楽しい楽しいお祭りの始まり その4

 至福の時。


 生活の中で感じる幸せな瞬間。そういった時に使われる言葉だが、そんな言葉があるのなら、今がまさにその瞬間。至福の時と言えるのだろう。


「おかえりなさいませー!」


「お待たせしましたー!!」


「…………ふっ」


 あまりにも眼福すぎる光景に、口から笑いがこぼれる。最近笑ったことがなかったので、自分で自分の心が楽しんでいるんだろうなと感じた。


 本来、今頃俺は職員室に何らかの方法で潜入し、職員の情報を集めていたことだろう。


 昔の俺なら許さなかった。昔の俺ならこんな奴が仲間にいた時はぶん殴り、無理矢理にでも任務を進めていたに違いない。

 だが、いちど休息を取ってしまった肉体と言うのはすぐには仕事に戻らない。注文したアイスを食う手が止まらない。脳が仕事を拒否している。


(よく考えれば、今まで大変なこと続きだったし……たまにはこんな休息も必要だよな。うん)


 心の中で今の俺が行っていることを正当化する。午前中しか動ける時間がないと言うのに、メイド喫茶に寄るという愚行。

 ここで脳を切り替えないところに人間としての性能の無さがうかがえる。ダメ人間とはまさにこのことか。


「んぐっ…………と……あ、すいませーん、コーヒーください」


「はーい!!」


 さっきも言った通り、午前中しか時間がない。だが、今の俺にそんな思考回路は存在しない。アイスを食べきった後、すぐさま食後のコーヒーを注文する。


 コーヒーは普通に砂糖とミルクを入れて飲むタイプの人間だ。ブラックを頼むやつは味蕾みらいが死んでいるとしか思えない。

 コーヒーは自分の好きなように砂糖とミルク、何ならシロップも入れて飲むのが至高なのだ。飲む人間の好きなようにカスタマイズする。それが1番だろう。

 いや、まてよ? それならブラックを頼む人も自分の好きなようにカスタマイズしていると言えるのではないだろうか。ブラックを否定してはいけないかもしれない。


 そんなくだらないふざけたことを考えていると、1つの話し声が耳に入った。


「していて…………」


「なる…………東京……彼女……」


(…………ん?)


 隣の席で、質の良さそうなスーツを着こなした30代ほどの2人の人物。おおよそメイド喫茶の雰囲気にそぐわない2人の会話が、俺の興味を向けさせた。


(東京? 彼女? こんなところで女漁りか?)


 ここは30代の男達が女漁りできるほどゆるい場所ではない。しかも高そうなスーツを見るに、そこそこの重役だろう。


 女がらみの話に日本男児が反応しないわけがない。俺は男達と反対方向に頭を向けながらも、しっかりと2人の会話に聞き耳を立てていた。


「それとは別の話なんですが…………"器"の方はどうなってるんですか?」


「前とは少し変わっているようだが……一応、安定はしているようです。"器"としての役割はなんとか果たせるようになっているかと」


(……あ? 何の話だ?)


 女の話から器の話になった。文化祭では器は扱っていない。百均に行けよ百均。あそこならいくらでも売ってるから。


(何の話してんだ……聴いて損した)


 いくらメイド喫茶といえども、男達の胡散臭い話を聞くと萎えてしまう。ついさっきまでの至福とも言える時間から覚めてしまった。


(午後になるまで……あと1時間か)


 時間はもう残り少ない。だが1つの部屋を調べる位の時間は残っている。そろそろ出発するのが吉だろう。


「よし……行くか」


 俺は食べた分の会計を済ませて、メイド喫茶を出た。







『…………メイド喫茶は楽しかったか?』









「…………すいません」





 完全に忘れてた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る