2-8 脅迫犯の正体

「どうしたの? オレに話って」

 ホームルームが終わって、みんなが教室を出た後、中嶋は不安そうな顔をして和泉の所まで来た。


 二人以外、誰もいない一年一組の教室。みんな部活にいそしんでいるこの時間帯。中嶋も本当なら部活をしている時間だ。しかし中嶋は先週の金曜日、事件が起きて以来、一度も顔を出していないようだった。


 二人きりの教室。人に聞かれたくない話をするにはうってつけだ。


「ごめん、急に残ってもらって。話がしたくて」


 和泉は話をする前、小さく深呼吸をした。もしかしたら、この話をすることで二人の間に亀裂が入るかもしれないからだ。


 気分を落ち着かせ、意を決して口を開いた。


「単刀直入に訊く。どうして阿澄先生に脅迫状を送ったりしたの?」

 和泉の言葉に、中嶋は頬をピクリとさせた。

「脅迫状? オレが? どうしてそんなこと言うんだよ」

 明らかにうろたえているその態度が、脅迫状を送り付けた犯人であることを示していた。

 中嶋は良い意味でも悪い意味でも嘘がつけない奴だ。正直で素直で、誰に対しても誠実。だからこそ、脅迫状の送り主が中嶋だと気づいたとき、和泉はなかなかそれを受け入れられなかった。


「先週、僕が阿澄先生から居残りを食らった日、昼休みに先生の話したじゃん。そのとき、中嶋なんて言ったか覚えてる?『そんなんだから、陰口叩かれたり、脅されたりするんだよ』って言ったんだよ。確かに先生の悪い噂はいっぱいある。陰口叩く奴もいっぱいいるよ。でも、脅されていることは、誰も知らなかったはずだ。そんな噂は流れていない。そんなことを知っているのは脅した本人だけだ」


 事件が起きた後なら、中嶋が知っている可能性はある。脅迫状が現場に落ちているのを二組の望月は目撃しているし、噂も広まっていた。しかし、和泉たちが阿澄の話をしていたのは、事件前だ。脅迫状の送り主でなければ、知っているはずがない。

 みんなが知らないことを中嶋は知っている。和泉の目には、中嶋が怪しく見えた。


「ちがう、オレじゃない………。阿澄を殺ったのはオレじゃない………」

 中嶋は強く拳を握りしめながら、一歩ずつ後退した。母親にいたずらを咎められた子供のように、身体を縮こまらせ、震えている。


「わかってる。中嶋が先生を殺したなんて、さすがに僕も思ってないよ。脅迫状のことも、警察に言う気はない。だから安心して。ただ僕は、どうしてそんなことをしたのか、その理由が知りたいんだ。言える範囲でいい。何があったか教えてほしい」


 和泉は中嶋の目を真っ直ぐに見据えた。何としても事情を聞きだしたかった。この機を逃したら、もう二度と中嶋からこの話を聞けない気がしたのだ。

 一体、何を抱えているのか、なぜそんなことをしたのか、今知っておく必要があった。


 やがて中嶋は諦めたように目を閉じた。そして小さく息を吐くと、ポツリポツリと話し始めた。


「そうだよ。脅迫状はオレがやった。あいつを、少しでも苦しませたくて。だってあいつは兄貴を追い詰めたから」

「兄貴?」

「そう。二つ上のオレの兄貴。ここの生徒だったんだ」


 生徒、だった………。


「二年前に死んだ。自殺だよ。踏切に飛び込んだんだ」


 中嶋はその時のことを思い出してか、キュッと口を結んだ。こみあげてきた涙をのみこむように。


「兄貴が死ぬ一カ月くらい前、オレ見ちゃったんだ。兄貴の身体に痣があるのを。それも一つや二つじゃない。明らかに誰かから暴力を受けている痕だ。だから問い詰めたんだ。誰にやられたんだって。そしたら、あ……阿澄だって」

「阿澄………」

「なんで学校の先生がそんなことをするのか、訊いたよ。そしたら」


 中嶋が話してくれたことはこうだ。

 中嶋の兄は、勉強が得意ではなかった。なんとか創明に入学できたものの、勉強に思うようについていけなかった。そして前期の中間考査、どうしても問題を解けなかった兄はカンニングをしてしまったらしい。それを阿澄に見つかり、見逃してやる代わりにこんなことを持ちかけられたという。


『黙っててやる代わりに、俺の言うことを聞け』


 その声は何の抵抗もなく和泉の脳内で再生された。およそ教師とは思えない横暴な発言。でも阿澄なら言いそうだなと思った。


 そしてその日から阿澄の暴力が始まった。


「カンニングなんて父さんにバレたら、どうなるかわからない。兄貴にとって、あいつに殴られるより、父さんにバレることの方が怖かったんだ」

 中嶋の父親のことは、正直あまり知らなかった。中嶋の父のことでわかっているのは、ASAKAホールディングスの社長ということ、ただそれだけ。

 将来は自分の会社を息子に継がせたい、現社長である父が、そう思っていたとしたら、普段から長男に対して厳しい態度をとっていたとしても別におかしくはない。


「それからは毎日、放課後に生物実験準備室に呼び出されて、あいつに殴られていたらしい」

「先生は、何でそんなことを?」

「ただの憂さ晴らしだと思う。教師間でのいざこざ、保護者からのクレーム、生意気な生徒の指導。兄貴はそういうストレスのはけ口にされていたんだ」

 生徒を蔑むような視線、いつもどこかやる気がなく、発する声にも覇気がない。いつも醸し出している陰鬱な雰囲気。阿澄が生徒を殴っていると聞いても、全く想像に難くなかった。


「それで、お兄さんはそのことに堪えられなくなって、自殺を?」

「いや、直接の原因はたぶんそれじゃない。あの日、兄貴は学校を休んでたんだ。なんでかはわからない。たぶん、殴られるのが怖かったんだと思う。    

 それで、兄貴が死ぬ直前、あいつが、家に来たんだ。その時は誰かわからなかったけど、今ならわかる。あれは間違いなく阿澄だ。

 オレは兄貴の部屋からあいつが出てきたのを見ただけで、二人がどんな話をしてたのかわからない。でも、その直後に兄貴は………」

 最後まで聞かなくても、その後に何があったのかわかった。


 中嶋の兄の死に阿澄は大きく関わっていた。


「たかが、カンニングじゃないか。あいつが兄貴にやったことに比べれば、そんなの全然大したことじゃない。なのに、なんで兄貴は死ななくちゃいけなかったんだ」

 中嶋は震える声でそう言った。


 彼の言う通りだ。確かにカンニングは悪いことだが、中嶋の兄はそれ以上の仕打ちを受けている。こんなこと、許されていいはずがない。


「兄貴が死んで、うちの家族はバラバラだ。親父と母さんの喧嘩が絶えなくて。親父は兄貴が死んだのを母さんのせいにしている割に、兄貴のことなんて何も想っちゃいなかった。兄貴が死んだ後も変わらず仕事ばっかりで。跡取りがいなくなったくらいにしか考えてないんだよ。

 オレはあいつに復讐がしたかった。兄貴はあいつに殺されたようなものだし、そのせいで家族もバラバラになった」


 阿澄は直接兄を殺したわけではない。しかし兄を苦しめていたのは事実だ。中嶋が復讐を決意したとしても何ら不思議ではない。


「オレは兄貴と同じ学校に入学して、あいつを殺す機会をずっと伺ってた。だけど………」


 中嶋は唇を噛みしめ、目に涙を浮かべながら言った。


「人を殺すなんて、やっぱりオレにはできない………! あいつを殺すためのナイフだって買ったし、何度も後ろからやろうとした。でも……やっぱり怖くて。どんなに憎い相手でも、自分の手で命を奪うことが恐ろしくて………。

 情けないよ、自分が。だからせめて、あいつが苦しむことをしてやろうと思って、脅迫状をあいつの机に置いたんだ。その脅迫状だって、なかなか決心がつかなくて、二週間くらい鞄の奥に仕舞ってた。本当に不甲斐ない」


 色んな感情がこもった涙は、ついに中嶋の頬を流れた。


『お前の罪を知っている。公表されたくなければ、死を持って償うべし。』

 ここにある罪とは、中嶋の兄に暴力をふるい、自殺に追い込んだことをさしていたのだ。


 静かに涙を流す中嶋の肩に、和泉は手を置き、優しく言った。


「中嶋は情けなくなんかない。恐ろしいって思うことは当たり前だと思う。たとえ相手がどれほど憎くても、思うことと実際に行動にうつすのは違う。

 殺すことに限らず、暴力だろうが言葉だろうが、人を傷つけることを当たり前にできるのは、本当に……恐ろしいことだと思う」


 人を殺すなんて、簡単にできることじゃない。和泉は自分で放った言葉を噛みしめるように唇を噛んだ。


「中嶋が人殺しにならなくて、本当によかったよ」

 それは本心だった。こんな風に自分の不甲斐なさを呪って、兄のために涙を流している中嶋には、このまま人間らしく生きてほしかった。中嶋は自分にはないものを持っている。


 中嶋は涙を拭いながら言った。

「オレ、阿澄に脅迫状送ったけど、まさか本当に死体で発見されるなんて思わなくて。オレが脅迫状を送ったから、死んじゃったのかもしれない…………そう考えると、怖くて頭がおかしくなりそうだった」


 事件の日から、中嶋の様子が変だったのはこれが理由だったのだ。


「大丈夫だよ。中嶋が先生を殺したわけじゃない。そうだ、中嶋のせいなんかじゃない。

 本当に悪いのは、先生を殺した犯人だ」


 どんなに阿澄が悪いことをしていようと、殺したらダメだ。殺した当人もきちんと裁かれなければならない。


 そして最後に、和泉は話の中で気になったことを尋ねた。


「最後に一つだけ訊きたいんだけど。先生のこと、お兄さんは誰かに相談してた?」

「してたと思う。兄貴が死ぬ二、三日くらい前、部活の先輩にそのことがバレたって言ってたから。『正義感が強い人だから、僕のことを助けようとして、その先輩まで被害が及んだら……』って心配してた気がする」

「部活の先輩か。お兄さんの部活って……」

「美術部。昔から絵が上手くて、本当は専門学校に行きたかったらしいんだけど、親父に反対されて」

「ちなみにその先輩の名前って?」

「確か、『ハルノ先輩』って言ってた気がする」

「ハルノ先輩」

 和泉はその名を、頭に刻み込むように呟いた。


「わかった、ありがとう」


 和泉は教室から出ようとして、ふと足を止めた。


「お父さんさ、お兄さんのこと、何とも思ってないなんてことは、ないと思うよ」

「えっ?」

「お前がつけてた香水。お父さんが作らせたっていう金木犀と紫苑を調合させた香水。この前、お前から話を聞いて、気になったから、ちょっと調べてみたんだ。

 紫苑の花言葉は『君を忘れない』や『追憶』。亡くなった人に想いを馳せる意味合いがあるらしいよ。

 故人を偲ぶ紫苑と、お兄さんが好きだった金木犀。仕事一筋のお父さんが、お兄さんを追悼するためにその香水を作ったんだとしたら?

 どうでもいいなんて、きっと思っちゃいないよ」

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