第3話


「何を言っているのかな」


 わずかに細められた眼の奥底から重く、暗く、鋭利なものが覗いていたし、纏う空気は真冬にさえ経験したことのない、震えるほどの冷たさにガラリと変わった。

 記憶で見るのと、実際に経験するのとではえらい違いだ。もっとも、ファーレンテインには向けられたことのない視線と空気だが。


「口にするのも馬鹿らしいことだが、俺はファーレンテインの生まれ変わりというやつで、ファーレンテインの記憶がある。

 ファーレンテインが死に際に強く思った疑問を解いてやらねば死んでも死にきれないそうでな。『俺の死を望んだのは兄なのか』を知るには本人に聞くのが手っ取り早い。だからわざわざこの屋敷に潜り込んだ。で、どうなんだ。ファーレンテインが殺されたのはアンタがそう命じたからなのか」


 イフナースが信じなくてもいいし、頭のおかしい人間だと思われても構わない。長年の疑問さえ解けるならそれでいい。


「ハ、ハハ……」


 疲れたように、壊れたように、イフナースが声を上げた。顔を覆った手の隙間から歪んだ口の端が見えた。

 ちょっと早まったかもしれん。怖いな。素直に怖い。


「──君がファーレンテインの生まれ変わり? 面白いことを言うね。何が対価で、誰に言われて来たのかな」


 口調だけは幼子に対するソレだが、うん、率直に言おう。怖い。眼が笑ってないし、何も面白いとは思ってないぞ、その顔は。


「別に生まれ変わりうんぬんは信じなくていい。頭のイカれた子どもの戯言とでも流せ。俺が知りたいのはファーレンテインが殺されたのはアンタの命令だったか否かで、それ以外を要求するつもりはない」

「……君が本当にファーレンテインの生まれ変わりならば話してもいいけれどね。証拠はあるかな」

「ない」

「そう。昔のことを話してくれてもいいけれど。私とあの子しか知らないようなことを。

 例えば、ファーレンテインが九歳の冬にとても美味しいみかんを、私が止めたのにたらふく食べたことがあってね」


 ……うむ。記憶にもあるな。まさにはち切れんばかりに食べていた。そんなに美味かったのか。俺も食べてみたい。


「そしてその翌朝に──何が起こったと思う?」

「忘れた。何も覚えていない。断じて覚えていない。むしろ知らない」

「その反応は覚えているね? 言ってごらん」

「知らん。忘れた。覚えてない」


 妙に楽しそうだな、この中年。さっきまでのドシリアスはどこへやった。

 イフナースは含み笑いを隠そうともせず腕組みをして俺を見てくる。


「話せたら、君がファーレンテインの生まれ変わりだと認めよう」


 面白がってるな、クソが。

 ファーレンテインの記憶によれば、九歳の冬に、とてつもなく美味いみかんが手に入ったと振る舞われ、本当に美味しかったらしいファーレンテインはイフナースに注意されても、珍しく聞かずに食べた。食べまくった。「おねしょをしてしまうよ?」と言われても食べた。止まらなかった。

 その翌日に何が起こったかだと? 共感性羞恥がすごい。もちろん、案の定、寝小便を垂れたに決まってるだろう。まだ同室だったイフナースに泣きべそをかきながら相談しているファーレンテインの間抜けな姿と言ったらないな!

 そのイフナースがどんな解決をしたと思う?


「よし、僕のベッドにも水をこぼそう。二人でおねしょしたことにすれば大丈夫、一緒に怒られよう」


 じゃねーんだわ。兄上やさしいっつって感動すんなファーレンテイン。なんの解決にもなってねえわ。後日、羞恥にもんどり打ってたが、遅えよファーレンテイン。

 いいや、俺は何も覚えてない、知らない。まったくなんの記憶もない。


「別に生まれ変わりうんぬんは信じなくていいと言っている。ファーレンテインが殺された理由がアンタによるものなのか否かを答えてくれたらそれで──」

「あの朝、ファーレンテインは泣きながら私を起こして──」

「ア゛ー! ア゛ー!」

「本当にファーレンテインなんだね……!」


 どこで納得してやがる、この野郎。


「質問の! 答えを! くれ!」


 さっきまでの触れるものみな切り刻む雰囲気はどうした! 大好物を前にした駄犬みてぇな顔してんじゃねえよ!


「私はもちろん弟を殺せなどと命じてはいないよ、ファーレンテイン」

「……そうか。やっぱりファーレンテインを殺したのはアンタじゃなかったんだな。……よかった」

「そうとも。よく私の元に戻ってきてくれたね」

「……俺はファーレンテインの記憶があるだけで、アンタの弟じゃない。血だって繋がっちゃいねぇ」

「血なんて」


 慈悲深いにんげんであればしない表情だった。領主だものな。暗い感情を持ってて当然だろうさ。


「君の母親はファーレンテインが生きていたときにこの屋敷に勤めていた。そして君が生まれた。この事実さえあればどうとでもできるさ」

「俺がファーレンテインの子ではありえないと、アンタは知っているだろう。それともファーレンテインの死体を検分をしなかったのか?」

「……ああ」


 イフナースの眼が暗く澱む。しかし奥底に煌々と燃えるものがある。怒りだ。


「母には心底失望したよ。私や父の前では理解ある良妻賢母を気取っていたくせに、裏では君を加害していたなんて。信じられなかったよ、君はあんなにいい子だったのに。それを疎ましく思うなんて。

 気付かなかった自分にも随分と腹を立てたよ。どうして何も言ってくれなかったんだい、ファーレンテイン。言ってくれればどんな障害だって排除したのに」


 実母ですらも、か? マジでよくこんな人間を崇拝できていたな、ファーレンテイン。ポンコツにもほどがないか。脳みそが筋肉だったからか?


「過去は変えられないのだから、今更言っても仕方あるまい。俺は疑問が解けさえすればそれでいい。

 そういうわけで、お暇いたします、領主様。貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」

「もう、そんな他人行儀にならなくても。いつも通りでいいよ、ファーレンテイン

「いえ、まだやらなくてはならないこともありますので。失礼致します」

「相変わらず真面目だなあ。夕食は一緒に食べよう、ファーレンテイン」


 俺は一礼をして部屋を出た。

 さあ、のんびりしていられないぞ。


***


 イフナースは久しぶりに気分を高揚させていた。

 失ったと思っていた最愛の弟が自分の元に帰ってきたのだ。これで、昔のようにファーレンテインと過ごすことができる。

 かわいい弟だった。いつだってイフナースじぶんを第一に考えて行動して、尊重してくれていた弟。

 ハーデン領を円滑に治めるため、憎まれ役を進んで買ってでてくれた弟。何があっても裏切ることはないと無条件で信じられた。

 どれだけ自分の評判が悪くなろうと「兄上が悪く言われなければそれでいい」と笑っていた弟。

 なによりも大事だった。大切だった。当然愛していた。守りたいと願っていたのに、手からこぼれ落ちてしまった弟。

 再び会えたのはまごうことなき奇跡だ。もう二度と離さない。今度こそ守り抜く。


「父上、お早いですね」

「ステーフェン」


 食堂への廊下でステーフェンに声をかけられた。いつも仕事が終わらず、夕食も別々に摂ってばかりだったものだから、珍しそう、というよりも怪訝そうな視線をイフナースを見ている。

 ファーレンテインと一緒に夕食を摂るのが楽しみすぎて、仕事を早く終わらせたとは子どものようで言いづらい。空咳で誤魔化した。


「今日はたまたま書類仕事を早く片付けられてね。ステーフェンもこれから夕食だろう? 私も彼と一緒に夕食を食べたいから、同席させてもらうよ」

「ええ、それは構いませんが……」


 ステーフェンが眉根を寄せて、自分の不機嫌をアピールした。


「一日中、独り占めしていたのに、夕食まで同席するだなんて、父上もよほどステレを気に入ったんですね」

「──」


 どくりと、心臓が嫌な音を立てた。ファーレンテインと別れたのは昼前だ。その後は一度も会っていない。


「でも一番初めにステレを見出したのは僕ですから」

「ステーフェン、彼は」

「それと父上、ステレは女性ですよ。確かに性別が分かりづらい言動をしていますけど、名前だってちゃんと女性のものでしょう?」


 父上もうっかりすることがあるんですね、とステーフェンが笑っていたが、私はそれどころではなかった。


「あの子の部屋はどこだ」

「え? 使用人棟の──」


 まさか、そんな、まさか、そんな馬鹿な。

  書類仕事ばかりで運動不足の体に鞭を打って走った。すれ違う使用人が困惑しているが、気遣う余裕などない。

 息を切らせて、彼……彼女……ファーレンテイン、……ステレの部屋を開けた。

 当たってほしくなかった予測通り、部屋にステレはいない。もぬけの空だ。

 扉を開けた拍子に紙切れが机から落ちた。拾った紙切れには『お世話になりました』と記されていた。

 ああ、私の弟は、還ってくることはなかったのだ。


※※※


 ステレは馬に乗って獣道を進んでいた。鞍がなくて乗りにくいが、仕方ない。できるだけ距離を稼がなくてはならない。野生馬の生息地が変わっていなくて良かった。

 あのまま屋敷にいればファーレンテインとして囲われていただろう。そんなのはごめんだった。疑問さえなくなればあの屋敷にいる必要はないのだ。

 ファーレンテインはハーデン領──ノーテルマンス家の屋敷から出ることを終ぞ望まなかったが、ステレは違う。

 ステレは世界を見たいのだ。ファーレンテインの狭すぎる世界を見たが故の反動なのかもしれなかった。

 持ち物は母の形見の古びた鞄、普段使いのナイフ、わずかな小銭に、少しの保存食。

 庇護者のいない子どもには貧相すぎるが、なんとかなるだろう。してみせる。

 一人で生きていけるように鍛錬をし始めたのだ。奉公人になるための学習はついでに過ぎない。

 山を登り切った先には空に満ちた星空が広がっていた。


「あの星が旅人の目指す星……。あれを目指して駆けようぜ、相棒!」


 馬は不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、鼻先に差し出されたリンゴに釣られて駆け出した。


 この後、ステレは名を変え、世界を股にかける冒険者となって自由を謳歌した。


「アハハ! 自由てのはいいなあ、相棒!」


 馬はやはり不満げに嘶いた。

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兄の弟だった俺 結城暁 @Satoru_Yuki

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