2-2 いつもより騒がしい校内①
昼休み、昼食を済ますと、早めに溝上たちとの会話を切り上げて、屋上の彼女を訪ねた。
殺人事件が発生して、校内が先週よりも騒がしくなっている。刑事らしき人が何人も校舎内をうろついている。
溝上は「殺人犯と鉢合わせしてたかもしれない」と言ったが、それは和泉が阿澄を殺したと端から考えていないからこそ、出てくる言葉だ。
他の人間はどうだろうか。金曜日、和泉が阿澄から呼び出しを食らっていることは、クラスの全員が知っている。最後に阿澄と会ったのは和泉だ。
『和泉が阿澄先生を殺したのかもしれない』、そう思う人は少なからずいるだろう。
事件の日の放課後、阿澄と会っていたことは、いずれ警察の耳にも入る。自由に動ける時間は、あまりないのかもしれない。そうとなれば、誰かに見られるリスクを冒してでも、彼女に会いに行き、一日でも早く記憶を取り戻させてあげた方が良いのかもしれない。
「あれ? 君がこの時間に来るなんて、どういう風の吹き回し? 何かあったの? ところでそれ、暑くないか?」
彼女は和泉の学ランを指さしながら言った。
「暑いですよ」
「今日から夏服オッケーなんでしょ? ここから、夏服着てる生徒を何人か見かけた」
「そうですね」
和泉は学ランの袖を捲くった。
「袖なんて捲らず、脱げばいいのに」
ここは校内と違って、いくらか清涼な風が流れているような気がする。殺人事件が起きた今、校内には、陰気で淀んだ空気が流れている。
少し暑いが、ここにいる方が、心地良い気分でいられる。
和泉は彼女の隣に腰かけようとしたが、地面が太陽の熱で温まっているのを感じ、完全に腰をつけるのはやめた。
「前から気になっていたんですけど、気温とか匂いとかって、感じることができるんですか?」
和泉は彼女の顔を見た。彼女は汗ひとつかかずに涼しそうな顔をしている。対する和泉の首筋にはじんわりと汗が滲んでいる。
「味覚と触覚に関しては、そもそも物に触れられないから、感じることはできないね。でもそれ以外は生きていたころと同じだと思う。ああでも、そもそも身体が冷たいから、体感温度は低いかもしれない。今もあまり暑くないしね」
「なるほど」
「匂いも普通に感じることができる」
彼女は目を閉じて子犬のようにスンスンと周りの匂いを嗅いだ。
「だから、君から女ものの香りがしていることもわかるんだよ。彼女かい?」
彼女はいたずらっぽい笑みを和泉に向けた。和泉は自分の学ランの匂いを嗅いだ。
「ああ、これ。たぶん、友だちのです。普段つるんでいることが多いから、匂いが移ったのかも」
「女の子?」
「男です」
「なーんだ」
彼女はつまらなさそうな顔をした。
「この匂いは………、金木犀かな」
「惜しいですね。金木犀と、紫苑という花をミックスさせたらしいですよ」
「紫苑? へぇ、珍しいね」
「知ってるんですか」
「まぁ、少しは。でも私が知ってる紫苑は、ほとんど香りがしない花だよ。なんでまたそんな花を?」
「詳しくはわからないです。友だちの父が、作らせたそうなんです。販売はしてないみたいですが」
和泉は中嶋の父の会社がASloralという香水を販売していること、匂いを気に入って、自分で作った匂い袋を鞄に入れていることなどを伝えた。
彼女はもう一度鼻をスンスンさせた。
「なんか、これに似たような匂いを嗅いだことがある気がするんだよね。ここのメーカーかはわからないけど」
「自分でつけていたとか?」
「どうだろう? 思い出せないなぁ」
もしこの匂いを知っているのなら、記憶を取り戻す糸口になるのだが。そう簡単にはいかないらしい。
「ところで、二、三日前から校内がやけに騒がしいけど、何かあった? 警察も来ているようだし」
「実は、人が殺されたんです」
「なんだって?」
「教員が実験室で殺されていて」
「教員って、一体誰が?」
「生物の阿澄先生です」
「阿澄……」
彼女は、記憶を探るように呟いた。和泉はそんな彼女の表情を伺うように見た。
「ひょっとして、阿澄先生をご存知ですか?」
彼女が知っていてもおかしくはない。何せ生きていれば今年の三月に卒業していたのだから。阿澄の授業を受けていた可能性は充分ある。
「いや、わからないな。その先生の写真とかあれば、何かわかるかもしれない」
「ちょっと待ってくださいね」
和泉はスマホを取り出して、画像フォルダをあけた。入学式の日に撮った写真に写り込んでいないだろうか。
「ありました。この人です」
和泉は壁に持たれて退屈そうにしている阿澄を指さした。彼女はそれを見るなり、頭に電撃が走ったように大きく目を見開いた。
「あっ………」
何か言葉を紡ごうと口をパクパクしている。頭の中に一瞬かすめた何かを、必死に手繰り寄せようとしているようだった。
「和泉くん、私………」
しばらく黙り込んで考えた後、彼女はようやく口を開いた。
「私……この人知ってる」
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