1-2 屋上の彼女①

 夕方五時を超えると、旧校舎である西棟の廊下を歩く生徒はめっきり減る。この建物の中で一番人が密集しているのは自習室だろうか。軽音楽部が占領している視聴覚室も、吹奏楽部が練習している音楽室も、すべて新校舎である東棟にある。西棟はひっそりとしたものだ。特に五階は空き教室や、使われていない教室ばかりで、この時間帯は本当に誰もいない。


 和泉は足音を立てず静かに階段を上がった。五階を通り過ぎ、屋上へと向かう。屋上に続くこの階段を上がること、それは暗黙のうちにタブーとされている。だから、ここまで掃除をする生徒はいないのだろう。四隅に埃が積もっていて、空気が淀んでいる。踊り場を超え、階段を数段上がる。扉の手前には椅子が置かれていた。「立ち入り禁止」と貼り紙が貼られた背がこちらを向いていた。

 非常にちゃちで、これを見て屋上へ行くのを踏みとどまろうとする生徒は何人いることやら。


 和泉は躊躇なく椅子の横を通り抜け、ドアノブを回した。期待はしてなかった。きっと鍵がかかっている、屋上への侵入は不可能だろうと。しかしノブは回り、扉が開いた。


 少し湿気を帯びた五月の風が扉を吹き抜けた。


 屋上の鍵は閉まっている。それは周知の事実だ。しかしここに興味を持った生徒が、ここを無理矢理開けたのかもしれない。建物自体とても古く、この扉も例外ではない。乱暴に回したり、蹴ったりしたら偶然鍵が開いてしまったのかもしれない。


 一歩、さらに一歩と歩みを進めると、こんどは全身をぬるい風が包み込んだ。縁まで行き、下を覗き込むとグラウンドが見えた。まだまだ部活動をしている時間帯だ。


 数年前、ここで転落事故が起きた。女子生徒が誤って足を滑らせた。なぜ彼女がこんなところに来たのかはわかっていない。当時はまだ屋上は封鎖されていなかったから、誰でも簡単に入られたようだ。

 和泉は顔を上げ、目の前に見える東棟を見た。東棟は四階建てだ。屋上には緑のフェンスがある。

 一番上の階が視聴覚室。その下は音楽室だ。トランペットやトロンボーンを持った生徒がチラホラ見える。あまり縁の方にいると、彼らに見られるかもしれない。

 引き返そうとしたそのとき――。


「何してるの?」


 振り向くと、そこに女子生徒がいた。ただし、その身体は実体というにはあまりにも透明度が高く、幽霊と呼ぶにはあまりにもきれいな見た目だった。


 幼いころから、この世ならざるものが視えていた和泉。彼女の姿を見たところで、別段驚きはしない。


「私のことが視えるの? もしかして、飛び降りようとしてた?」


 どこか懐かしさのこもる声で彼女が言った。


「いえ、そんなつもりは」


 和泉は中央に佇む彼女のところまで歩いた。どうやら、彼女が噂されている幽霊のようだ。


「たまにカップルが来ることはあるけれど、君みたいな人が来るのは珍しいな。何しにここへ?」


 少し大人びた雰囲気の彼女。それはクラスにいるどの女子にも当てはまらなかった。


 もしも噂の幽霊と会うことができたら、言おうと思っていたことがある。実際に彼女と会ってみても、その気持ちは変わらなかった。


「あなたに会いに来たんです。あなたが成仏するのを、僕に手伝わせてくれませんか」

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