幕間 袖女の報

「よいしょ……」


 私は腰を持ち上げ、彼が食べ終わった卵粥の器をキッチンへ運ぶ。こんな事をしていると自分がまるで看護婦をやっている様な気分になる。


(……覚えてて……くれたんだ)


 神奈川で彼が宣言したたった一つの約束。私の前では膝をつかないと言う約束。私でも忘れていた約束を彼は覚えて、守ってくれた。


「…………」


 私の中で、私自身でもよくわからない感情が渦巻く。悔しい感情でも、嬉しい感情でもない。ただひたすらにモヤモヤする。だけど嫌な感覚じゃない。なんだかそんな感じだ。


(……ああ!! もう!!)


 私は頭の中のモヤモヤを頭を振って考えない様にする。せっかく彼も私も無事に生還できたのだ。今はそれを喜び、疲れを取る時間だろう。


 私はこの感情をとりあえず頭の隅に置き、他の事について考える。



「…………」



 ついさっきまで、彼の話を聞いていたのだが、私でも凄いと思うほどの観察眼だ。一つ一つの事に着目し、それが見事に相手を攻略するための道筋につながっている。私を倒した時も、そうやって倒したのだろう。


(私も……できるかな……)


 彼が持つその技術を私も習得できれば、他のチェス隊団員にも通用するかもしれない。


 しかし、戦いの中で観察すると言うのは思いのほか難しい。目の前の敵だけではなく、それ以外も見ながら戦わなければならないのだ。目の前の席に集中せず戦う事の難しさを、私はよく知っている。


(だけど、時間をかければ……)


 いつかはできる様になるはず。そう心に決め、卵粥の器を洗い終わったその時。


ピロリン


「……ん?」


 瞬間、持っていたスマホの通知の音が聞こえた。彼はスマホを持っていないらしいが、私には神奈川からの任務があるため、スマホを大切に所持していた。


 私は服のポッケからスマホを取り出し、何の通知が来たのかと思いチェックすると、案の定、スマホには通知が入っていた。どうやら今の通知音は空耳ではなかったらしい。


 そして、その内容は……


 "任務完了。ただちに神奈川へ帰還せよ"


「え……?」


 任務完了。その文字は私にとって意味がわからず、食器洗いのためにせわしなく動いていた体を一瞬にして止めた。


(任務完了……?)


 今、私に出されている任務をこなした覚えはない。しかし、私のスマホには、確かに任務完了の4文字が現れてきている。


「…………」


 神奈川は服に付与エンチャントを搭載しており、私の位置は100%分かり切っている。つまり、この命令を無視すれば神奈川にバレてしまう。そうなってしまえば、彼にも被害が及ぶかもしれない。



(終わり……ですね)



 そう感じた私の行動は早かった。









 ――――









「…………凄まじいね、彼は」


「まさか牛以外の出動した十二支獣が全滅とはな……」


 とある1室。ベドネとネーリエンはお互いにテーブルに座り、話し合いを行っていた。


 ベドネはニコニコと上機嫌そうな顔で、ネーリエンは真剣そうな顔。対照的な2人だが、今は特に対照的だ。


「正直言って、今回のは僕たちにとっても大きな損害……無視して良いことでは無いねぇ」


「……その割にはうれしそうだな」


「そりゃあ嬉しいさ。彼の強さが僕の期待の大きく上を行っていてくれていたからね……ますます彼に興味がわいてくる」


 ネーリエンはベドネの発言に対して、何言ってるんだと言葉ではなく顔で表現した後、時間の無駄だと思ったのか、その顔での表現を止め、言葉でベドネに話しかける。


「……ベドネ。お前から見てあの男はどう思う」


「強い。それしか言い様がないよ。機敏な動きにあのパワー。牛の弱点を見抜く観察眼。単純な分、対策がとても難しいタイプだね」


「やはりそうか……最低でもスキルはハイパーはあるな」




「…………いや」




「master《マスター》もあり得る」




「……本当に言っているのか?」


「僕が君に嘘をついた事があるかい?」


「無限にあるが」


「そういえばそうだったね」


 ベドネとネーリエンは慣れた雰囲気で漫才の様な会話を披露する。一瞬ネーリエンも少しニヤついた様にフッと笑うがすぐに真剣な表情に戻った。


「申し訳ないが……お前のその予想はありえない。もし彼がマスターならば、他の派閥が黙っていないはずだ。少なくとも、彼の出身地の派閥ならば放って置かないはずだ」


「だけど、彼の実力はもうマスターのそれだ。僕はハイパーで十二支獣を5体も倒せる人物を見た事がない」


「…………」


ネーリエンはベドネに放たれた言葉が図星だったのか、黙りこくってしまった。


「……ともかく。彼をこのまま野放しにしておくわけにはいかない。早急に彼の顔を残りの十二支獣達に覚えさせて捕獲しよう」


「……そうだな」






 底辺男の闘いは彼の知らないうちに激化していく。






「ぐ〜…………」






 彼がのんきに寝ているうちに。

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