第2話 奪われた日常

 それから数年が経った頃だった。


「姉さんがさらわれたって!?」


 その日、夜遅くなっても家に帰ってこないユリーシャを、ご近所さんやユリーシャの婚約者になっていたパウロと一緒に探し回っていたリュージのもとに、信じられない一報がもたらされたのは。


「パウロの仕事場の手伝いに行った帰りに、歩いていたユリーシャの脇に馬車が止まって、そのまま無理やり拉致されて連れ去られたらしい。王宮の方に一目散に向かって行ったのを見た、って奴がいたんだ」


 それを聞いたパウロは血相を変えると、周りの制止の声も聞かずに王宮へと向かった。

 聡明なパウロはこの時点で全てを察して、ユリーシャを助けに行ったのだ。


 この国の王は好色なことで有名だった。

 権力に物を言わせて、年端も行かぬ村娘を連れ去っただの、若妻を凌辱しただの、よくない噂は枚挙まいきょいとまがなかったからだ。


 パウロはとても正義感の強い善人だったし、婚約者であるユリーシャのことを心から愛していたので、それはある意味当然の行為でもあった。


 そしてリュージは、きっとパウロがユリーシャを取り戻してくれると、無邪気に信じていた。

 リュージは世の中のことなんてろくに知らない、大バカ者だったから。


 そしてその数日後、パウロは返ってきた――物言わぬムクロとなり果てて。

『帰ってきた』ではなく、『返ってきた』のだ。


「パウロ兄……なんで、こんな……」


 端正で優しかったパウロの顔は、散々に殴られて原形をとどめないほど見るも無残に腫れあがり、それを見たリュージは一瞬立ったまま気絶してしまい、


「パウロ――! なんてことだ――!」

「パウロ、パウロ! あぁぁぁぁ――――っっ!」

 パウロの両親はショックのあまり泣き崩れてしまった。


 しかし進んでしまった時計の針は、もう2度とは戻らない。


 パウロの遺体はその日のうちに埋葬された。

 リュージはパウロの形見として、婚約祝いでユリーシャが送った青いミサンガを引き取った。

 これだけはユリーシャに渡してあげないといけないと思ったから。


 そしてその数日後に、ユリーシャが帰ってきた。


 ユリーシャは生きていた――だがしかし、それはもう惨めな姿をしていた。


 かろうじて局部を隠すしかできなくなったボロボロの服。

 流れるように美しかった黒髪は、なにかが執拗にこびりついて、ガビガビになっていて。


 そして誰のものとも分からない精液を股と尻から大量に溢れさせ、身体中に男の精の匂いをこびりつかせて、死んだ目をしながら――それでも必死に帰ってきたのだった。


「パウロ、ごめんなさい……パウロ、ごめんなさい。私、汚されて……パウロ、ごめんなさい。パウロ、パウロ……」


 ただただパウロに会うために、愛しい人に会うために。


 人としての尊厳を奪われ、身も心もボロ雑巾のようにズタボロにされても、それでもユリーシャはパウロに会うために、生きて家へと戻ってきたのだ。


 何をされたのかを泣きながら両親に話したユリーシャは――国王や隣国の皇子、はては衛兵にまで犯しつくされた――パウロに会いたいと何度も泣いて訴えた。


 どれだけ両親が隠そうとしても、ユリーシャはパウロに会いたいと懇願し続けた。


 そしてついには隠しきれなくなった両親から、パウロが亡くなったことを知らされて――。


 翌朝。

 ユリーシャはこの世の全てに絶望して、首を吊って死んだのだった。


 出来たばかりのパウロの墓のすぐ隣に、寄り添うように作られたユリーシャの墓の前で、


「どうして……?」

 リュージはぽっかりと穴の開いてしまった空虚な心で、つぶやいた。


 手にはユリーシャがパウロに送った青いミサンガと、同じ意匠でパウロがユリーシャに送った赤いミサンガを握りしめて。


 ほんの1週間前までは幸せな生活が続いていた。

 

「パウロ兄が任された店は上手くいってたし、姉さんとの婚約も決まってたんだ」


 これからもずっと幸せが続くと思っていた。


「なのに、なんでこんなことになるんだよ? 姉さんとパウロ兄が何をしたって言うんだ? 何も悪いことなんて、していないじゃないか」


 2人はどうしようもないほどに善人だった。

 リュージのように算術の勉強を抜け出したりはしないし、お使いのお釣りをちょろまかして買い食いしたりもしない。


 真面目で、優しくて、正しい人たちだった。


「なのに、なんでそんな2人の人生が、こんな悲惨な結末を迎えなきゃいけないんだ?」


(こんなのおかしいだろ!

 間違っているだろ!!)


 その瞬間、リュージの空っぽの心に、怒りと憎悪の炎が生まれ落ちた。

 それはだんだんと渦を巻くように大きく激しく燃え盛っていって――。


(ああ、こんなのはおかしいよな。

 こんなことはあっちゃいけないんだ。

 俺はこんな理不尽を許しちゃいけないんだ)


「俺は! 姉さんとパウロ兄をこんな目にあわせた何もかもを、絶対に許すことはできない! 復讐だ! 復讐するんだ!」


 パウロに続いて最愛の姉であるユリーシャまで失ったことで、リュージの心は限界を超えてしまった。

 今までの優しく穏やかな心がバラバラに砕け散って、その代わりにどす黒い怒りと憎悪の激情の炎だけが、リュージの心の中でゴウゴウと燃え盛っていく。


 リュージは意を決すると、2人の形見のミサンガをそれぞれ両手首にはめた。

 そして台所から包丁を持ち出すと、着の身着のまま王宮に向かって走り出した。


「待っていろクソども! 姉さんとパウロ兄を殺した奴らは全て! 俺が一人残らず皆殺しにしてやる!」

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