2-3 明確な殺意

 動けない彼女に代わり、阿澄の事件を調べる。彼女と約束したものの、一体何から調べたらいいのか。現場を調べようにも立ち入り禁止で入ることすらできない。事件のことを知る関係者は限られている。まずは阿澄の死体を発見したという二組の生徒に話を聞くのが妥当だろうか。

 それともう一つ、気になることがある。溝上が言っていた脅迫状だ。死体の側に落ちていた。阿澄は少なくとも脅迫状を受け取っている。脅される理由があるということだ。阿澄は一体過去に何をしたのか。それがどう事件と関わっているのか。そのあたりを詳しく調べる必要がある。


「和泉」


 そうやって阿澄の過去を辿ることで、彼女の死の理由がわかるかもしれない。


「和泉」

「あっ……はい」


 考えにふけっている間に、いつの間にか授業が始まっていたらしい。教卓には、古文担当の高橋が訝しむ目でこちらを見ている。


「すみません」


 周りを見ると、高橋だけではなくクラスの全員が和泉を見ていた。


 高橋は扉の方を顎でクイッと指し示した。


 そこには背筋をピンと伸ばした、スーツを着た男女が立っている。和泉と目が合うと、二人は会釈した。

 和泉は皆の視線を受けながら、廊下に出た。


「あの、僕に何か」

「授業中にごめんなさいね。神奈川県警捜査一課の三好みよしです」

 三好と名乗った女性は懐から警察手帳を取り出して和泉に見せた。


「同じく捜査一課の田渕たぶちです」

 隣にいた男性も、三好に続いた。


 女性の方は、ショートカットで切れ長の目が印象的だ。笑顔を見せているが、その目の奥には、「絶対に犯人を逃がさない」という強い意志を感じる。対して男性の方は、人の良さそうな雰囲気だ。女性の方は三十代前半、男性の方は二十代後半くらいだろうか。


「もう耳に入ってるかもしれないけど、金曜日に生物教師の阿澄啓介が殺されたの。そのことについて話を聞かせてほしくて」

「どうして僕に?」

「君は事件前に阿澄先生と会っているからね。その時の様子を聞かせてほしいんだ。そんな堅くならずに。ちょっとだけ、付き合ってくれないかな」

 田渕が穏やかな声で言った。警察と話すのに、堅くならない人なんているのだろうか。

「わかりました」

「ありがとう。それじゃ、私たちについてきてくれるかな」


 三好が先頭に立ち、続いて田渕、そして二人の背中を追うように和泉も続いた。教室の前を通るたびに、好機の目を向けられる。警察と一緒に歩いているのだから無理もないかもしれない。


 階段を上がった。どうやら空き教室に行くつもりらしい。和泉はこっそりと、スマホを取り出し、二人に見えないように、カメラを起動させ録画を押した。そして、スマホを学ランの胸ポケットに入れた。スマホの縦幅の方がポケットよりも大きいので、カメラの部分がちょうどはみ出すかたちになる。


『私に代わって、この先生を殺した犯人の手がかりを集めてきてくれないか』


 彼女に事件の詳細を伝えるのに、一番手っ取り早いのは警察から聞いた話をそのまま伝えることだ。生徒から話を聞いてまわるよりも、正確な情報を得られる。


 二人に連れてこられた空き教室の扉の前には制服警官が立っていた。二人は彼と軽く挨拶をかわすと、和泉を中へ促した。中に入ると、三者面談のときのように、四つの机が向かい合って並べられていた。


 三好と田渕は並んで、そして和泉は三好の対面に腰掛けた。


「じゃあ早速だけど、先週の金曜日、つまり阿澄先生が殺された日。君は先生に言われて居残りをしていたそうね。どうして、居残りさせられていたの」

 どうやら主体的に質問するのは三好のようだ。田渕は手帳を開いて和泉の回答を待っている。


「化学基礎の実験中に、僕が友だちと喋っていて、ビーカーを割ってしまったんです」

「たったそれだけの理由で?」

「そうです」

「阿澄先生に居残りさせられたのは初めて?」

「初めてです」

「友だちは君と一緒に居残りしなかったの?」

「僕だけです。割ったのは僕だけですから」


 「そう」と言いながら三好はうなずいた。居残りの理由に納得がいってなさそうだ。


「居残りはどこで?」

「生物実験室です。十六時に来るように言われて」


 和泉はその時の状況をありのまま説明した。扉近くの机に掃除道具が置かれており、それを使って掃除をしたこと。その間、阿澄は雑誌や論文の整理をしていたこと。そして、阿澄に尋ねられたことなど。


「なるほどね。それで君は、十八時に実験室を出たと」

「はい。下校のチャイムを聞きましたから。ただ……、実験室を出て、教室に戻ったときに、学ランを忘れていることに気づいて、すぐに取りに戻ったんです。実験室に戻ったら、阿澄先生はさっきと変わらずパソコンをいじっていて。それで……」


 和泉は警察に自分が見たものを伝えるべきか迷った。今朝、溝上たちに話そうとしたことだ。それを伝えることで、もしかしたら不利な状況になるかもしれない。しかし変に隠したりせず、すべて話した方が、結果的に疑われる可能性は低いかもしれない。


「学ランをとるときに、その脇に置いてあった先生の荷物を落としてしまったんです。その中に先生の手帳もあって。手帳から何か紙がのぞいていて、僕その紙を開いて見てしまったんです」


 和泉はそのときの光景をしっかりと思い出せるように目を閉じながら話した。

「四つ折りの紙です。中に書かれていたことは」


『お前の罪を知っている。公表されたくなければ、死を持って償うべし。』


 今朝、溝上から聞いた話が脳裏をかすめる。

『死体のそばに脅迫状が落ちていたんだと』


「先生の死体の側に、脅迫状が落ちていたと聞きました。僕が見たあの紙がそうかもしれません」


 三好はそれを聞くと、合図を送るように田渕に頷きかけた。すると田渕は懐から袋に入った紙を取り出し、机に置いた。


「これが、遺体のそばから発見された。君が見たものはこの紙だったかい?」


 和泉は袋を手に取った。スマホのカメラに映るように、若干高く掲げながらそれを見つめた。


 袋の紙は四つ折りの跡がくっきりと残っていた。紙は、中央に十字の中心が来るように、きれいに折りたたまれていたようだ。紙自体はよくあるコピー用紙で、中央にワープロで『お前の罪を知っている。公表されたくなければ、死を持って償うべし。』と書かれている。


「はい、僕が見たのはこれです」

「ありがとう。ところで君は、脅迫状が落ちていたと聞いたと言ったね。誰から聞いたの?」

 三好が尋ねた。

「同じクラスの溝上です。ただ、溝上も噂で聞いたような感じで。今朝、みんな事件のことを話してましたから」

「なるほど。君が、この脅迫状を見たとき、阿澄先生はどんな反応をしていた?」

「ひったくられました。見てはいけないものを見てしまったと思いました。内容が内容だけに、気になったんですが、先生が怖くて、何も聞けませんでした。その後はすぐに帰りました」

「わかった。ありがとう」


 和泉は脅迫状を机の上に戻した。


「あの、先生はその脅迫状の主に殺されたんでしょうか」

「わからない。ただ我々は、何らかの関係があると思って捜査を進めている」


 罪とは一体何のことなのか、阿澄の過去を徹底的に調べているのかもしれない。


「死亡推定時刻は十七時半~十九時の間だ。つまり、君が実験室から出て行ったすぐ後に殺されたのではと考えているんだが、君は実験室を出た後、真っすぐに家に帰ったのかな?」

 三好が真っすぐ射抜くような鋭い視線を向けた。


「はい。自転車でそのまま真っすぐに帰りました」


 三好の視線に居心地が悪くなり、思わず訊いた。


「あの、もしかして僕、疑われてますか」

 すると、三好は少しだけ頬を緩めて言った。

「そんなことはない。ごめんね。こっちも一応事件の関係者の全員のアリバイは聞いておかないとダメなんだよ」

「そう、ですか………。まぁでも、仮に僕が脅迫状の主で、先生を殺したのも僕だとしたら、脅迫状なんて残していきませんけどね」

 「ほう」と三好は目を細めた。

「それは、どうしてかな?」

「だって、自分が送りつけた脅迫状なんて残していたら、証拠になるじゃないですか。その脅迫状から、何か自分に繋がる手がかりが見つかるかもしれない。それに、先生を恨んでいる人間がいるって、警察に教えているようなものですよ。

 脅迫状は見える位置に置いてあったのでしょう? 犯人がその脅迫状に気づかなかったハズがない。ということは、犯人は脅迫状の存在を知りながら、それを放置していったということになる。犯人は相当間抜けですね。あくまで、脅迫状の主と先生を殺した犯人がイコールだったらの話ですが」

 「へぇ」と三好は声を漏らした。

「なかなか鋭いねぇ、君。貴重な意見をありがとう。参考にさせてもらうよ」

 感心した素振りを見せたのはほんの僅かな時間で、再び探るような目つきをして、とんとんと机の上に置いてある脅迫状を指先で叩いた。

「ところで、この脅迫状からは、阿澄先生の左手の指紋ともう一人の指紋が検出された」

「もう一人の指紋は、きっと僕でしょうね。あのとき、素手で触りましたから」

「後で指紋取らせてね。あと、二つほど質問させて。君は、阿澄先生のことをどう思っていた?」

「どうって………」


 正直なところ、良くは思っていない。阿澄は和泉に対して、嫌悪の感情を抱いているようだった。和泉自身、自分にそのような感情を向ける人間を好きにはなれないし、阿澄を慕えるような何かもなかった。


「別に、どうも思っていません」

「ありがとう。最後に阿澄先生のことを恨んでいる人間とか、噂とか、何でもいい。先生にまつわることで何か知っていたら、教えてくれないか?」

「恨んでいるかどうかはわかりませんが、先生のことが好きじゃない人はいっぱいいると思いますよ。好かれるようなキャラではなかったし。噂とかも、どれも根も葉もないものばかりですが、良い噂は聞きません」

「具体的には?」

「薬をやっているとか、人間を解剖したことがあるとか。本当かわかりませんが」


 こんな噂が、果たして捜査の役に立つのだろうか。


「ありがとう。長く引き留めて悪かったね」


 二人の刑事は腰を上げた。和泉もそれに合わせて立ち上がった。


「あの、阿澄先生を殺したのって、学校の関係者なんでしょうか?」

 和泉の言葉に、三好は再び鋭い視線を向けた。和泉の背中に冷たい汗がつたった。

「気になるか?」

 三好は和泉の表情を読み取るように目を細めて聞いた。

「はい。身近に殺人犯がいるかもしれませんから」

「内部の者の犯行か、外部の者の犯行か、それは調査中だ」

「あの、例えば事故っていう可能性は、ないでしょうか」


 阿澄の死体の近くに脅迫状が落ちていたものの、今回の事件とは全く関係のない可能性もあるのだ。殺されたと二人は言っていたが、事故という可能性は本当に考えていないのだろうか。


「それはない」

 三好はあっさりと和泉の考えを否定した。


「今回の事件はれっきとした殺人だ」

「というと?」

「阿澄は、頭部を殴打されて殺された。凶器は椅子だ。近くにあった飾り棚には、少量だが阿澄の血痕が付着していた。これだけなら、足を滑らせたかして、頭を棚に打ち付けた可能性もある。しかし、注目すべきは彼の右手だ。彼の右手は原型が無くなるほどに無残な姿になっていた。そして右手を頭に押さえつける形で発見された。ここから推測されるのは、一度目の殴打で、阿澄は咄嗟に右手を頭に回した。犯人はその右手ごと、何度も何度も椅子で殴りつけた。あれは事故なんかでできる傷じゃない。阿澄は明確な殺意でもって殺されたんだ」

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