待つ。時間が経つにつれ、人は減って行く。


「遅いな~。」


 もう20分近く経過する。昇降口には、ソフトテニス部員と今から帰宅する数人しかいない。私は早く帰りたいが心配になり、校舎に戻り、はるかがいると思う二階の教室へと向かう。




[肆]


 階段をゆっくりと上る。少しずつ空気が変わる。冬の寒さとは違う、奇妙な空気感。一段上がるごとに重々しくなる。私は引き返そうと思った。


 しかし、親友であるはるかをほって行くことはできない。二階へと辿り着いたが、誰もいない。教室も覗いたが鍵が閉まって、誰もいない。


(あれ、おかしい?)


 私は上の階も見ることした。上に行く程、違和感を抱く。三階も二階と同じだった。少し考え、私の脳裏に或る事が浮かんだ。


(もしかしたら、英語の課題提出に行ったのかもしれない。英語の授業はこの校舎の四階で行われるし……)


 私はそう思い、更に階段を上った。四階に着いた時には、体が重く、息切れするほどになった。私は風邪でも引いたかと思った。四階の踊り場から右に曲り、手前のA教室を見る。


 A教室は開いており、冬休みの宿題がロッカーの上に置かれていたが、誰もいない。私は隣のB教室も見ることした。


 あまり頭が回らない。隣の教室に行くはずなのに、遠く感じる。足取りが不安定になり、教室側面の壁を手で支える。


 ゆっくりと進み、B教室の扉が見えた。扉の窓から、立った人影が見える。私ははるかだと思い、思わず声に出し呼んだ。


「はるか……」


 しかし、応答はない。私はB教室の扉を引き、覗き見るように入った。窓が開いているのか、冷たい風が教室内を入り込み、机と椅子が散乱している。

 

 中央の窓際に居る人影に視線を向けた。だった。開いた窓の前で立ったまま遠くの何かを眺めている様子だった。私ははるかにゆっくりと駆け寄り、声を掛けた。


「はるか、どうしたの?」


 気付いたようにゆっくりと振り返った。同時にみたいな物が背後に見えた。 

 

 私は焦り、一歩後ろに下がった。彼女の目は虚ろで無言のまま、私を見つめる。


「ねぇ、大丈夫? 何かの冗談? 早く帰ろ。」


 私は彼女に呼びかけるが、反応がない。背後にあるは次第にへと姿を現し変化した。


 私は震えた。廊下で見た物と同じ物だった。

 

 ゆっくりと教室の扉へと下がろうとした。

 

 黒い物は私を見た瞬間、私の方へと一目散に向かって来た。

 

 


 しんどい中、教室を飛び出し、階段へと必死に逃げた。黒い物もその後を追う。走っている内に私は混乱した。


(廊下で見た黒い物、追いかけて来る黒い物)


 私の中で理解できない事が多すぎる。


 そのせいで、だんだんと意識が遠のいて行く。階段を下り始めた時には、私は死を悟り、目の前が真っ暗になった。




[伍]


 『


 私にこのような哲学が支配する。私は死んだみたい。ふわふわと浮かび、天国へ導かれる。すると、赤ちゃんが抱かれるように、淡い青に包まれたのを感じた。それは偉大で優しく、心を穏やかにする。


(ああ、ここが天国か。)


 そう感じた。そう感じるしかなかった。


「早く起きよ。」


 どこからか、声が聞こえる。しかし、死んだ私には関係ない。



 さっきから、意味が分からない。


(私は家族を残して死んだ。これほど親不孝な人はいない。)


 私はそう思ううちに心が苦しく、悲しくなった。


(思えば、死んだ日は不思議な事が多かった。多分これが死期の合図だったかもしれない。)私は天寿を全うしたと感じた。



 同じ言葉が聞こえる。天寿を全うした私は無敵だった。天国にいるから暇つぶしで聞こえる声の意味について考えた。


(『玉』ってなんだろう。私の魂のことかな?それも生前に拾った『勾玉?』まあ、死んだ私には関係ない。じゃあ、『闇』は私が死ぬ前に出会った『黒い物?』そもそも、『死に至らぬ』ってどうゆう事?)


 考え続けていると、意識が朦朧とし始める。



 また、同じ言葉が聞こえた。


 そして、私は目を覚ました。四階と三階の階段の踊り場でうつ伏せになって倒れていた。体は重く、少し頭痛がし、すぐに起こすことは出来なかった。


 私は生きていることに安心し、ため息をついた。そして徐々に天国の事について思い出した。


 だが、頭が痛くはっきりと内容が思い出せない。気のせいか、スカートのポッケトに重みを感じた。私はすぐにその中を探った。右ポケットから、石の様な固い感触があり、ゆっくりと取り出す。


 それは私が拾った『』だった。


「死に至らぬ。玉を持ち、闇を討て」


 瞬間、私の脳裏にこの言葉が過った。だが、理解ができなかった。


(例え、玉がこの勾玉だったとしても、闇を討てとはどうゆう事?)


 ふっと四階の方を見た。追いかけて来た黒い物はいない。

 

 私は立ち上がり、再び四階へと上がることにした。正直怖い。だが、親友を見過ごす事ができず、足を動かした。不思議と誰かに守られている様な感覚がした。




[陸]


 少しずつ一段、一歩ずつ慎重に進む。いつ、あの黒い物が現れてもいいように警戒してゆっくりと進む。そして進む度に心臓の鼓動がドラムを叩くみたいに小刻みに大きく早くなるのを感じる。


(落ち着け、落ち着け、あれは夢。はるかを呼びに行くために上に行くだけ)


 心におまじないするに唱え続けた。


 階段を上り終え、そっと教室のある右側を覗いた。しかし、いつも廊下の風景であり、黒い物はいなかった。ゆっくりと左足を出して廊下を進む。


 教室、廊下、左から見える窓の風景、いつもと何ら変わりない光景なのに異様な感覚がする。A教室の最後の扉が近づき、B教室の扉が見えてくる。


(落ち着け、落ち着け)


 恐怖心と友情が混じり合い、体が震え、何も考えていない。ただ足が少しずつ確実に進んでいる。ゆっくりとゆっくりと、周りの時間が止まっている様な気がするほど、進み続ける。


 私は気が付くと教室の扉を立っていた。B教室の扉窓を覗くと、外窓に立つはるからしき人影が見え、ゆっくりと扉の引手を取ると重みを感じた。


 しかし、私は人影に視線が行き、それに気に留めることはなかった。


(あれは夢。これが現実。はるかはここにいる。恐れることはないはず、私の親友だから)


 覚悟を決め、重い扉を優しく引き、教室内に一歩を踏み出す。


 私ははるからしき人影の方を見ながら四歩進み、「はるか…。」とそっと呼びかける。


 はるかはその呼びかけに気付き、窓の外の風景から私の方に徐々に視線を向けっていた。


 目は虚ろで無言のままである。


 私は恐怖で身を一歩下がったが、再び二歩進んだ。


「ねぇ、大丈夫? いっしょに帰えろ、遅くなるよ。はるか。」


 恐怖を感じつつもいつもの口調ではるかに問いかけるが無反応である。そして、彼女の口元がわずかに緩んだ瞬間、背後から再びが見えた。


 私は困惑し一歩下がった。そして、思わず「えっ? えっ、まって。」と声が出た。


(これは夢。これは夢。これはただのリアルな悪夢。私は布団の中に寝ていて、もうすぐ起きるはず。)


 自分自身に言い聞かせるが、私は恐怖のあまり、後退り教室から逃げ出した。


 だが、彼女はそれを察すかのように両手を広げ、触れずに廊下側の窓と扉を閉ざした。


 私は考える暇なく、急いで扉に駆け寄ったが、閉まって出ることができない。私は完全に逃げ場を失った。




[漆]


 彼女の背後にいる黒い霞は少しずつ、実体化し黒い物へと変化し、彼女の気力をすべて奪い取るように見えた。


 私はどうすることもできず、ただこの状況を無視するため、体を蹲るしかなかった。


 しかし、状況は変わらない、黒い物はコツコツと足音を鳴らして、近づいて来る。

 私の心音が大きく高鳴り、全身が震え、命に迫る恐怖しかない。


 どうやったら、この状況から抜け出せるか。どうやって、助かるか。そんなことを考える暇のない恐怖だ。


 その恐怖は確実に私に近づいて来る。


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 私はこの恐怖のあまり、叫んだ。叫び続けた。


 今の私にこれしかできない。この状況を対処するための最善であった。


 だが、はやってくる。むしろ、これに喜んでいるように感じる。


 その瞬間、私のへと変わった。


 蹲った体は、氷が解けるようにほぐれ、体中の力という力が抜け、その絶望を受け入れるしかなかった。




[捌]


 は私の前に立ったようだ。


 私は自分自身の意識すら、曖昧だった。


 はなにかで私を包み込もうとした。いや、取り込むつもりかもしれない。


 そして、何かが私の心をえぐる。手でもない、道具でもない何かが……


 私自身の劣等を曝け出そうとしている。


 嫌悪、悔恨、憂鬱、憎悪、嫉妬……


 切りのない苦痛を伴う感情が心から掘り出され、私はこれを対処できない。


 ただ、吐き出したものを飲み込み続けるしかなかった。


 だが、それを防ぐ『』を感じた。


 はじめは非常に小さいな『』だった。


 えぐる何かを消し去るように抵抗し、何かを守っている。いや、私自身を守っている。


 私にとって、これは「」に思えた。


 光は次第に大きくなる。私の心を救うように苦痛と抗っている。


 光は苦痛を取り除き、暖かさで私の心を癒す。


 癒えた心は、私に意識と希望を取り戻してくれた。


 そして、私は目を覚ました。


 黒い物は、目が眩んだように後退りをしている。


 私は仰向けになった体を起こし、右ポケットに清らかな圧を感じる。


 (勾玉!)


 私はすぐに『』を取り出した。


 勾玉は青い閃光を放ち、教室を照らし、黒い物はこの閃光から避けるように後退りをするが、光に取り込まれる勢いだった。


 私には不思議と恐怖はなかった。そして、ゆっくりと立ち上がり、黒い物の前へと歩き始めた。


 私にとって、黒い物は恐怖、絶望ではなかった。


 それは私にとって、親友である 白河はるかであるから。


 私の心に誰かの声が響いた。


「死に至らぬ。玉を持ち、闇を討て。」


 この声と共鳴するように勾玉が強烈な輝きを放ち、私を包み込んだ。




[玖]


 私を包む光は、全身を清め、穢れをおとすように、絹の様に滑らかで心地の良い。


 (生きている…)


 私はただそれだけだった。


 次第に光と意識は糸を紡ぐように繋がり、私は瞳を瞼からゆっくりと開いた。


 目の前には、はるかが窓から飛び降りようしている姿が見えた。


 私はハッと我に返った。


 私は止めようと走ったが、はるかは窓枠に上り、両手を広げ、窓から飛び出し、見えなくなった。


 慌てて、窓外の下を覗き込む。


 下の運動場には はるか の姿はなく、黒い物が波のように揺れ、口と手が無数にあり、不可解な動きをしていた。


(この中に はるか が…)


 私は少し動揺したが、冷静さを取り戻すため、目を閉じ、空気を吸い込み息をついた。


 そして、違和感に気づいた。


「! なにこれ…」


 今朝、着たはずの制服が全身、白い装束のような服装に変わり、首には、『青い勾玉』をあしらうネックレスの様な物が身についている。


(どういうこと? 訳が分からないし、り 理解が… 追いつない)


 私の心は冷静さを取り戻すどころか、再び混乱した。


 混乱を解くように脳内に一つの言葉が思い浮かぶ。


(「」)


 私は首の勾玉を手に取り、気づく。


(私があれを倒す? でも、なぜ?)


 私には、深く考える余裕はなかった。


(私はただ、親友である はるか を救いたいだけ。もし、この勾玉に力があるのなら…)


 私は窓枠に手をかけ、勢いよく窓から身を飛び出していた。




[拾]


 なぜ、私が窓から飛び出したか、わからない。


 身体が無意識に動き、わかっていても止めることができなかった。


 四階の教室の窓からの飛び降り、自殺に等しい行為であった。


 今、地面に向かって落ちている。徐々に迫ってくる。突っ込めば、頭は水風船に割れてしまうかもしれない。落下と死の恐怖と親友を救う使命感が入り乱れた感情だった。


 私の姿が校舎の窓に反射し、映った。


 反射した姿を見た瞬間、時が止まるように流れる。


 私は、「巫女」の様な姿をしていた。


「あっ…。」


 電撃が走るように、私の中の「」が目覚める。


 身体を捻り、下向きの頭を上げ、体操選手の様な華麗な動き、地面への衝撃を回避し、校庭へ降り立つ。


「着地した…」


 思わず声がこぼれた。


(いつもの私なら、できない動き… それをいとも容易く) 


 驚嘆に浸っている場合ではない。視線の先には はるか を取り込んだ口と手を無数ある黒い化け物が不可解な動きを繰り返している。


(私があいつを倒さなきゃ、誰が親友を救うか…)


 ゆっくりと足を進め、化け物の方に向かう。




[拾壱]


 化け物は、依然不可解な動きを繰り返している。


 私は、恐怖よりも底知れぬ覚悟があった。『親友を救う』という強い覚悟。


 化け物は、私の動きに気づき、動く。


「×××××××××××××××××××××××××××××××××××××」


 言葉にならない耳が裂けるほどの絶叫を周囲に響かせ、私をけん制する。


 しかし、私は耳を押さえて、着実に進む。


 無数の黒い手が這いよってくる。


 すぐさま、避ける。しかし、奴は見越していた様に避けた先でも手が這い寄ってくる。


(早い)


 私は前進後退しながら、避け続けた。しかし、無数の手が無限に追ってくる。


(助けると言っても攻撃しなければ、私が取り込まれる)


 一旦、化け物から少し後退して離れ、形勢を立て直す。


 化け物は後退した私の様子をじっくりと伺っている。


 不思議な事に激しい動きをしたにもかかわらず、まったく息切れがない。


(すごい… なにこれ、私じゃないみたい)


 しかし、この感嘆が敵に隙を与えた。


 化け物は、一本の触手を弾丸の様な速さで向かってきた。


 私はそれにあっけに取られ、避けることはできないと思った。


 だが、私の身体は無意識に両手に何かを持っていた。


 気付いた時には、両手に持った銃の引き金を引き、一本の触手に弾丸を撃っていた。


(えっ…)


 一発の弾丸は一直線に飛び、触手を破裂させ、残り三発の弾丸は、本体の触手を命中した。


「×××××××××××××××××××××××××××××××××××××」


 再び、言葉にならない絶叫を響かせ、化け物からは、得体の知らない黒い液体が流れだした。


 私は、両手に持った銃を見た。


「すごい、こんなの持っていなかったのに……」


 よく見ると、銃口が二つあり、弾丸を放った熱が両手からじんわりと感じ取れる。


 化け物は相当なダメージを負っているように見えるが、黒い液体がそれを修復するように再び、不可解な動きを始めた。


 私は静に歩き出し、化け物の方に進む。


「これで救う事が出来なら…」


 鼻から空気を吸い込み、ゆっくりと息を吐き出すと同時に勢いよく化け物に向かう。


 化け物も私に無数の触手を仕向けてくる。


 無数の触手は、私の前方周囲を取り囲み、殺意をむき出しにしている。


 私は、無意識的な感覚で触手を紙一重で避けて、銃から弾丸を撃つ。


 その様子は、アクション映画で見る弾丸を綺麗に避け、的確に攻撃する俳優さながらのようだった。


 触手に囲まれ、飛び上がる中、左方から来る触手を避け、下方と右方から来る触手に弾丸を撃ち、敵に背面を見せて着地し、触手を避けるために大きくバク転を決めて、弾丸を一心不乱に撃ち続ける。


 着実に触手を攻撃して前に進み、化け物本体へと近づく。


 化け物の攻撃は、私が前進するごとに弱くなり、触手の数が減っている。


 触手による攻撃が無くなった時には、私は化け物の目の前で構えていた。


 私の攻撃を受け続けたからか、黒い液体が全体から流れ続け、激しく息切れをしている。




[拾弐]


 「暗い…助けて…」


 私は、その中からかすかに人の声が聞こえた。


(はるかの声だ)


 私は化け物に銃口を向けた。だが、すぐに引き金は引けなかった。


(この中にはるかがいる。あいつを撃てば、救えるかもしれない。もし撃って、はるかを傷つけることになったら…)


 一時の隙によって、私は化け物の触手による一撃を受けた。


「あっう」


 少し飛ばされ、腹に少し痛みを感じ、身体を屈め、腹を抱えるが、すぐに立ち上がる。


 化け物は、態勢を立て直そうとしている。


 私は覚悟を決めた。そして、化け物に向かって走り出した。


 化け物は、未だに態勢を立て直せないでいる。


 銃口を構え、奴の目の前に近づいた瞬間、二丁の銃の引き金を引いた。


 防御ができず、四発の弾丸によって大きな黒い穴ができた。


 その穴の中には、はるかが身体を丸くしていた。


 私は、はるかの手を取り、その穴から引きずりだし、化け物から距離を置いた。


 はるかを抱えて、木の下にそっと降ろした。


 はるかははじめ嘔吐いていたが、少しすると眠っている様子だった。


「良かった。」


 私は安心し、少し肩を下ろし、息をほっと吐いた。


 はるかをそっと寝かせて、化け物の方を振り向いた。


 大きな穴はなく、再び触手を出し、私をじっと見つめ続ける。


 その様子は、少し弱体化しているように見えた。


 私は、そっと銃口を向ける。


 化け物は絶叫を上げて、私に向かって突進してくる。


 私も二丁の銃を向けて走り出す。


 そして、引き金を引く。


 銃声と共に四発の弾丸は軌道を変えることなく、化け物へと進む。


 一弾目が化け物の上方右側に被弾し、続いて上方左側にも被弾。


 被弾した部分は破裂し、黒い液体が溢れだしているが、まだ進み続けている。


 三・四弾目が下方両側に被弾、動きが鈍くなり勢いがなくなる。


 私はもう一度、引き金を引く。


 弾丸は化け物を貫き、完全に動き止まる。


 少して、唸り声を上げて風船が破裂するように黒い液体をぶちまけた。


 地面に飛び散った黒い液体は、染み込むように綺麗に消えていった。




[拾参]


 私はその場に座り込み、寝転んだ。そして、運動場のど真ん中で空を眺めた。


 今日の出来事の情報量に対処しきれなかった。そして、これらの人生について少し不安を抱いた。


 疲れた私はそっと瞼を閉じて、気が付かないうちに眠り込んだ。


 眠ったことに気が付いた時には、保健室のベットだった。


 ゆっくりと体を起こし、状況を確認した。


 隣のベットには、誰が寝ているが、その人以外は保健室には誰もいなかった。


 私はベットから出て、職員室へと歩き出す。


 保健室の扉を開けようとしたときに、養護教諭が扉を開けようと目の前に立っていた。


「森田さん? 身体大丈夫?」


「えっ はい大丈夫です。あの~、私何かあったんですか?」


「覚えてないの? 運動場で倒れている所を野球部が見つけて運ばれてきたんだけど。」


「そうなんですか!」


「本当に体調大丈夫? さっき、家に電話かけたけど連絡取れなくて… 森田さんから連絡できたりする?」


「多分… 連絡できると思いますが、母が仕事なので… 私から言います」


「そう… 運ばれて来たとき結構ぐったりしたけど、本当にいいの?」


「はい。今は元気なので自力で帰れます。」


「わかった。夕方ごろに電話するから、それまでにちゃんと言うのよ。」


 そう言って、足早にもう一つのベットと向かっていった。


 私は扉から廊下の左右を確認し、そっと保健室の扉を閉めた。そして、私の左側にあったソファーに見つけ、そっと座った。


(…… はるか!)


 ふっと思い出した。


 しきりの向こうから話声が聞こえた。


 養護教諭の声と聞きなれた少し弱々しい声。


 私はさっと立ち上がり、声の元へと足を運んだ。


 ベットのそばで椅子に座る教諭が見える。


 数歩、足を進めるとベットにもたれるはるかの姿があった。


「はるか!」


 私は姿を見た途端に内心の感嘆が声に溢れてしまった。


「もりちゃん! もりちゃんも保健室で寝てたん?」


「まあ… そんな感じ」


「二人とも知り合い?」


 養護教諭が不思議そうな顔で私たちを見た。


「はい、幼稚園からの親友です。」


 はるかが答える。


「そうなんか~、ところで白河さん、お母さんと連絡取れて、迎えに行くと言っているから、少し待ってもらえる?」


「あっ、はい、わかりました。もりちゃん、一緒に乗って帰る?」


「いいの⁉」


「多分、母さん、いいと言うと思うから」


「本当にありがとう!」


 私は思わず、はるかの手を掴み握っていた。




[拾肆]


 それから10分後ぐらいに、はるかのお母さんが車で迎えに来た。


 うちの母とも仲がいいから、すぐに乗せてもらい、私の家まで送ってもらった。


「家まで送ってもらって本当にありがとうございます。」


 私は頭を下げてお礼を言う。


「いいのよ。一緒に保健室に居てたんだから。お母さん、今日仕事なんでしょう。大丈夫だから。」


「ありがとうございます。」


 車がゆっくりと動き出し、後部座席の窓からはるかが手を振る。


「またね、もりちゃん!」


「バイバイ~ はるか」


 私は車の姿が見えなくなるまで小さく手を振った。


 バックから自宅のカギを取り出し、玄関の錠を解いて帰宅する。


 リビングの時計を見ると、午後3時前を指していた。


 台所で手を洗い、ゆっくりと二階の自室へ戻る。


 自分の部屋に入ってすぐに自分のベットに顔をうずくまった。


(疲れた…)


 今日の出来事を思い出そうとしたが、正直、学校が終わってから保健室までの記憶が曖昧であまり覚えていない。


 だが、はるかを迎えに行こうとしたことはうすっらと覚えていた。


(なぜ私は、運動場で倒れていたのか)


(私は、一体なにをしようとしていたのか)


 ぼんやりと疑問が浮かぶ。


「おい、その生娘、なにをしている?」


 私はハッとなり、顔を上げ周りを見渡した。


「勾玉に選ばれたであろう。」


 勉強机に一羽の雀がちょこんと居座っている。


「おぬしが、持つ勾玉はただの勾玉ではないぞ」


 近づき、何かと見間違いかとじくっりと見る。


「何を見とる。恥ずかしいではないか……」


「雀がしゃべってる……」


 私は驚きのあまり声が出てしまった。


「何を驚いておる。其方は、神に仕えるものになったであるぞ。」

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