策と約束

「なっ……!」


 目の前に現れた"奴"と言うのは、もちろん牛の事だ。視界を覆い尽くすほどの巨体。その肉体からは、一撃でも攻撃を受けるだけで戦闘不能になると言う事を見ただけで理解できるほどの威圧感を放っていた。


「……あ」


 その時、私は直感で理解した。理解してしまった。



(死ぬんだ……私)



 私は間違いなく牛には勝てない。というか認識ができていても、体が反応してくれない。


 牛は既に蹴りの体制に入っている。それに比べて、私は反応が遅すぎて防御もまともにできていない。


 そんな状態で牛の蹴りを受けてしまえば、骨折はもちろんの事、折れた骨が内臓に刺さったりして、体がぐちゃぐちゃになる事は間違いない。そうなれば間違いなく絶命してしまう。


(ああ……くそっ……)


 結局、私は彼の役に立たなかった。彼の事が心配になって家から飛び出したはいいものの、やった事はただ眺めていただけ。彼からは邪魔と言われる始末。


 ……最終的に、彼の邪魔と言う言葉は正しかった。


 戦場で役に立たないなら、兵士でいる意味はあるのか。




 人に必要とされるために、神奈川の兵士になったのに。




 人に必要とされるために、戦場を居場所にする覚悟を決めたのに。




(最後の……最後まで……)




「必要と……されなかっ……」




 私が今の思いを口にする事も、牛は許さず。









 その蹴りは、私を殺めるために発射され…………










 その蹴りは、他の誰かによって受け止められた。



「……ふぇ?」



「痛ってぇー……」



 この状況下で、なおかつ私を助けてくれる人など、たった1人しかいなかった。



「何やってんだよ……まったく」



 彼だ。彼が自分の腕をカードに使い、蹴りを受け止めていた。


 大阪に来て、1番私のそばにいてくれた彼、だけど名前も知らない彼。


 そんな彼が、ボロボロの体で私を守ってくれた。


「…………」


「おい。動けるんだったらとっとと離れて……」


「……んで」


 そんな私が、1番に感じたのは、彼への感謝でも尊敬でもない。


「なんで……」


 それは、私の中にずっとため込んでいたもの。ずっとずっと感じていた……



「なんで私を……助けたんですか!!」



 罪悪感と劣等感だった。



「何の役にも立っていないのに!! いざ駆けつけてこのザマなのに!! なんで、なんで!!!!」



 私は今まで、その2つの感情にまみれながら生きてきた。


 才能ある人間には実力を何度も見せ付けられ、私の事を何も知らないのに、周りの人間はまるで私が悪い事をした様に、私を咎めた。そしてそれらから才能ある人間が自分勝手に私を守る。まるで見下すかの様に、優しくて甘い言葉を私に囁きながら。


 今回だって、何の役にも立っていない。兵士と言う戦場に命を捧げる仕事をしていながら、ただの邪魔にしかなっていない。




 そんな奴、死んだほうがマシなのに。




 今までため込んでいたものを、まるで子供の様に言葉に乗せ、彼に向かって吐き出す。


 彼に吐き出すべきではないと言う事はわかっている。彼は関係ない。


 しかし、目の前で、何の役にも立たなかった私を守る彼を見て、押し込んでいた感情が爆発した。




 ……ただ、彼だけは違って欲しかった。




 私を守るだけ守って、見下した目で見てくるあいつらとは違って欲しかったんだ。



「なんで……なんでぇ……」



 視界が水の中の様にぐらぐらと揺れる。砂埃でも入ったのだろうか、目からじわりと水分が溢れる。誰かにどう思われようと、涙は流さない自信があったのに。彼に裏切られたわけでもなく、私が勝手に裏切られたと思っているだけなのに。



(なのになんで、こんな…………)



 彼があいつらと一緒かもしれない。そう思っただけで。




 ……………………




 そんな事を考えていると、遂に彼が口を開いた。



「…………ッ!!」



 彼が口を開いただけなのに、体が過敏な反応を見せる。彼の言葉が怖い。彼の言葉を聴くと、私の全部が壊れてしまいそうだから。



 しかし、彼から放たれた一言は――――





「…………約束」





 予想もしていない一言だった。





「……約……束……?」





 約束なんてしていただろうか。というかそもそも、大阪に来て彼と約束なんて、1度たりともしたことはない。


(そんなの…… 1度も……)



「膝をつかないって……約束したから……!!」



「あ……!」



 それは、遠い昔に感じる記憶。私が彼に殺されかけた戦闘の前に、私に向かって放っていた言葉だ。


 そういえば、私の記憶の中に、彼が膝をつく姿はない。




「お前が死んだら……約束も守れないだろ?」




「…………」



「だから……約束を守るために……お前は"必要"なんだ……死んでもらっちゃ困るんだよ……!!」




 それは、私のためにとか、甘い言葉とか、そんな偽善くさい言葉ではなかった。


 本当にただ1つの約束のため。それを守ると誓った自分のためだけに、彼はこの行動をとっていた。


「……ははっ」


 深く考えていた自分が馬鹿みたいだ。これじゃただの面倒臭い女。私の深読みも、時間の無駄だったと言う事か。



(……だけど)



 彼はあいつらのような人ではなかった。その事実だけで……



(ああ…………)



「よかった…….」






「そんな事より……見てろよ袖女」




「お前の前にいる俺が……あの牛野郎に勝つところをな!!!!」

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