3-4 今できること

「どういうこと?」

「僕たちが視えるのはどんな人たちか、思い出して。自殺や事故、他殺で不本意な死に方をしてしまった人たち。この世に未練がある人たちなんだ。だとすれば、浅香さんもまだ、そこにいるかもしれない」


 飛び込んだという踏切に。


「確かに命は救えなかった。でも成仏させることはできるかもしれない。そうして、浅香さんを成仏させることで、姉さんもきっと…………」


 成仏できる。ずっと望んでいたことだった。姉を成仏させること。でもそれは、永遠の別れを意味する。姉とはもう二度と会えなくなるのだ。

 姉と再会したときから、覚悟はできているつもりだった。でもいざその時が来ると、別れが惜しくなる。


「そうだね。こうやって秋ちゃんとも再会できたし、浅香くんを苦しめていた先生ももういない。あとは浅香くんさえ、救うことができれば、思い残すことは何もない」

「そういえば、浅香さんも記憶がなくなっているんじゃ………」


 そうだとすれば、成仏させるのに時間がかかることになる。警察が和泉にたどり着くまで、果たしてどれだけの時間が残されているのか。


「いや、それは大丈夫だと思う。私の場合、死は予想外の出来事だったんだ。この姿になったとき、自分が死んだことに、気づかなかったくらい。いきなり死んだショックで記憶が飛んだんだと思う。でも浅香くんの場合は、しっかりと死を自覚している。自分から死にに行ったのだから。だからおそらく、記憶はあると思う」


 それはそれで、彼にとっては辛い状況だ。彼は、春乃に想いを寄せていた。彼女を自分のせいで死なせてしまった。その後悔から解き放されることはなく、今もなお苦しんでいるのだ。

 解放してあげられるものならそうしてあげたい。


「浅香さんを成仏してあげるには、姉さんの言葉が必要だと思う。彼に伝えたいことはある?」


 和泉はノートを取り出した。


「僕が姉さんの代わりに伝えてくる」

「秋ちゃん…………」


 春乃は泣きそうな顔をして笑った。


「ありがとう。じゃあ、今から言うことを伝えてほしい」



***



「お兄さんが今も現場にいるかもしれないこと、中嶋には言わないほうがいいかな?」


 和泉はノートを鞄に仕舞いながら言った。


「そうだね。中嶋くんは、お兄さんの死を受け入れようと、藻掻いているんだと思う。それをまだ実はいるんだって、彼の心を掻き乱すようなことはしない方がいい。彼には視えないし、兄が戻ってくることはないのだから」


 死者は生き返らない。和泉や春乃は、たまたま死者が視えるけれど、普通の人はそうではないのだ。

 お兄さんはここにいるよと中嶋に言っても、彼を苦しめるだけかもしれない。


「秋ちゃん。そういえばさ、私を成仏させることができたら、嫌いな人を道連れにしてあげるって話、結局どうする?」

「あぁ……」


 今の今までそんなことは忘れていた。


「姉さんがあの日、そう言ったとき、最初は姉さんを殺した人を思い浮かべたんだ。姉さんは自殺や事故で死んだんじゃない。きっと誰かに殺されたんだ。そう思っていたから。だから姉さんを殺した奴をって思ってた。だけど、今考えると自分を殺した奴と一緒に成仏なんて、ありえないよね」


 和泉は春乃の横をすり抜け、空を仰いだ。


「先生は僕が殺してしまったし、道連れにしてほしい人は誰も……」


 和泉は深く息を吸った。


「ねぇ、姉さん」


 少し間をおいてから和泉は言った。


「僕を道連れにしてくれない?」


 春乃は驚きの表情を浮かべた。


「このまま生きていたって、どうせ僕は………」


 もう二度と、普通の人間として生きていけない。人を殺しているから。それならば、ここで姉と一緒に行きたい………。


「………なんて、そんなことは微塵も思ってないくせに」

 春乃はいたずらっぽい笑顔を向けた。それに和泉はクスリと笑った。

「バレちゃったか」

「秋ちゃんは阿澄先生とは違う。きちんと自分が犯した罪を償うんでしょ」


 和泉はコクリと頷いた。


「じゃあ僕、もう行くよ。浅香さんを成仏させてくる。そして、その足で警察に行くよ」

「うん。じゃあ、お別れだ」


 二人にとって、二度目のお別れだ。一度目はろくに挨拶もできずに離れ離れになってしまった。しかしこうしていざ別れの言葉を告げるのも辛い。


「元気で」

「うん。姉さんも。あの世まで、良い旅路を」


 和泉が差し出した右手に、春乃は自身の右手をそっと近づけた。もちろん、触れることはできない。冷ややかな風が掌を撫でただけだ。


 和泉は最後にもう一度だけ姉と目を合わせると、振り向くことなく、屋上を後にした。

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