frog lady 2

 なんだこれは?

 どういう状況だ?


 猫背のそいつは、全身鮮やかな緑いろの背に白いろの腹をこちらに向けている。

 ぶにぶに? つるつる? ぬるぬる?

 触れていないから感触は分からないが、とにかく頭髪、いや体毛のないボディはみずみずしく潤っている。

 厚みのある瞼? に囲まれた黒い出目がふたつキョロキョロして、目から頬にかけて一本褐色の模様が入っている。

 人間の耳、だった部分まで大きく裂けた口は上下にパクパクするだけだ。

 骨格の感じられないボディは、ぽてっと出ている下っ腹だけに重力を感じる。

 ひょろりと伸びた手足の指には厚みがなく、水かきと吸盤もついている。

 脚なんか太ももと足の平がおなじ長さだ。

 放射状に細く伸びた指の先が地面の水を捉えている。


 そんなやつが緑の傘をさしている光景はシュール以外のなにものでもなかった。


 オレはすぐさま井中を見た。

 井中は至って平然としている。

 この状況をおかしいと思わないのか、こいつはどこまでバカなんだ?

 オレの視線に気づいた井中はあ、という口の形をして、カエルに向けて恭しく会釈した。


「じゃ、お気をつけてお帰りなさいませ〜」


 おい、井中、ちがう。

 お帰りくださいませ、だ。

 いやそうじゃない、まっとうな気を使うんじゃねえ、井中。

 カエルだぞ、井中、見えてないのか?

 おい、行くな、井中。


 願いも虚しく井中は仕事に戻っていったので、オレはの応対を余儀なくされた。


 改めて上から下まで眺めてみたが、どう見てもカエデではなくカエルだ。

 マスク……いや全身タイツ?

 こんなリアルなものドンキでも見たことがない。

 わざわざ海外とかから取り寄せたのか?

 それともペイントアート?

 いや、肌がというレベルではなく、からだのつくりががもはや人間じゃない。


 だがそいつはやはりげろげろとは言わなかった。


「あーくん、お仕事お疲れ様」


 澄んだ天使のようなそれは紛れもなくカエデの声で、オレは思わず後ずさりした。


「し、しゃべった、日本語……」

「なあに? あーくんも喋ってるよ、日本語。ふふふ」


 思わず頭の悪そうなセリフを発してしまったオレに、なぜか嬉しそうに言って、目を細める。

 うそみたいにきれいな半月状の弧を描いた瞼の中は白目がない。

 感情がわかるのは声のトーンだけで、カエルの見た目では笑っているのかどうかもわからない。

 大きな口がぱくぱくと開閉するさまは、オレを捕食しようとしているように思われた。

 喉へと続くその口内は仄暗い底なし沼のようだ。

 オレはだんだんと怖くなってきた。

 霧雨がミストのように皮膚に貼り付く。

 通気性のいいポロシャツが湿気っている。


 これはドッキリなのか?

 目的は分からないが、とにかく穏便に済まさなければ。

 壺みたいに膨らんだその腹に、得体の知れないものが詰まっているような気がした。

 オレはおおきく頭を振って雨粒を払い、引き攣る顔面を必死に動かした。


「カエデ、なんだよな?」

「ふふ。そうだよ。もしかして私の顔忘れちゃった?」

「いや、あまりにもその、変わりすぎてて……」


 カエル、いやカエデは、オレの言葉に反応したように顎をくっと下げた。

 ぱちぱちと何度も瞬きをし、傘の柄をぎゅっと両手で握る。

 そんな人間的な仕草がカエルの姿で行われていることは、やはり奇妙すぎる。

 オレは自分の頬を軽く叩いた。


「……やっぱり、バレちゃってたのかな」


 彼女のその一言が、オレを現実に引き戻した。


 さあさあと静かな雨の音がきこえる。

 今日に限って合唱団は解散しているらしい。

 オレはいつの間にか全身まんべんなく湿っていた。

 オレが濡れて、カエルの彼女が雨に濡れないのはおかしい。


「あーくんに言わなきゃいけないことがあるの。真剣な話」


 このまま喋らせてはいけない。

 オレの本能がけたたましく警告の叫び声をあげている。

 視線を逸らした先にはたぷりと膨らんだ下腹部があって、オレは反射的に息を吸い込んだ。


「な、なんのドッキリだよ、井中まで巻き込んでさ、ぜ、ぜんぜん笑えねぇんだよ」

「あーくん、きいて」

「いや、きくとかきかないとかじゃ」

「私ね……実は」

「い、言うな、やめろ!!」


 オレは咄嗟に大声を出した、あの電話口のように。

 だが無情にも彼女の口は大きく開き、オレに向けて音を発した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る