僕のモフリ眼が疼く!!

「さっきのアレは……暴発と言いますか、どうにもチカラに慣れていないもので……驚かせたなら申し訳ないです」


『お前さん、見習い退魔士だろう? 何処の流派か知らねぇが、心の修行が足りねぇぜ。

 人界でその空き缶を半分消せるなら、下級妖魔を百匹は狩れるだろうが……無駄遣いにしても度が過ぎるってモンだぜ』


「……退魔士?」


『……ニャン?』


 外出して一時間もしない内に怒涛の如く押し寄せる"神秘"の中で現れたに、思わず星司は聞き返した。


『お前さん、退魔士じゃねぇのかよ? でも、秘術は使ってたよな……? まさか、人間がその年で野良をやってんのか!?

 イカれた上に生命知らずとは、本当にとんでもねぇガキだぜ!?』


「野良……そうですね。この不思議な世界に触れたのは今日が初めてなので……多分、僕は野良なんでしょう」


 素直に頷いた星司に対して、三毛猫はマジマジと目を見開いて驚く。


『ニャ!? 今日が初めて? あれだけの秘術が使えるのにか? どういう……ニャンッ!?』


 驚きながら、星司の全身を舐め回すように観察していた三毛猫が、尻尾を踏まれた猫のような声を出した。


 そして、その目線は星司の右眼に突き刺さっていた。


『……そういうことかよ。

 どうしてオイラがこんな場所にのか、やっと検討がついたぜ……』


 何かへ納得したように頷いた三毛猫が少し考え込むと、公園の出口に顔を向けてから、星司へ告げた。


『仕方ねぇな。少しだけオイラがレッスンしてやるぜ』


「いいんですか?」


 突然の提案に驚く星司へ少しだけ不満そうな声が届く。


『……お前さんみたいなイカれたガキを放置すると、色々なバランスが崩れて危ねぇからな。ほら、さっさと行くぜ!』


「何処にですか?」


『気付いてねぇのか? 念話もできねぇ人間が猫と話してるのを見られても、修正力の対象外なんだぜ』


「ッ!? なるほど……」


 三毛猫に言われた星司が見回すと、遊具で遊んでいた子どもと母親達が、猫と話している少年に注目していた。

 声が届くほど近くはないが、これ以上の会話は色々な意味で危険である。そう理解した星司は、三毛猫に並ぶように歩きだす。


 そして、公園を出ていくと、再び子ども達のはしゃぐ声が聴こえてくるのだった。



『ココがいいだろう。陽当たりも風向きもなかなかの場所だぜ』


「ここは……猫さんの溜まり場ですか?」


 公園を後にしてから三毛猫の先導で歩いた星司は、くねくねと複雑に曲がる路地裏を進んだ結果、急に拓けた空き地へと辿り着いていた。

 その場所では、数十匹の猫がそこら中で寛いでおり、中心部には座布団や猫用の餌皿が幾つも置かれている。


「こんな場所があるんですね」


『いや、ねぇぜ』


「え?」


『人界にはねぇのさ。ココは既にだぜ』


「異界? ……あ、尻尾が、顔に傷も?」


『コレがオイラのってヤツだな』


 いつの間にか、三毛猫の尻尾が二股に分かれており、額にも斜めに切り裂かれたような目立つ向こう傷が現れていた。


「……猫さんは猫又でしたか」


『んニャ? まぁ、似たようなモンだぜ。

 ……そうだな、オイラのことはマタとでも呼んでくれ。タマじゃねぇぜ?』


「なるほど、猫又のマタさんですね。僕のことは星司と呼んで下さい」


『セージね、呼びやすいじゃねぇか。

 やっぱり名前は呼びやすい方がいいだろう? なのに、最近の若いヤツらはよぉ、色んな場所で巫山戯た名前をもらって来やがって……挙句に名前の数を競うのが流行ってやがるんだぜ?』


「ああ……名前がイッパイあるんですね」


『そうそう、大抵の猫は三より多い数はあやふやだってのに、"イッパイアル"って言いたいだけのバカ猫共が……』


 ぶつくさと文句を言いながら、周囲の猫達を見回した三毛猫──マタが気を取り直して星司に告げる。


『おっと、すまねぇ。愚痴じゃなくて、異界の話をしたかったんだぜ。

 異界ってのは、人界と重なった"神秘"に属する世界のことを、全部ひっくるめて呼ぶ時に使われる名前だな。

 昔は幽世かくりよなんて呼ばれることもあったが、異界ってのは幽霊や妖怪以外にも、ロボット、クリーチャー、都市伝説となんでも御座れのなのさ。

 だから、アホみたいに色んな種類の異界があるんだが……基本的には霊格の高い化け物──共の縄張りだぜ。

 まあ、ココみたいに偶然"神秘"が溜まってできることもあるけどな』


「異界が重なっているんですか?」


『あぁ、ココの異界が人界で重なってるは、三分の一も広さはねぇし、陽当たりや風通しも悪いんだぜ? それでも霊格が足りねぇヤツらは、そっちに居るしかねぇワケだ』


「人界というのは、僕らが暮らしている現実世界のことですよね?」


『ニャン? なるほど、そこからか……。

 まぁ、現実世界でも間違いじゃねぇが、正しくは、人間の"認識"によって構成された世界のことだな。

 お前さんを含めた人間の常識、定義、法則……と呼ばれる唯一の信仰が支配している世界。

 つまり、"人界の修正力"によってカガクに反する霊的干渉力──"神秘"が否定される世界のことを人界と呼んでいるんだぜ』


 知られざる世界のルールを次々と教えられた星司だったが、"記憶"から浮かび上がってくる知識によって、理解が促されていた。


「科学……物理法則……霊的干渉力……なるほど、やっぱりアレは修正力なんですね。

 だから、あの空き缶が元に戻った訳ですか」


『"神秘"を行使する術法──秘術は大概、カガクに反するからな。だけど、アレで消した空き缶はゴミだったろう?

 修正力の強さは"認識"によって決まるからな。誰も気にしないゴミみたいなモノにはほとんど効かないんだぜ』


「"認識"の強弱ですか……。ああ、そういうことですか!? あの公園にいた親子が空き缶を"認識"していたんですね」


『だな。同時にベンチから誰かが捨てるのを待ってたんだろうよ』


「捨てて欲しいということは、消えてもいいと"認識"していた訳ですか。だから、空き缶は半分だけ戻ったんですね……」


 星司は公園での不可思議な出来事の理由に納得して深く頷いた。

 自分が踏み込んだ"神秘"の世界にも確かなルールが存在したことに、ある意味で安堵することができたのだ。


「この異界の中では修正力は働かないのですか?」


『そうだぜ。修正力は働かねぇ。セージが秘術をブッ放したら、壊れたモンも、死んだモンもそのまんまだぜ』


「死んだモノ……そうですよね」


『ククク、まぁ、よく考えるこったな。……ん?』


 マタは神妙に考え込む星司の顔を見て意地悪げに笑うと、何かに気付いて集会場の複数ある入り口の一つに顔を向けた。


『そうそう、言ってなかったが、異界ってのは基本的に"神秘"の核を支配する主が居るんだぜ。

 そんで、その"異界の主"が認めなければ人界に出るのは難しいんだよ。入るのは大抵簡単なんだけどな』


「"異界の主"ですか? この異界も?」


『この異界の"神秘"は、そのまんま"猫の集会場"だぜ。……核は広場そのもので、主は集会場にいる全ての猫だな。

 群体型──主が複数で分散している分だけ支配力は弱いが、出るのに条件があるのは変わらねえぜ』


「条件とは何ですか?」


『このまま見てれば、直ぐに分かるぜ』


「? ……なッ!?」


 入り口を見たまま答えるマタに倣って、星司が目を向けると、路地からOL姿の女性が入ってきた。

 女性はふらふらと頼りない足取りで集会場の中心に進んで座り込むと、持っていた鞄から袋を取り出して、近くに置かれていた餌皿に中身を注ぎ込んだ。


 ザラザラザラ……。


 餌皿に溜まる乾いた音に反応して数匹の猫が起き上がって近付いていく。その間も女性は鞄から水のペットボトルを取り出して、深めの餌皿を選んで注いでいた。


(飼い主ではないですよね。……まるで夢でも見ていそうな顔ですが、意識はあるんでしょうか?)


 異様な女性は星司に気づいた様子もなく、餌を食べたり、水を飲む猫を幸せそうに眺めている。


「アレが条件ですか?」


『ああ、そうだぜ。簡単に言えば、猫への奉仕だな』


「猫への奉仕……」


『この集会場にいる猫がある程度満足すれば帰れるって寸法だな。

 魂を取ろうとする物騒な化け物がいる異界に比べりゃ天国だぜ』


「あの女性は正気じゃないように見えますが?」


『だから、奉仕が終わってねえのさ。

 偶然か、自分で猫を追っかけたのかは知らねえが……最初にこの異界へ辿り着いた時に、奉仕が足りなかったんだろうぜ。

 人間でいう借金? みたいなモンだよ。

 この集会場の猫が満足するまで何度でも奉仕に通うのさ』


「……えげつないですね」


『くくく、オイラも含めて、この場にいるのは化け猫ばかりだぜ?

 "神秘"ってのは畏れられてナンボの世界なんだよ』


 星司とマタが話している間にも、別の入り口から大学生くらいの男性が入ってきて餌やりを始めていた。

 そして、OLの女性が準備した餌と水が無くなると、一匹の黒猫が女性の目の前に座り込んだ。

 すると、夢見るような女性の顔が一気に引き締まった。


「はぁぁぁぁぁ……」


 真剣な顔で息を深く吐き出した女性は、座り込んだ黒猫の脇に手を入れると、徐に顔の近くへ持ち上げて……吸った。


「すぅぅぅぅぅっ……はむっ」


「フニャ!?」

──ザリッ!


「きゃっ!? あっ……」


 吸うだけでなく甘噛みもした女性を引っ掻いた猫が脱出すると、女性は名残り惜しそうな顔を一瞬してから、再び夢見心地の顔となって集会場から去っていった。


「……」


『畏れられてナンボだが、人間が恐ろしいのも間違いないぜ……』


「あはは。なんか、すいません……」


『まぁ、見て分かっただろう?

 この異界に囚われるってことは、猫を吸うために足繁くこの異界に通う"猫奴隷"になるってことなんだぜ』


「幸せそうではありますね」


『だなぁ……。まぁ、お前さんがアレに混ざりたいなら止めねえが、一応、オイラのレッスンとしては異界の脱出が目的だぜ。

 方法は問わねえが……"神秘"と関われば異界に巻き込まれるのは間違いねぇんだ。

 魂が賭けられていると思って、油断せずによく考えろよ』


「魂が賭けられているですか……。

 なるほど、慎重に考えてみます」


 この場所に連れて来られた理由を明かされた星司は、異界の脱出方法を考え始めた。


("神秘"の世界……異界ですか。

 修正力が及ばないということは、マタさんが秘術と呼んでいた能力を使うことが前提となりますね。

 "異界の主"に認められる条件は猫への奉仕ですが、恐らくは集会場を破壊したり、猫達を倒すことでも脱出できるのでしょうね。

 ……マタさんが許すとは思えませんが。

 他には路地への出口は空いていますので、強引に脱出することもできそうですね。

 多分、父さんに憑いていた呪いみたいに猫への奉仕を強制するチカラが襲ってくるのでしょうが……それを【霊視眼】などで撃退すれば良さそうです)


 考察を済ませた星司は、マタに脱出方法を答えようとしたが、その瞬間、


──ズキン!!


 右眼が疼く。


「……くッ!?」


『んニャ? どうした?』


 咄嗟に右眼を押さえた星司を訝しげにマタが観察している間にも、疼きは強まり続け"記憶"が根幹へと流れ込んでいく。



────誰かが、星司を視ている。


『"星霊の記憶"を継ぎし器よ。

 此度、目覚めし星霊は、惑星アイボールにおける最も広大な森林地帯であり、大陸の中心に聳える聖地"星眼山脈"を囲む境界線でもある"星獣の森"を終の棲家とした開眼能力者である』


 星司の視界が"記憶"を覗く。



 ある大男の物語が視えた。


 その大男は小さな頃から、獣の世話が好きだった。

 家の手伝いで家畜の世話をしながら、柔らかな毛並みに埋もれる生活に満足していたが、ある旅人から世界にはもっと素晴らしい毛並みを持つ獣が存在すると聞いて、その日の内に旅へ出る。

 至高の毛並みを求めて様々な獣と出会った大男は、己が毛並みに癒されながら、己も毛並みを癒やすべきであると悟った。

 同じ獣でも環境によって毛艶が全く異なると気がついたことで、毛艶の改善に生涯を捧げると誓ったのだ。

 その決意は、大男のアストラル体に、特定の事象へ干渉するための変化をもたらすことになる。


 そして、大男はあらゆる毛並みを最高に堪能するための魔なる瞳を開眼した。



 大男は様々な獣を観察し、研究し、検証することで環境を整えた。


 大男は様々な獣に触れて、癒やし、触れて、清め、触れて、縁を結んだ。


 大男は様々な獣と争い、共存を拒むヒト族に厳選した獣の毛並みを触らせ、誘い、深みに嵌めて、溺れさせ……啓蒙していった。


 大男はヒト族の侵入を拒む"星獣の森"にすら受け入れられ、やがて《モフリスト》と呼ばれるようになった。



 焚き火を前に金髪碧眼の大男が丸太の座席に座っている。

 恐ろしく発達した筋肉を美しい毛皮に包んだ三つ目の大男が、額の目だけを閉じた満面の笑顔で口を開く。


『私の開いた"真眼マナコ"は全てのモフ毛を持つモノ達を幸せにする魔眼です。

 貴方が魔眼の全てを知った時、あらゆるモフモフは、この"眼"が齎らす快楽の指先によって虜となっているでしょう。

 さぁ、新たなるモフリストよ!! アイボールのあらゆる獣達をヘソ天させたように、この異星の地にて新たな獣達を幸せに導きましょう。

 始まりの巫女は言いました。

 貴方がモフモフを触る時、モフモフもまた貴方を触っているのです。ああ、なんて素晴らしい真理でしょうか?』


 男性の第三の目がゆっくりと左右に開く。

 隠されていた獣染みた縦長の瞳が──ギョロリと蠢くと、虹彩に肉球に似た紋様が浮かび上がり、紫色に輝きだす。


 星司はその輝きの先に、誰かが視えた。


『そして、【健全なるモフミを宿らせし頑健なるトリミングの担い手《モフリストミツゴロー・サファリ》"が撫でし至福の魔眼】が開眼する』


『ワタクシはモフモフなんて言ってません』

────



 最後に無機質でありながら不満そうな声が響いて"記憶"の映像が途切れる。

 右眼の視界が戻った星司は、微妙な表情で呟いた。


「【モフリ眼】……これ以上ないほど状況にマッチしていながら、前提を全部ひっくり返す恐ろしい魔眼ですね」


 ソレはモフ毛あるモノの天敵。

 あらゆる獣を支配するチカラが、強く右眼を疼かせているのだ。



 

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