神奈川成り上がり編 第十四章 プロモーション
黒のクイーンと黒のポーン
「浅間。入りなさい」
扉の奥から厳格そうな声が聞こえる。その声は聞き慣れているものだったが、その声がいざ自分に来ると、心臓が変な鼓動音を立てる。それは彼と一緒にいるときに鳴るものとは別種のものだ。鳴っている時の心地よさが違う。
「はい」
私はそれに応え、扉を開く。そこにいるのはチェス隊の実質的なトップである黒のクイーン、斉藤美代さいとうみしろだ。
序列的には2位だが、1位の白のクイーンがあまり表に出ないということもあり、実質的なチェス隊のトップには彼女が就任している。
キングもいるにはいるが……もう仕事できるような歳ではない。
「よく来てくれたわね」
「いえ、黒のクイーンの命令なら」
お互いに社交辞令を済ませた後、斉藤さんは柔らかい顔持ちになり、言葉を発する。
「まずは……今回の任務お疲れ様。急な依頼だったのに、引き受けてくれて感謝するわ」
「いえいえ、私もこちらに任務が回ってこなくて暇だったので……」
「……それに関しては申し訳ないわ」
通常、最底辺のポーンでも多忙を極めるチェス隊の1人である私に、なぜ任務が回ってこないのか。それには神奈川で起きたとある一件が関係している。
「私も長官に話してはいるのだけれど……なかなか信じてもらえなくてね……」
「仕方がないでしょう。長官の命令を破ったあげく、敗北してしまったのですから。当然の処罰です」
神奈川での一件から、私はろくに任務がもらえていない。
大阪で1回と東京で1回、計2回まともな任務はあったが、逆に言えばあれ以外任務と言えるような任務をした覚えはない。
(大阪での任務は達成したことになってるけど……ほとんど彼がやったようなものだし……)
いや、これ以上過去のことを考えるのはよそう。ずっとそんなことを考えていては、ずっとそれを引きずってしまう。失敗した時こそ、頭を切り替えて次のことに臨むのが大切なのだ。
「斉藤さん。そんなことよりも、私をここに呼んだ理由をお聞かせ下さい」
「……ええ、そうね」
私の言葉に斉藤さんもはっとしたようで、さっきまでの悩ましげな顔を変形させ、真剣な顔に作り直す。
「今回あなたを呼んだのは……さっきまであんな話をしていて悪いんだけど……黒ジャケットについてなの」
「……黒ジャケット、ですか」
斉藤さんが言い辛そうに言葉を放つ。それもそのはず、私に任務が回ってこなくなったのはこの黒ジャケットに敗北したことによるものだからだ。それに加えて長官命令の無視。任務を意図的に与えないようにするのには十分な理由だった。
まわりからも心配の声をかけて貰ったり、長官に直接異議を申し立てたりしてもらっているが、いまだにその待遇は改善されていない。
(……正直、してもらわなくてもいいんですけどね)
「それであなたに聞きたいことがあって……」
「……え? あ、はい」
危ないところだった。あれ以上考え事をしていたら、目の前のクイーンの言葉を聞き逃すところだった。
私は聞き耳を立て、斉藤さんの言葉を一語一句聞き逃さないように努める。
「……黒ジャケットの強さや能力を教えて欲しいの、今すぐに」
「……なるほど」
なぜ私でなければいけなかったのか。それがようやく理解できた。
現在、チェス隊の中で黒ジャケットとまともに戦ったのは私1人。黒ジャケットと戦ったものの中で生き残っているのはごく少数であり、日本単位で見ても貴重な存在だ。
そんな存在が神奈川にいて、利用しない手は無い。黒ジャケット対策として、どんなに些細な事でも情報が欲しいということだろう。
そこで私は思考をめぐらせる。目の前の黒のクイーンに、彼の情報を渡すか否か。
普通に考えれば渡すのが正解だろう。単純に神奈川の防衛率が上がるし、私が情報を与えることによって、長官にも少しは好印象を持たれるはず。結果的に任務量が戻るかも知れない。
では情報を渡さなかった場合を考えてみよう。情報を渡さなかった場合、長官の印象は回復せず、神奈川の防衛率も上がらない。完全に神奈川サイドの目線で見てみると、デメリットしかないように見える。
しかし、彼とのパイプがある場合、話が変わってくる。
彼の目的は知らないが、彼のやっている行動上、神奈川の兵士とぶつかることも少なくはないだろう。その時、神奈川の兵士がなぜか自分の情報を知っていると彼にバレたら真っ先に疑われるのは誰か。
当然、私だ。
私が情報を漏らしたと別れば、即座に私を始末にかかるに違いない。
もちろん、あの約束もなかったことに……
「……そんなのいやだ」
「え?」
「あ、いや……」
しまった。ついつい本音を……
(……は? 本音?)
私は一体何を言っているんだ。何を思っているんだ。なんで、なんでなんで――――
「で……どうかしら……話してくれる?」
「……はい、もちろん――――」
何を迷う必要がある。ここで言わないことによるメリットなどない。逆に言えば山のようなメリットがある。簡単だ。こんな簡単なことで信用を取り戻せるのなら安いものだ。
そう思いながら、私は話し始め――――
――――
「…………」
私、斉藤美代は浅間ひよりが帰った後、黒ジャケットの事について考えていた。
「……結局、ほとんど何もわからないまま……か」
その後、彼女が話した情報は、ほとんどがこちらの知っているような安い情報ばかりで、彼の素顔や能力の特徴、詳細等は戦いの時、頭を打って覚えていないと言っていた。
「……本当、なのかしらね……」
少し探ってみたのだが、戦い以前のチェス隊同士の会話ははっきりと覚えていた。そんな都合のいいことがあるのだろうか。
百歩譲って頭を打って記憶を失ったのならわかる。だが、記憶を失ったのなら、それ以前のことを多少なりとも忘れていていいはず。
そんなに都合よく、戦闘の時の記憶だけを忘れてしまうことがあるのだろうか?
「……少し、警戒する必要があるわね」
私はそう言いながら、机の棚にある要注意リストに浅間ひよりの文字を入れた。
――――
「はぁ……結局言えなかった……」
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