絶望感


「ひぎゃあああ!!!!」


 折れ曲がった腕を見て、自分でも情けないと思うほど悲痛な声を上げる。


「ぐああ……ひぐう……」


 私はその痛みに耐えられず、残った右腕で左腕を押さえ込み、中腰になってしまった。


 ……戦いにおいて、そんな事はしてはいけないとわかっていたのに。



「あ……」



 私がそのことに気づいたのは。



 私の腹に、牛の大きな拳が打ち込まれた週間だった。



「へぐっ…………」



 腹の中にある肺から、一気に空気が口へ流れてくる。あばらが折れる音が聞こえる。今までの人生の中で、ここまでの痛みを感じたのは、彼に手首を刺されたぐらいだ。



 そしてそのまま、私は後ろに吹っ飛び……



 吹っ飛ぶはずだった。



「きゅあ……へ?」



 私はそれに違和感を感じ、吹っ飛ぶはずだった後ろを振り向く。


(……あ)


 そこにあったのは大きな手。普通の男ではなし得ない、尋常ではない筋肉が詰め込まれた手。


 その手で私は背中から支えられ、後ろに飛ぶ事なくダメージを受けたのだ。


(……ああ)


 つまり私は、この牛に包み込まれるような体制になっている。



 つまりはもう……



 逃げられない。



「うぶっ!!」



 そんな事を考えている間に、もう一撃。胸の下あたりにたくましい腕がめり込んでくる。


 ついさっきと遜色ない一撃に、口からは空気ではなく、血が少しずつ垂れてくる。


「ごヒュー……かひゅ……」


 もう言葉も出てこない。リアクションもろくに取れない一撃。私にできる事は、もはやオーラを体に纏い、必死に痛みを堪えることだけだった。









 ――――









「グオオ……」


「……ふぁ……ふぃ……」


 もう何発殴られたかわからない。ボコボコに凹んだ腹。腫れた目元。関節が大量に増えた腕。常人が見れば卒倒してしまう様な、とても見ていられない姿になっていた。


(こんな姿……旋木先輩が見たら怒るだろうな……)


 人は傷つき続けると、どこかどうでもいいことを考えてしまうらしい。


 きっと、本能的にこれで痛みを和らげようとしているのだろうが、そんな程度でマシになるほどヤワな痛みではない。


(いたい……な…………)


 口からは血が溢れ、そのせいで声を上げることすら許されない。


 痛み痛み痛み。


 目も霞んで見えなくなってきた。普通は体が重くなるはずなのに、体がふわふわしている感覚に包まれる。


 ついに迎えが来たのだろうか。だとしたら未練はないだろうか。頭の中を弄り、やり残した事はないかとチェックする。


(ああ……そういえばありましたね……)


 頭の中に残った、たった1つの未練。大阪派閥に来た時には、戻るのに必死で忘れていた、私にとっての生きる原動力。







(せめて……死ぬ前に…………)







「見返して……やりたかったなぁ」






(くそぉ……)






 顔の目の前に、大きな拳が迫ってきて。






 もう一つ、大きな手が大きな拳を力強く覆って。






 私の意識は、そこで途切れた。









 ――――









「……なにやってんだお前」


 鼠を殺害した後、屋上に戻った俺を待っていたのは、無傷の牛と、俺の時よりひどい状態になった袖女。


 牛は腕を大きく振り上げ、袖女にとどめの一撃を誘うとしていた瞬間。


 俺は空気反射で一瞬にして袖女のそばまで移動し、拳を受け止めていた。


「……だから行かせたくなかったんだ」


 俺はそのまま、拳を受け止めていないもう一方の手で、牛に向かって攻撃を仕掛ける。


 しかし……


「……ッ!」


 俺の拳が着弾しようとした瞬間、牛の姿は消えてなくなった。


「おいおい……最近は消えるのがブームなのか……?」






 夜はまだ、終わりそうにない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る