第9話 開門
庶民公園が開門し、ぞろぞろと人が入ってくるようになってきた。
まだ日差しが穏やかな午前のこの時間は営業を始めている屋台や店舗の数は少なく、ほとんどがこの庶民公園のメイン建造物である「勇者の墓所」に訪れる人である。中には公園内の劇場に開演時間がまだ先なのに詰めかけるファンもいるが、今日はとくに熱心なファンを集めるようなものは上演されていないはずだ。
わたしは「勇者の墓所」の受付に戻ってきていた。
何度も墓所に訪れている顔なじみになったお婆さんとちょこっとだけ会話を交わしたり、いつも果実酒を買っているおじさんがオリジさんと延々と談笑しているのを止めたり(その間来客をさばく役割はわたしに集中してしまうのだ)、家族連れのために勇者の立像の前で記念写真を魔道具で撮ってあげたり、いつも来ているおじさんの思い出話につきあってあげたり(勇者と同じ戦場に立ったことが誇りらしい)、おばちゃんにあんたも頑張りなさいよ、と背中をばしんと叩かれたりしていた。砂糖水も少しずつ売れてきている。今度なにか味を付けたものを売ってみるつもりだ。
――そして、もう少しで昼食タイムに入るかという時のことだった。
庶民公園の中をがっしゃんがっしゃんと甲冑の音を響かせながら王宮騎士団員が二人、勇者の墓所に向かって早歩きで向かってくる。
この天気の中で全身鎧とはとても熱そうなのだが、実際は内部の温度は一定に保たれるようになっている。対魔王戦争の中で発達した魔道具制作技術の恩恵の一つである。
それはともかく、この全身鎧の銀ぴか騎士が来るということは、勇者の墓所管理事務所員に緊張が走る――ああ、またかというため息と共に――ということを意味している。
なぜならば、「勇者の墓所」というのは国家の一つのシンボル的な施設であり、外交イベントの一つとして他国有力者が表敬するということもあり得る場所なのだ。なんとなく立派で、なんとなく厳かで、なんとなく報道用の写真映えする、この場所は警備のしやすさもあって王族の歓待イベント御用達なのだ。
勇者の墓所を管理する勇者の弟――つまりお父さん――に案内させながら感心する要人の横顔、報道写真にはうってつけの構図だ。
要人の視線は上過ぎても下過ぎてもいけない。ちょうどよい角度になるようにお父さんは指先に何かを指すフリをしながら、顔の角度を誘導する。案内者のお父さんはちょっと口を開けたりしてなるべく威厳の無いように写り込まなければならない。
つまりお父さんはちょっと間抜けに写真に写るプロなのだ。……そんなことをエミリカ叔母さんは言っていた。わたしはあはははと笑って聞いていた。
「またかい?」
オリジお坊さんはちょっと苦笑し、上気している二人の王宮詰め騎士に対して顔を向けた。突然の要人の訪問も慣れっこである。
要人が訪問している間は墓所への人の出入りは制限がかかるので果実酒の売り上げは落ちる、ついでに砂糖水の売り上げも落ちるであろう。
お坊さんの頭の中にはすでに要人来訪のために下がる売り上げをどうやって取り戻そうかという計算が走っているはずだ。
「――お坊、今回はいつもとは違うぞ。
警備兵がこの後百名追加で来る。その先触れが我らなのだ」
「百名?」
二人の騎士の中でも老けた方(髪の毛に多少白髪が交ざっている)が通常よりもかなり多めの警備兵がやってくると言うと、オリジお坊さん眉が寄った。怪訝な表情というやつだ。
オリジお坊さんの眉が寄った原因は、騎士が告げたタイミングと警備兵の数との組み合わせである。
警備兵の百名という数は並みの国賓ではなく、大国の王や法王クラスの超大物に付けられる兵の数である。公園に入るのが百名ということは、公園外には公園内にいる警備兵をサポートするためにそれ以上の兵が動くということである。
大勢の兵を動かすとなると兵を派遣する側にも、派遣する先にも十分な準備期間を設けて調整をするのが、この平和な時代のセオリーなのだ。このクラスの大物の訪問となると前もって連絡が入らないのはあり得ないことである。
これまでの突発的な訪問は、お飾りの王族や貴族、あるいは(本人の自覚はともかく)代わりの利く政治家や経済人や芸能界スターなどの「身軽に動くことができる」要人が主だった。警備も王宮近衛や法王軍の担当小隊が全て請け負うことになる。
直前まで機密とされた超大物の訪問とは、例外の例外の例外の出来事であり、「すごく訳あり」の詰め合わせパックがやってくると考えるのが自然だ。
「王国を揺るがすほどの緊急の案件か、機密に進めないと政治的問題が大量発生する案件か……
もういいじゃろ、どなたが訪問か?」
面倒くさいことになったという思いを表情に隠すことなく、お坊は腕組みをしてふぅーと息を吐いた。白髪交じりの騎士は肩をすくめてやれやれという表情で返した。「もういいじゃろ」とは「さっさと白状せんとお前を血の海に沈めるぞ。×××野郎」という意味である。
………ちなみに、×××と等価な言葉はよくエミリカ叔母さんが草むしりをしながら呟いてる。
白髪混じりの騎士は一瞬周囲に視線を巡らし、関係者以外がこの場にいないことを確認すると渇いた唇を小さく開いた。
「――魔王だ」
それを聞いたオルジお坊は禿げ上がった額にぴたんと手を打ち付けると、はぁ-とながいながいため息をついた。
わたしは驚きのあまり言葉がでなかった。
……魔王。
◇◆◇
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