虎の子
目の前にあるのは、血まみれになった彼と、血が多量に付着したブラック。ブラックに付着した血は、おそらく彼を引きずった時にまとわりついたのだろう。
「ウゥ……」
ブラックも相当弱っている。それもそのはずC市からこのマンションまではなかなかの距離がある。少なくともスキルなしでの徒歩で行けるような距離ではない。
それを人間よりも小さい体で、人を引きずりながら歩いてきたのだ。ここまで帰って来れただけでも奇跡といえよう。
「…………こんな事考えてる場合ではありませんね」
こんなところで彼を放置していてはいつ発見されるかなど時間の問題。すぐさま血まみれの彼に近づき、肩からグッと持ち上げ、部屋の中へ入れる。
彼には申し訳ないが、とりあえずベッドに横になってもらおう。
すぐには病院に運べないので、まずは応急処置だ。
包帯等に関しては問題ない。彼の任務が危険なものだということがわかっていたので、そういうものに関しては充実している。
5分後、包帯やギブスなどで応急処置を施す。まがいなりにも黒のポーンとして最前線を張っていたのだ。これくらいはお茶の子さいさい。そこら辺の医者位にはできる。
「しかし、この出血量は……」
応急処置程度でおさまる出血量ではない。この傷口の量の割には血の量はそこまで多くはないが……それでもかなりの出血量であることは間違いない。
すぐにでも病院に連絡し、本格的な手術を受けなくては。私は小走りで部屋を移動し、電話に手を伸ばす。
だが、ピタリ。
ピタリと伸ばした手が止まる。手を伸ばした瞬間に、脳内に走った考えが私の動きを止めていた。
(……病院に連絡していいのか?)
病院にこんな状態で連れて行けば、何があったか聞かれるのは必死。事故にあったとかでごまかせるような怪我の状態ならよかったのだが、彼の体には、打撲や右足の骨折、果ては左拳の中側から破裂したような負傷。自動車事故とかでは絶対にごまかしきれない。金があれば揉み消せたかもしれないが、そんな金は無い。
「……はぁ」
クローゼットに移動し、もともと着ていた黒のコートの内ポケットに手を入れる。
(しょうがないですね……)
正直、この手はまだ使いたくなかった。神奈川の主戦力であるチェス隊でも、個人所有が許されない代物。
"上級ポーション"
政府や病院でしか保有が許されない超回復薬。それを瓶3つ分隠していた。
だが、いくら上級ポーションとは言え、このレベルの怪我を直すのは難しい。
これが"ただの"上級ポーションならば。
この上級ポーションはただの上級ポーションではない。神奈川の高度な科学力とスキルによって作られた、最高品質の上級ポーション。回復力に至っては、そこらの市立病院の物とは一線を隠す回復力を持つ。神奈川から出るときに特例で渡されたのだ。今回はこれを使って不本意ながらも彼を助けるとしよう。
「さて……」
何本かければ良いのだろうか。
……いや、勘違いしないで欲しい。これは本当に貴重な代物なのだ。私でも、使った事はおろか、手にしたことさえなかった物。
この怪我に対してどれくらいの量が適正なのかなんて知ったこっちゃない。
(3本使いますか……)
死んでもらっては困るのだ。確実に生きてもらいたい。
「ほんとに……はぁ……」
いざと言う時のためにとっておいたのに、彼のために使うことになるとは。自分のためにとっておいたのに、損した気分だ。
包帯を解き直し、傷口や口の中にポーションを注ぎ、また新しい包帯に取り替える。
(なんで介護してるんだか……)
殺したい相手を殺せない。逆に助けていると言うこの状況に、少々の苛立ちを覚えるも、これも自分の未来の為だとどうにかして飲み込む。人生もときには我慢も必要なのだ。
「クゥン……」
「…………っと、あなたもいましたね」
ブラックも相当傷ついている。彼ほどの傷では無いにしろ、所々に切り傷や軽い打撲が見受けられた。
ブラックに関しては、表面的な傷より、疲弊によるところが大きい様だ。
元に傷口に包帯を巻き終えると、ブラックはすぐに寝てしまった。
その後、雑巾を持って外に出て、外の廊下に付着した血を拭き取った。自分で自分を褒める事はあまりしないが、今回ばかりは手際が良すぎる。自分で自分を褒めたくなってしまう。
「……………」
やれる事はやった。後はもう信じるしかない。結局は彼の生きる気力次第だ。
私は彼の介抱をしながら、彼が目覚めるのを待ち続ける。
底辺男の復活はすぐそこだ。
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