第2話
使用人の仕事は炊事、洗濯、掃除等の家事代行だと思っていたのだが、あれよあれよとステーフェンに連れていかれたノーテルマンス家の屋敷で、俺はなぜかもてなされていた。
頭のてっぺんから足の爪先まで洗われるのは、まあ、分からんでもない。小汚かったからな。 しかし、用意されていた俺の部屋は個室。使用人の着るお仕着せとは思えない上質な服を与えられ、次期領主と食事を共にするのは使用人と言えなくないか?
仕事をさせるために俺をスカウトしんたんじゃないのか? ステーフェンの考えはよく分からない。
使用人に仕事らしい仕事もさせず、無意味に飾り立て、食事をたっぷりと与える……。もしや、
父親は何も言わんのか? ……記憶にある限りあまり口煩く干渉するような人物ではなかったか。では、母親も?
……旦那に似て妻のほうも呑気……ぽやん……ぬくぬく……とろい……呑気な気性の持ち主だな。楽天家で、お人好しなところもあった。そんな二人によく似た性質を持っているだろうステーフェンのことだ、つまり、おそらく、哀れな孤児に善い事をしたい、という金持ちの道楽であろう。たぶん。そうであれ。
私費であれば何も言うまい。私費でなくとも何も言うまい。ハーデン領の財政が傾いているとは聞かんからな。
何より俺にはなんの関りもないことだ。
「おかわりもたくさんあるから、遠慮せずにどんどん食べてくれ」
「心遣いに感謝いたします」
でかく、ごつく、広い机の上には光り輝く皿がいくつも乗り、その皿の上には肉、魚、新鮮な野菜に果物、と色とりどりの色彩が溢れんばかりに乗っている。
冠婚葬祭並みのご馳走なのだが、悲しいかな、粗食ばかり食べてきた子どもの腹はすぐに満ちる。そして、一気に食べすぎると腹を壊すかもしれんので、腹八分でやめておく。気持ちとしては腹いっぱいたべたかったが、腹痛になっている場合じゃないのだ。
ファーレンテインは気軽に食い残したりしていたが、生まれてこのかた貧乏生活をしてきた俺には分かる。ファーレンテインはクソ野郎だったな。料理人に謝らせたい。無論、土下座でだ。
「もういいのかい?」
「ええ、満腹です」
「それはよかった! よければこの後──」
やわらかい焼き立てのパンも、香ばしく焼かれたぶ厚い肉も、瑞々しい野菜も、具沢山のスープも、俺は初めて食べたが、胃袋が驚きのあまりおかしな挙動をしないかが心配だ。腹ごなしに散歩をしたのちに、素振りをしよう。散歩ついでに近くに何があるのか把握しておかなくては。まだ使用人達の部屋が集まっている屋敷の北側と、ステーフェンの部屋ぐらいしか分からん。
「──で、どうかな」
ステーフェンが何か言っていたらしい。ぜんぜん聞いていなかった。
「話を聞いていなかった」
ついうっかり素の口調が出てしまった。使用人としてまずいだろう。しかし、ステーフェンは俺を叱ることはなかった。
「! そうなんだ、ふふ」
叱るどころか笑っていやがる。今のやりとりのどこに面白いところがあったんだ? 何を笑っているんだ、こいつ。
「すまない、少し懐かしい人を思い出せたものだから」
「はあ」
「これからも敬語を使わないでくれると嬉しいな。僕と君、二人だけの時だけでいいから」
「……わかった」
「それから、よければなんだけれど、鍛錬を見せてもらえないかな」
「なぜだ? そんなものを見たとて、なんの得にもならないだろう」
「なるよ」
ステーフェンは眼を細めたて遠い昔を思い出したような表情をする。先ほどの思い出し笑いと関連があるのかもしれんな。
「君は私の、大好きだった人に似てるんだ。容姿はぜんぜんだけれどね。孤児院で君の素振りを見て、その人を思い出せたくらいには、身のこなしが似ていて……。だから君を屋敷に招いたんだ」
なるほどわからん。何がだからなんだ。
ステーフェンは快活な表情を作った。将来領主になるのだから、二面性くらいはあるか。領主になる気のなかったファーレンテインにはなかったが、その兄にはあったものだ。
にこにこと人の善さそうな笑みを作るのが得意な男で、俺に言わせれば胡散臭いことこの上ない。ファーレンテインは気にしていなかったが。
「僕はその人に憧れていたんだ。彼はとても強くて、素振りだけでそれが分かったんだ。彼の素振りはとても力強くて、それにきれいで、何時間だって見ていられた。いつか、その人のように強くなりたい、って思ってた。強くなって、その人の隣に立ちたい、って。
……でも、それはもう、無理なんだ」
その憧れていた相手がファーレンテインならば無理だろうな。死んでるから。
「――だから、剣の振りが彼によく似ていた君と一緒に過ごせたらと――」
なるほど。俺は代用品か。
言葉の意味に俺が気付いたことに気付いたステーフェンは空咳をしてごまかした。ごまかすのが下手くそか。
「こほん。ええと、だから、その。僕は僕の我がままで、君にここにいてもうわけだから、君はなんの遠慮もしなくていいんだ。何か望みがあればどんどん言ってほしいくらいだ。僕のできうる限り叶えると約束するよ」
「願いはある」
悪戯がバレて飼い主に叱られるのがわかっている犬だったステーフェンが、しっぽをちぎれんばかりの犬になった。
「――領主様にお目通りを願います」
領主への目通りを願ったら、あからさまにステーフェンの機嫌が降下した。伸ばしていた背を丸め、ぶつぶつと呟いている。おい、もう少し取り繕え、次期領主。
「そうかそうか、君も父のほうがいいんだ、そうかそうか。いいけどね、別に。どうせ僕は永遠に二位さ」
「長年の疑問を解消するために聞きたい事が領主様にあるんだ」
「父に? 何を聞きたいんだい?」
「個人情報ですので開示しかねます」
「ああそう……」
不貞腐れたステーフェンだったが、要望を叶えるという言葉に嘘はなかった。俺は翌日に領主――イフナース・ノーテルマンスに会えた。
「初めまして。君が最近ステーフェンが雇い入れたという子だね。私に話があると聞いたけれど、何かな?」
ファーレンテインの記憶にある通りの桔梗色の髪、若草色の眼、穏やかに笑っているように見える表情。記憶にあるより皺が増えていて、老けた印象の、美丈夫……いや、美中年といったところか。
前から思っていたが、実際目にするとかなりの胡散臭さだ。ファーレンテインは彼を至上のものとしていたが。
それもファーレンテインには仕方のないことだったのだろう。居場所のない
「貴重なお時間を割いていただいて光栄です、旦那様。ありがとうございます」
「めったに私を頼らないステーフェンの頼みを聞くくらい、どうってことないから、そう固くならないで欲しい。お茶でも飲みながら話そう」
あくまで穏やかに、人の善さそうな
「話というのはファーレンテインについてのことだ。
ファーレンテインを殺したのはお前の命令だったからか? イフナース」
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