toad man 5

 ワイヤレスイヤホンをして動画を爆音視聴していたせいで、ダイレクトに鼓膜を揺らしたその通知音に、オレは蛇に睨まれた蛙よろしく縮み上がった。


『連絡遅くなってごめんね』

『話したいことがあるんだけど、今週会えないかな』


 オレは戦慄した。

 反射的に既読をつけてしまった自分を恨むが、こうなったらもう覚悟を決めるしかない。

 オレは利き手をティッシュで拭って、即座に返信をした。


「予定があって、ごめん」

『週末は空いてる?』

「ごめん、忙しい」


 送信し、ふうと息を吐く。

 二往復したし、このくらいでいいだろう。

 決して未読無視するのではない、寝落ちだ、寝落ち。


『来週でもいいから時間とってほしい』


 その通知をオレはすぐさま消した。

 カエデのせいでまた萎えてしまった。

 今日は読みかけの電子コミックでも読んで寝るとしよう。


 ……するとあろうことか電話がかかってきた。

 ちょうど画面をスワイプしていたタイミングだったから、誤って出てしまった。


 カエデの声は思ったよりずっと柔らかくて落ち着いていた。

 むしろなぜか嬉しそうでもあって、オレはスマホで漫画を読んだことを心底後悔した。


『ちょっとでいいから会いたい。どうしても直接言いたいことがあるの』


 オレは唾を飲む音がカエデにきこえないように咳払いをした。


「無理、ごめ」

『大事な話だからあーくんにちゃんと伝えたい』


 カエデはオレの声を遮るように言った。

 その声には普段感じないような芯がある。

 母の強さとでもいいたいのか?

 オレにちゃんと伝えたいだって?

 父親の自覚を持てとでも言うつもりか?

 なんなんだよ。

 カエデがまた被せて喋ってくれることを期待していたが、彼女は今度はオレの返答を待っているようだった。

 なんなんだよ、本当に。

 沈黙がだんだんとオレを苛つかせた。


「……忙しいって言ってるだろ」

『あーくん、もしかして怒ってるの?』

「別に。もう切るよ」

『わかった、じゃあ今話すからきいて』

「だから無理だって! いいかげんにしろよ、何時だと思ってんだよ!」


 自分でも驚くほど大きな声が出た。

 スマホの向こうにいるカエデがひっと喉を引きつらせる音が聞こえた。

 オレはカエデの謝罪を待たずに電話を切り、スマホを布団に投げつけた。

 むしゃくしゃする。

 カエデが悪いんだ。

 急に今話すなんて言うから、深刻そうに吐くから、ピルをちゃんと飲まなかったから!

 そうだ、そんなに嫌ならゴムつけてって言えばよかったじゃないか。

 そんなに体調が悪いなら拒絶すればよかったじゃないか。

 オレを受け入れたのはカエデだ、それなら、こうなったのも全部全部カエデのせいだ!


 オレは気分を落ち着かせようとベランダに出た。久々に紙タバコが吸いたくなったのだ。

 肺いっぱいにニコチンを充満させ、思いっきり吐き出す。

 ああ、これこれ、この吸い心地だ。

 やっぱり紙に戻そうかな。

 束の間いい気分になって空を仰ぐオレの鼻先にぽつりと雨が落ちた。


 げーこげこ、げーこげこ。げっげっげっ。

 どこかからきこえるカエルの大合唱は、確実にオレを馬鹿にしている。

 クソが。

 オレは舌打ちとともにタバコを投げ捨て、窓をぴしゃりと閉めた。

 雨が降るのも蛙が鳴くのも全部オレのせいじゃない、だからオレがこうなったのもオレのせいじゃない。


 ふて寝しようと布団に潜り込んで思い直し、オレはそのへんに転がっているスマホを手繰り寄せた。

 カエデの連絡先、ブロック、と。

 これで眠れなかったらそれもカエデのせいだ。



 ――はち切れそうなお腹を抱えて、カエデが微笑みながらこちらに向かってくる。

 あーくん、みて、生まれるよ。私たちの愛の結晶。

 ロマンチストみたいな台詞をこぼして、カエデの体が風船みたいに膨らんでいく。

 その腹が弾けたかと思うと、中から大量のが……



 オレは大声を上げて飛び起きた。

 全身を蛙が這いずり回る感覚に、無我夢中でパジャマをはたき、脚をこすり合わせる。

 夢だ。滝のような汗を拭う。

 それとは別に濡れた感触と青臭いにおいがして、オレはぎょっとして股間を見る。

 ……蛙ではないと安心したのと同時に、自分自身に対する失望感にオレは襲われた。

 最悪だ。


 げーこ、げーこ、げっげっげっ。

 窓の外では飽きもせず合唱団がオレを嘲笑っていた。



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