神奈川の内情

 結局、確信めいた事は何も言えなかった日から一ヶ月が経った日の昼、私は本部にある自室でぼーっとしていた。


 チェス隊は神奈川の最高戦力である。最高戦力であるが故に、その待遇も破格だ。


 神奈川兵士には兵士施設に一人一人、自室が設けられているが、チェス隊は特別。最上階に自室ではなくスイートルームが設けられていたり、1つの任務で発生する金も莫大だ。これはチェス隊が常に最高の存在であると証明するためであり、それと同時に皆の向上心を高めるためなのだ。


「…………」


 しかしその分、チェス隊に回ってくる任務は他派閥へ遠出したり、一般の神奈川兵士では捕らえられない極悪犯罪者の捕縛であったりとどれもこれもが高難易度だ。


(……ま、今の私には縁のない話ですがね)


 まともな任務をもらえなくなってもう1ヵ月以上経つ。外は11月の半ばに入り、肌寒くなってきた頃。本当にやることがないため、こうやって部屋でぼーっとしているというわけだが……


「……訓練でもしますか」


 だからといって、部屋でうじうじしていても変わるものも変わらない。いつ大きな任務を任されてもいいように、体を鍛えなければ。


 私はそう思い、自分の部屋から体を持ち上げ、廊下に出る。廊下には豪華な装飾が施されたランプに、床には高価そうなカーペットが敷かれており、超高級ホテルのよう。私もチェス隊になったばかりの頃は、この待遇に驚いたものだ。


(さて、訓練所は……)


 エレベータを降り、訓練所がある一階へとたどり着く。いつも誰かが訓練をしていて賑わう訓練所だが、今日はいつにも増して観客たちが多く、賑わっていた。


(なんだ……?)


 人混みの間から訓練所を除くと、そこではチェス隊の面々がスキルや体術を駆使して模擬戦をしていた。なるほど、だからかと私の中で納得が生まれる。


 チェス隊は男性人気はもちろんのことだが、女性人気も絶大である。むしろ神奈川内では女性の割合が多い分、女性人気の方がメインと言える。現に訓練所の周りを取り囲んでいる女性たちからは、黄色い声援が発せられていた。


(……訓練所は明日使いますかね)


 訓練所を使うことを諦め、部屋に戻るためのエレベーターに踵を返すと……


「おーい! ひよりー!!」


(げっ……)


 まさかのまさか、なんと踵を返した瞬間、観客たちを掻き分けて天子先輩が目の前に現れた。おそらく、訓練中だったが私の存在に気づき、わざわざ訓練所の外まで来たのだろう。その証拠に顔には汗が滲み、首にはタオルを巻いている。


「どうしたの!? もしかして訓練所使うの!?」


「あ……いや……」


 天子先輩の目から期待が槍のように突き刺さる。それもそのはず、天子先輩はチェス隊の中でも1番私に気を遣ってくれていた。ご飯やお出かけにも積極的に誘ってくれたし、長官に異議を申し立てに行った数少ない人物の1人だ。


 感謝しかない天子先輩だが、今このタイミングだけは都合が悪い。他のチェス隊メンバーなら簡単にいいえと言えたが、心配してくれた天子先輩の前となると、いいえと言うのは気が引ける。


「いや〜……そのつもり……あはは……でしたんですけど……」


 私はそう言いながら、チラチラと目を訓練しているチェス隊メンバーたちに向ける。普通の人間なら、これで察せるはずだ。


「じゃあ行こ行こ!!」


 しかし、そこでブレないのが天子先輩。私の目線のサインなど気にせず、腕を掴んでぐいぐい引っ張ってくる。なんて元気ハツラツな先輩なんだ。その混じり気のない笑顔も純粋さの表れのように感じる。ワンチャンエッチなことも知らないんじゃないか? この先輩。


 それに腐っても私だって黒のポーン。黒のビショップと黒のポーンが話しているのだ。自然と人目を引いてしまう。


(う……この空気……)


 とても嫌だと言える空気ではなくなってしまった。この流れを変えるには、天子先輩以上の権力者の一声が必要だ。


(だけどそんな簡単に……)


「旋木、ほっときなさいな。そんな奴」


(あ、いた)


 そこにいたのは、チェス隊が誇る白のビショップ。


「沙月ちゃん……」


 王馬沙月おうまさつきがそこにいた。



 ……めっちゃ不機嫌そうな顔をしながら。


 

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