gotoy

 私は「BeatSaber」というVRのリズムゲームが好きで、普段から良くプレイしている。でも、周りの人にはそれをあまり言っていない。私が通っている大学は女子大なので、ゲームが好きな人も少ないし、VRなんて尚更。HMDヘッドマウントディスプレイを被ってるなんて言ったら引かれそうだから、言わないことにしている。


 ネットの方でも、現実リアル女性であることは言っていない。昔、別のゲームの界隈でちょっとしたストーカー被害に遭ったことがあって、それ以来、隠すようになった。時折配信なんかもするけど、チャットもすべてテキストにして、適度な距離感で楽しませてもらっている。


 その日の配信の観客は10人ぐらい。まあ、いつもこんな感じ。このゲームには、リクエストという機能があって、配信のチャットで、例えば「!bsr 257a6」とか送ると、対応する譜面を遊ばせることができる。


 変なリクエストが来たのは、昨日の夜のこと。


!bsr gotoy


 知らない視聴者からだった。ありえない譜面ID。イタズラかなと思ったけど、リクエスト主のIDを見たら心臓が止まりそうになった。だって、昔、私をストーカーしていた男のアカウント名が含まれていたから。


 え、いや、ありえない。もう完全に縁を切ったし、私のアカウント名も、今のBeatSaber用のものとは全然違う。共通の知り合いもいない。「あの界隈」の情報から私を見つけ出すのは不可能なはずだ。


 しかし、と冷静になる。件のストーカー男はハンドルネームはアルファベット4文字のローマ字だったのだが、リクエスト主のIDはランダムなアルファベットが32文字程度並んだもの。めずらしいけど、一致することもありえないことじゃない。


 さて、この謎のリクエストをどうするべきか私は迷った。名前はおいといても、こういう初見無言のリクエストは悪意のあるリクエストであることが多い。とは言っても、リクエストはあるだけでありがたい。なんとなく悪い予感がするけど、とりあえずやって見ることにした。


 譜面は予感の通り、変な譜面だった。全くの無音という訳ではないけど、風雨のような環境音だけが鳴り響いている。ノーツが全く来ないので正直、手持ち無沙汰。私はイントロスキップを入れてないことを後悔した。


 風雨? と、ふと思った。


 そう言えば今日の天気は雨だったっけ? 窓とカーテンはすぐそこだから、すぐに確かめられるはずなのに、HMDを被っているからわからない。


 良く聞くと、そこに足音のようなものが混じっている。ザッ、ザッと。それは足音を早めて、更に呼吸音まで聞こえる。たぶん男の人の息。ひょっとしてこれは曲じゃなくて、なんかのホームビデオの音声か?


 足は急に立ち止まった。そして、何かの機械動作音。


 それはマンションのに酷似していた。


 一瞬、嫌な想像が頭を過ぎる。


 だけど、と考えた。あんなものは汎用品だ。それと同じ音がイヤホンから聞こえたといって、私のマンションのオートロックが解除されたというのは考え過ぎだ。しかし、その曲(音?)には、あたかもピンマイクで収録して、それをリアルタイムで聞いているかのような、嫌な臨場感がある。


 その音は扉を開けると足早に階段を駆けていった。2F、3F……私のフロアと同じだ。そして、


 インターホンが鳴った。


 今までのような空間録音のような音とは違う。はっきりとした方向性を持った、明瞭な音だった。


 今度こそ心臓が止まりそうになった。


 まさか、本当にマンション内に侵入された? そいつが今、まさに玄関にいる? 私はパニックになりかけた。


 しばらくしたら、インターホンの音に、ドン! ドン! という、扉を叩く音が混じり始めた。


 本当に怖かった。情けない話だが、叫び出しそうだったが、存在を知らせるのはマズいと思って堪えた。


 数秒生きた心地がしなかったが、良く考えると色々おかしい。ストーカーか変質者がいたとして、なぜそいつの音を生中継できるのか? バイノーラル録音だっけ、あれだったら音源の位置も正確に再現できる。私はHMDにけっこう良い目の密閉型イヤホンをつけているから、それで現実の音と錯覚したんじゃないか?


 そうだ、本当に扉を叩いているなら、振動があるはずだが、そんなものは感じない。やはり、これは全部録音だ。いい加減こんな謎な譜面(そういえば譜面をプレイ中だった)は止めようと思った。


 ポーズボタンを押して、譜面を止めようとする。


 だが、止まらない。おかしい。


 ガチャリ、という音が聞こえた。


 一瞬、思考が停止する。


 それは玄関の扉が開かれる音だった。締め忘れ? そんなはずはない。あのストーカー騒ぎ以来特に気をつけるようにしていた。これも録音だろう。しかし、本当にすぐそこにある玄関が解錠されたのかもしれない。HMDを被ったままでは


 足音がする。近づいてくる。呼吸音がする。それもVRなのか? もし本当に侵入者がいれば目の前にいるはずだけど、HMDを被ったままでは。視覚と聴覚を完全にHMDに奪われたこの状態で、現実とはなんだろうか、などと哲学的なことを考えた。


 この瞬間になって、ようやく私は今最もすべきことに気付いた。


 HMDを脱げばいいのだ。


 なんでこんな簡単なことに気付かなかったのだ。その動作は3秒で終わった。


 やはり、そこは見慣れた自室だった。侵入者はもちろんいないし、玄関の鍵もしまったままだ。ついでにイヤホンも取れたので、急に無音が広がる。やはりすべては性質たちの悪い録音だったのだ。


 その日の配信はなぜかアーカイブも残らず、謎の譜面のデータも消えてしまった。


 その夜の恐怖体験はそれで終わり。


 ただ、それ以降、私はHMDのイヤホンをあえて安っぽい開放型に変えた。ゲームの音と外界の音をしっかり区別するためだ。ひょっとして、奴はまだすぐそこにいるけど、世界がで、また世界がつながってしまったら、行動を再開するんじゃないか? なんてね。 

 


 


 


 

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