3-2 暴かれる嘘①
「気持ちの整理はつきましたか?」
時間きっちりに和泉は屋上に行った。
「まぁね。ごめんね。席外してもらって」
「いいんですよ」
和泉はいつも通り彼女の隣に腰かけた。
「さっそく、聞かせてもらえますか。あなたが辿り着いた事件の真相を」
「わかった。まず、君は………、私に話してないことがあるね。おそらく誰にも。友人の中嶋くんにさえも」
「動画を撮ったりして、あなたにはありのままを伝えてきたつもりだったのですが………。なぜそう思うんですか」
「君は『脅されたり』という発言だけで、中嶋くんが脅迫状の送り主だと気づいた」
「それが何か?」
「その発言だけで中嶋くんを犯人だと決めつけるのは、些か弱くないか? 『そんなんだから、陰口叩かれたり、脅されたりするんだよ』、彼はこう言ったんだろう? この発言を聞いたとき、果たしてどれだけの人が、脅すを脅迫状と結びつけるだろうか。脅すという言葉だけなら、強請りや恐喝の方がまだ身近にある」
「そうは言っても、現に中嶋が脅迫状の送り主だったじゃないですか」
和泉は彼女の意見に同意しかねるように、彼女の横顔を見た。
「結果的にはそうだ。しかし私が気になっているのは、中嶋くんが犯人かどうかじゃない。確実な証拠もないのに、君が友人を犯人扱いするのかということなんだ。もしも中嶋くんが脅迫の犯人でなかったら? 友達に疑われた彼はきっと傷つくし、最悪の場合、友情が壊れるかもしれない。
つまり、私が何を言いたいのかというと、君は、彼が送り主だという確固たる証拠を掴んでいたのではないかと思う。だから、自信を持って彼が犯人だと言えた」
「まさか。第一、証拠も何も、あの脅迫状には、中嶋が犯人だと示すものは何も書かれていませんでしたよ」
脅迫状は実に簡素なものだった。よくあるコピー用紙によくあるフォント。中央に書かれた文言もいたってシンプル。汚れも、中嶋を連想させるようなことも何も書かれていなかった。
「確かに、あの脅迫状を見ただけでは、犯人に結びつくような手がかりは確認できない。だけど、匂いはどうだろう」
和泉の喉の奥でヒュッと音が鳴った。呼吸が止まる。
「………」
「確か中嶋くんは、大手香水メーカー、ASAKAホールディングスの息子さんだったね。そして彼は、ここ最近、世に出ていない特別な香水を使用している」
和泉は昨日の会話を思い出した。中嶋の父が、亡くなった息子の好きだった金木犀と、紫苑を混ぜ合わせて作った特別な香水。自ら命を絶った息子を追悼するために作ったこの世にただひとつの香水。
「おそらく、脅迫状にはその香水の匂いがついていたのではないか。聞けば、阿澄先生の机に置く前、彼は二週間ほど鞄の中に脅迫状を入れていたそうじゃないか。そしてその鞄の中には匂い袋も入っている。匂いが移ったとしても別におかしくはない。君に匂いが移ったようにね」
和泉はこれ以上、匂いについて知らないフリをするのは難しいと思った。
「………確かに、脅迫状からはその匂いがしていました。そしてそれが中嶋が脅迫犯であるという決め手になりました。でも、だから何だと言うんです? それがそんなに重要なことですか」
和泉は少し語気を強めて言った。和泉のそんな様子に、彼女は眉尻を下げた。
「君は気づいてないのかい? そうすると、おかしなことになるんだよ。それは、なぜ君がこのことを私や中嶋くんに伏せて話したのか。そして、なぜ警察は匂いに気づかないのか。
君が気づいたくらいなのだから、匂いは強く残っていた。にも関わらず、あの動画を見る限り、警察が匂いに気づいている様子はない。
この前も言った通り、脅迫犯は学校内の人間だ。校内で金木犀の香りをつけている人間は多くないだろう。匂いを追えば、脅迫犯にぐっと近づける。それなのに、なぜそうしないのか。それは、できなかったんだよ」
「できなかった?」
「警察が押収した脅迫状には香りがついていなかった。つまり、すり替えられていた。それも君の手によって」
和泉は息を呑んだ。
「ちょっと待ってください。どうして僕がすり替えたことになるんですか。そもそもすり替えたという推理自体にも納得がいきません。もしかしたら何かの理由で匂いが取れただけかもしれないじゃないですか。どうしてすり替えたって言えるんですか」
「それは、脅迫状から見つかった先生の指紋が、左手しかなかったからだ。右手で引ったくったにも関わらず」
「それは………。もしかしたら、僕の記憶違いで、本当は右手ではなく、左手だったのかもしれません」
自分でも苦しい言い訳だと思った。彼女は静かに首を振った。
「いいや、そうだとしてもおかしい。君は、紙を四つ折りにするとき、片手で折るか?」
言われてハッとした。
「動画に写っていた脅迫状の折り目は、きれいな十字だった。ちょうど、四隅をきちんと合わせたときにできるような。紙をきれいに折るなら、間違いなく両手を使う。片手しか使わない理由はない。
やはり、脅迫状はすり替えられたんだ。君の手によって。先生の左手しか指紋がついていなかったのは、右手が血にまみれて、指紋をつけることができなかったからだ」
確かに阿澄の右手は、椅子で殴られて血でグチャグチャになっていた。さらには、ここ最近、阿澄は右手を包帯で巻いたり、手袋をしていたりもしなかった。脅迫状に右手の指紋が付いていないのは、すり替えられたからだと考えるほうが自然なのかもしれない。
「待ってください。仮に脅迫状はすり替えられたとして、それをやったのがどうして僕なんですか?」
「そもそも、君はなぜ脅迫状はすり替えられたのだと思う?」
脅迫状には金木犀の香りがついていた。警察は当然、その匂いを追うだろう。遅かれ早かれ、中嶋が警察に疑われることになる。
「中嶋が警察に疑われるからです」
「そうだ。すり替えた犯人は、中嶋くんが警察に疑われるのを阻止したかった。となると、すり替え犯は、脅迫状の送り主である中嶋くんか、それ以外に分けられるね」
「ええ」
「ではまず、すり替え犯が中嶋くんだった場合を考えてみて。中嶋くんが仮に阿澄先生を殺した犯人だった場合、そもそも現場に脅迫状なんて残したりしないだろう。手がかりになってしまうからね。君が警察に展開した推理の通りだ。
じゃあ中嶋くんが阿澄先生を殺した犯人ではない場合、この場合はなおさら残していかない。やってもいない殺人を疑われる可能性があるから。すり替え犯が中嶋くんという線はありえない」
脅迫犯である中嶋が、自分が疑われるような証拠を残さないというのは至極真っ当な推理だった。
「では次に、中嶋くん以外がすり替えた場合だが、この場合もやはり、中嶋くんに疑いの目を向けられたくなければ、脅迫状を残したりはしないだろう。偽物の脅迫状を作るより、持ち去った方が手っ取り早い」
「じゃあ、一体なぜすり替えなんて面倒なことをしたんですか」
「中嶋くんが疑われたくなければ、持ち去ればいい。にも関わらず、犯人はわざわざ偽物を作ってすり替えた。それはつまり、中嶋くんが疑われるのは嫌だが、脅迫状自体は残しておきたかったということになる。
脅迫状が現場に落ちていたら、警察は一体どんな捜査を行うだろうか」
「事件との関連性を調べます。罪とは何なのか、阿澄の過去を徹底的に洗うでしょうね」
「そうだ。しかし脅迫状がなければどうだろう。そうなれば、まず疑われるのは、最後に先生と会っていた君だ」
「………そうですね」
「君の願いは、私を成仏させることだろう? 君がどうして、私に対してそこまで想ってくれるのかはわからない。でもそれが君の願いなんでしょ? さっき教えてくれた。もしここで警察に疑いの目を向けられたら、自由に行動できなくなる。それはつまり、私の成仏が先送りになるということだ。だけど、脅迫状があれば、警察の目を一時だけでも逸らすことができる。
匂いのついていない脅迫状が見つかって得をするのは、君だけなんだよ」
和泉が彼女に対して隠していたことが一つひとつ、順番に暴かれる。さっき、彼女に時間をくれと言われた瞬間から、覚悟はしていた。しかしこうして一つひとつ丁寧に、自分のついていた嘘をさらけ出されると、とても居心地が悪くなってくる。やめてと目を逸らしてしまいたくなる。
何も言えないでいる和泉を放置し、彼女は立ち上がった。一歩、二歩と前に進み、曇天の空を見上げた。
「そして、ここからは完全に私の推測だ。違うなら違うと否定してくれてかまわない。むしろ否定してほしい。
君が脅迫状をすり替えたのは、明らかに阿澄先生が殺害された後だ。先生が生きていたら、脅迫状をすり替えたり、先生の指紋をつけたりなんて、できないからね」
彼女はスーッと息を吸って、ゆっくりと吐いた。さらに数秒、間をおいて振り返った。その目は何の感情もうつってなかった。
「つまり阿澄先生は君が殺したんだよ。和泉くん」
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