作ってあげたくて

 あの後、神奈川の道を覚えるために、スキルを使わず歩きで帰ったため、袖女の部屋に着くまでかなりの時間を食ってしまった。


 袖女の部屋に入る前に、スマホで時間を確認する。


(げっ、7時か……)



 現在時刻は午後7時。この時間帯はかなりの人が施設の中にいることが予想される。今まで以上に音を立てず、細心の注意を払って窓から不法侵入するとしよう。


「……ただいまぁー……」


「ワウーン……」


 俺が小さな声でただいまと声を出す。それを真似て、ブラックも小さな声で帰りを伝える。


「……お帰りなさい。ずいぶん早かったですね」


「用事がかなり早めに済んだからな、これ以上無理する必要はないと判断した……こんな夕飯時に帰ることになったのは失敗だったけど」


「確かに……今は人が多いですからね」


 この時間帯は自分の部屋に戻ってご飯を食べる人が多い。なので、かなり危険な時間帯だった。誰にもバレずに袖女の部屋に帰って来れたのは、店主のスキルと運の良さに救われたに過ぎない。次からは事前にしっかりとスマホを確認し、時間を把握してから袖女の部屋に入ることにしよう。


 そう心に留めた瞬間、俺はとあることを思い出した。


(……あ、そういえば)


「袖女ー、朝話したかったことってなんだ?」


 今日の朝、袖女は珍しく俺を起こし、何かを聞きたそうにしていた。他愛もない話かもしれないが、袖女に限ってそんな事はないだろう。もしかしたらプロモーション戦絡みの話かもしれない。


 どっちにしろ、聞いておいて損はないだろう。


「いや……いいですよ。もう過ぎた話ですし」


 なんと、袖女は話すことそのものを拒否した。


 これには正直、俺も面食らった。あの袖女がこんな態度をとる事はそうそうない。結構いいづらいこともバッサリ言ってしまうタイプだと俺は思っていた。


 なのにこの反応。明らかに落ち着きがなく、顔も少し赤い。手を体の後ろで合わせ、せわしなく動かしている。いわゆるモジモジした状態。この状態に袖女がなっているのを見るのはゲームに誘われた時以来だ。


「お、おい。いいから言ってみろって」


「ワウ! ワン!」


 俺はすぐさま袖女の肩を掴み、その話を聞かせてくれと催促する。ブラックも聞いてみたいのか、一緒に声を出し始めた。


 いつもの袖女ではない。それだけで、俺の興味を十分に駆り立てる。袖女がここまでいい辛そうにする話だ。聞かないと損である。


「ちょっ!? ち、近っ……お、落ち着いて……」


 それに対して、袖女は更に動揺し、声にもいつもの覇気が消え失せる。


(やはり……何かあるぞ!!)


 ゲームに誘われた時ですら、ここまでの動揺は起こしていない。確実に何かある。袖女が言い出しづらい何かが。


 俺は袖女の静止を聞かず、催促し続ける。


 そしてついに、その時が来た。


「わ、分かりました! 言う! 言いますから!」


 やっと聴けたその言葉。それは俺に妙な達成感と同時に、その内容は何なのかと言う期待感を膨らませる。


「じゃあ早く! さぁ早く」


「えっと……その……」


 何をここまで来て言い淀んでいるんだ。さぁ早く、その口を開いてその言葉を聞かせてくれ。


 その願いが聞き届けられたのか、やっと袖女が重い口を開き、その言葉を口にした。


「い、一緒に……朝ご飯食べようって……その……言いたくて……」


「……はい?」


 その内容に対し、どういうこと? その言葉を口にしようと――――



「ひよりー? どうしたの? 誰かと話してる?」



 廊下の奥から、がちゃりと、ドアノブを捻る音が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る