兄の弟だった俺

結城暁

第1話

「死ね、ファーレンテイン! 疫病神めが!」


 俺を背後から切りつけた男が喚き散らした。

 油断した。しくじった。熱があるから、判断が鈍った。体調の悪いときに行動するものではない。おとなしくベッドの中で寝ているべきだった。

 右肩から左腹まで切られたようだ。焼けるようなひりつく痛みと暑さが背中に広がっていく。シャツが血で濡れていくのが分かった。この出血量では助からない。


「誰の差金だ? 欲深い叔父上か、それともこの間小突いてやった成り上がり貴族の馬鹿息子か?」


 男が俺に恨みを抱いている可能性もあるが、個人の恨みだけでは当代領主の弟に自身で手を下す決断はできないだろう。だから、男を唆した黒幕がいる、と踏んでの問いかけだったが、男は激昂して叫んだ。


「そんなもの、領主様に決まっているだろう、このクズ!」

「嘘だ!」

「嘘なものか! 自分がどれだけ領主様に迷惑をかけてきたのか、まだわかっていなかったのか!」


 兄上が俺に死んで欲しいのなら、直接俺に「死んでくれ」と言うはずだ。だから見ず知らずの男の言葉など信じるに値しない。信じない信じない信じない。

 確かめなければ。兄上に会って、直接、確かめなければ。

 しかし男の言葉の真偽も、兄上の考えも確かめること無く、俺は頭をかち割られて死んだ。


***


 俺が死んでから何年経ったかはわからんが、俺が生を受けてから十年が経っていた。暮らし向きがあまり豊かではないせいで、正確な情報が得られない。

 父はおらず、母は女手ひとつで俺を育てているせいだろう、いつも荒んでいる。生活も、性格も。

 機嫌の悪いときはもちろん聞けないし、機嫌の良いときはかつてあった良いこと、嬉しかったことを立板に水の勢いで喋り続けるので聞けない。

 過去は、がいない時分であれば、おそらく気立ての良い、器量良しであったのだろう。そういった面影が見てとれる。勤め先で一番の美人であった、とは酒に酔った本人の談である。

 好きだった男との子だからやむなく俺を育てている、といつも愚痴を言っているが、母よ。それは妄想ではないか。

 何せ貴女の懸想した相手、勤め先であったハーデン領主の館の主人であった元領主の次男は女と戯れに遊ぶことはあっても、本気になることはなかった。万が一にでも子どもができた場合はお家騒動になるからな。そんな下らんことで兄に負担はかけられん、と考えていた。よって、早々に逸物は切り落としていたのだ。それゆえに、次男には子どもなどいない。

 なぜ俺が元領主の次男の下半身事情に詳しいかと言えば、俺にその次男──ファーレンテインとして生きた記憶があるからだ。輪廻転生は知っていたが、まさか自分が記憶を持ったまま体験するとは思わなかった。

 しかし、これは好機だった。幸い、母と暮らしている荒屋は領主の館にほど近い場所にある。母譲りの整った容姿なので、もう少し育てば使用人として潜り込み、ファーレンテインの兄──現領主と言葉を交わすくらいのことはできるはずだ。

 本当にファーレンテインが邪魔になって殺しを依頼したのか、それならなぜ邪魔になったのかを聞く権利はある。使用人になれるよう、己の研鑽を欠かさないようにしておかなければ。

 ──と思っていたのだが。

 母が死んでしまい、それどころではなくなってしまった。

 虫の居所の悪かった借金取りに殴られ、昏倒したのだが、打ち所が悪かったのだ。健康な人間ならば回復の見込みもあっただろうに、常日頃の不摂生が祟り、目覚めることなくあっさりと御空に旅立った。

 殺人を犯した借金取りは捕まり、俺は借金を帳消しにするため遺産を放棄した。しかし住む場所もなくなった。

 領主の屋敷に未成年の孤児がいきなり行っても採用されるわけもなし。まずは孤児院に身を寄せるしかないだろう。

 まったく。記憶があっても、人生はうまくいかない。そういう星の下にでも生まれてしまったのだろう。ああまったくままならない。

 嘆いても何も始まらない。俺はさっさと荷物を纏めて荒屋をあとにした。


「ねえ、あの子ども、ベアトリクスの子よね?」

「母親が死んだのに泣きもしないのかい、薄情だね」

「前々から変な子どもだと思っていたけど……」

「母親を殺したのはあの子どもなんじゃないのか」

「いやだ、やめてよ。あんな子どもにできるわけ……」

「わからないぞ、借金取りを丸め込んだのかも」

「ろくに笑いもしない、愛想の悪い子だったから、気味が悪かったのよね」

「母親が狂うわけだ」


 いつもはろくに挨拶も交わさなかった近所の人間たちが集まってきていた。

 一応、訂正しておくが母は狂ってなどいなかった。学がなく、金がなく、結果、まともな職に就けないのを周囲から見下され、馬鹿にされていたのを気にして卑屈になっていただけだ。その見下し、馬鹿にしていた人間たちは自分たちのせいだとは露とも思っていないらしい。

 ちなみに愛想の欠片もない俺のことは「ファーレンテイン様に似ている」と気に入っていた。似てるか? 母親似であるので、せいぜい眼の色が気のせい程度に似通っているだけだぞ。曇ってヒビの入った鏡でしか見たことのない色味など正確性に欠けるが。


 孤児院でも何事もなく日々が過ぎていく。

 孤児院では大人が子ども達に読み書きを教えていたが、俺には必要なかったので、木刀で素振りをし、走り込みをして筋力、体力作りに努める。子どもの体は弱くていけない。

 掃除や裁縫の家事類も母が生きていた頃からやってきたことだから、問題はなかった。大人たちは「これならすぐ里親が見つかりそうだ、良かった」と話していた。

 領主の屋敷へ奉公に出られるならどんな里親でも構わん。長年の疑問を晴らしたい。使用人として雇われるには何ができれば有利なのだろう。

 とりあえず、大人たちの教えてくることはすべて覚えることにした。

 俺が孤児院に入ってから初めての冬が来た。

 冬は秋までに蓄えた備蓄を消費しながら春を待たなくてはならない季節だ。気が滅入る。

 しかし新年を越せば春も間近だ。年が明けてからささやかなごちそうを食べるのが孤児院の習慣らしかった。


「領主様がね、わざわざいらっしゃって、貴重な肉を分けてくださるの。猪や山鳥の燻製でね、スープに入れるととっても美味しいの。だからみんな領主様のご来訪を心待ちにしているのよ」


 それは領主を待っているのではなく、肉を待ち侘びているのでは。

 そう思ったが、口にはださないでおいた。

 しかし、なるほど。領主が来るのか。ファーレンテインの記憶にある通り慈悲深いことだ。ファーレンテインが獲りすぎた獣はこうして消費されていたのか。そういえば、孤児院に誘われた記憶があるな。俺の役目ではないとファーレンテインは断っていたが。

 兎にも角にも、領主に真実を問う絶好の機会が到来した──と、思ったのだが。

 侘しい孤児院の食卓に肉をもたらす領主様は子どもたちに大人気だった。新参者が近付けるはずもなかったな。来年以降にでも、また機会をうかがうとしよう。


「あら、ステレは領主様のところに行かなくていいの? お菓子をもらえるみたいよ?」

「もう挨拶はすませたので。それに甘いものは好きではありません」


 炙った魚介の干物で一杯やるほうが好きだ。母が酒飲みだったから、匂いで味を覚えたのだ。この体が成人するまではおあずけだが。

 領主も席に着いての昼食会はつつがなく終了した。大人の言っていたように干し肉の入ったスープは美味かった。狩りの許可が出たら狩ろう。いきなり鹿や猪のような大物は無理だから、まずは罠を張って兎か鳥を獲れるようにならなくてはな。肉は美味い。これは真理。

 垣間見たファーレンテインの兄は記憶にあるよりも、やはり歳を取っていた。領主業を真面目にこなしているのだろう、疲れているようだ。それでも他に心配をかけまいと微笑んでいる。まったく上に立つ者の鑑、というものだな。

 炊事場で片付けを手伝っていると食卓のほうが騒がしくなった。別れの挨拶でもしているのかもしれない。


「ステレ、ここはもういいから、あなたも行っていらっしゃい。領主様が新年のお祝いをくれるのよ」


 孤児に贈り物とは太っ腹な。人数分はもちろん用意してあるのだろう。しかし、別に欲しいものはないし、並ばなかったとして、もらえないこともあるまい。

 結論。並ぶのがめんどうだから鍛錬する。


「あとで貰います。鍛錬をしているので、用があれば裏庭にいますので」

「え、ええ。いってらっしゃい」


 本当にいいのかしら、と大人が困惑していたが、本当にどうでもいい。鍛錬して、ついでに昼寝する。子どもは体力がないんだ。

 騒がしい食卓を過ぎて裏庭に出られる廊下をすすむ。途中に玄関が目に入るのだが、ノックの音が聞こえた。来客に気付いてしまった。

 早く裏庭に行きたかったが郵便だろう、と扉を開けた。が、扉の向こうにいたのは郵便配達人ではなかった。いたのはファーレンテインの兄によく似た若者だった。

 ……もしや、ステーフェンか?  ステーフェンはファーレンテインの兄の息子、つまりファーレンテインの甥だ。ファーレンテインが頭をかち割られて死んだ年に七歳だった。

 立派に成長したようだ。彼の父親もさぞかし鼻が高いだろう。


「こんにちは、初めまして。ハーデン領主の息子、ステーフェンです。遅れて申し訳ありません。父はもう来ていますか?」

「ようこそおいでくださいました。領主様は食卓にいらっしゃいます」


 まだ領主業を継いだ訳でもあるまいに、慈善事業の手伝いをしているのか。感心な。

 ステーフェンを食卓の手前まで案内して裏庭に回る。なぜかステーフェンがついてきている。


「何かご用ですか」

「君は食卓に行かなくていいのかと思って」

「ええ」


 ステーフェンの視線は俺の木刀に向かっている。そこらにある木を削って作ったものだ、そう珍しいものではないが。

気にしても仕方がないので、素振り開始。

 一、二、……、十、十一、……、二十……三十……、……五十。ハア、フウ。

 ……子どもの体はすぐ疲れる。記憶にあるように百でも千でも振れるようなりたいものだ。

 ステーフェンはまだいる。相変わらず人の素振りを見るのが好きなのか。物好きな。人が木刀を振っているのを見て何が楽しいんだ? 見ているくらいなら自分も振ればいいものを。


「……君の、その、剣技、は」

「剣技?」


 ただの素振りに剣技もクソもあるか。単なる筋力、体力強化のためのものだ。最低でも千回は楽にできるようにならなければ話にならんが。


「剣技などという大それたものではありませんが」

「あ、……き、君は……、君の名前は……?」

「ステレ」

「失礼だけど、君のご両親は……」

「死にました」

「ああ、いや、すまない、その、ご両親の名前は」

「母はベアトリクス、父は知りません」

「ベアトリクス……」


 ステーフェンは何やら考え込んだ。が、俺の知ったことではない。

 日課は終わった。汗を流そう。


「待って!」


 ステーフェンに腕を掴まれた。見えていたのに、クソッ!  鍛錬が足りてねえ。……増やすか。


「君を是非我が屋敷に迎え入れたい!」


 使用人のスカウトか? 素振りで何が分かると言うんだ。だが、領主の屋敷に行けるのなら願ってもないことだ。


「ありがとうございます。昔からお屋敷で奉公したいと思っていたんです。では先生たちに許可をいただいてください」

「あ、ああ! もちろん!」

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