虎 その4
地響きを立てながら、虎がまっすぐと俺に向かって突っ込んでくる。
普通に考えて当たり前だ。俺が考えている間、わざわざ突っ立って待ってくれるのはありえない。
だが、今だけはその当たり前は当たり前でじゃなくて欲しかった。もう少しだけ時間が欲しい。何とかこれ以上ダメージを受けずに逃げることができる策を。
「ぐ……」
まぁ……策がないってわけじゃない。
あるにはあるのだ。この状況を打開できる1つの策が。確かにあるのだが……
問題なのは、その策を実行に移すための代償だ。ミスってしまえば片腕がなくなる。成功したとしても、骨は間違いなく折れてしまうだろう。
そうなってしまえば、俺はしばらくの間行動不能になる。足が持っていかれている時点でもう行動不能みたいなもんだが、それプラス腕まで持っていかれるなんて言語道断。ただでさえ長くなるであろう治療の時間がさらに長くなってしまう。
(考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ!!!!)
しかし、現実は無情なもので、刻一刻と時間は過ぎていく。1秒、また1秒と、時間が経っていくたびに、横たわる俺と突っ込んでくる虎の距離はぐんぐん縮まっていく。俺と虎が衝突するまで、もう10秒もないだろう。
つまり、その限られた10秒間の間に策を考え、それを実行し、逃げ延びなくてはならない。
(…………無理だろ、そんなん)
無理。物理的に無理、時間的に無理、体の状態的に無理。そんな感情が頭の中でぐるぐると渦巻く。
ああ、駄目だ。こんなことを考えている時間もタイムロスになってしまう。もはや考える時間もない。虎は既にかなり近い距離まで接近しており、もはや頭を回すだけで距離が縮まり、引き殺される。
さらに、虎との距離が縮まることによって、また1つ新たな事実が確認できた。
「あれは……!?」
虎の表面に白いオーラが漂っている。あれが何かはわからないが、良くないものなのは確かだ。
(いや……もうそんなこと気にしてられない!!)
もう考えることはできない。もはややれる事は1つのみ。
最初に考えた策を使用するため、横たわる姿勢から片足でしゃがみこむ姿勢に変え、闘力操作を気絶するギリギリまで左腕に注ぎ、拳を作る。
俺の策は簡単だ。向かってくる虎に向かって、拳をぶつける。ただそれだけでいい。この策において、体を使った行動はもうそれだけだ。これならば、もう残り少ない時間の中でも実行することが可能。
反射と闘力操作を使った応用技。今こそ、2カ月間の特訓の中で見出した新たな可能性。
「行くぞ……!」
俺は、0距離になった虎に向かって……拳をぶつけた。
衝突した瞬間、重厚感のある重い音がそこら一体を支配する。俺と虎を中心とする衝撃により、瓦礫が空中に浮かび上がり、砂塵が巻き起こる。
「ぐおお……!!」
スキルが乗っているとは言え、力のない拳と4メートルもの大きさの虎がぶつかれば、押し負けるのはもちろん拳の方だ。案の定、俺の拳は悲鳴をあげ、その負荷から切り込みが入り血が放出する。
ここまでは想定通り、多少のダメージはもう許容するしかない。むしろここからが本番なのだ。
今までの反射は、攻撃を与えられた瞬間に発動していた。それにより、相手の攻撃を反射し、ノーリスクで攻撃できていた。
だが今は違う。今は攻撃を与えるためではなく、逃げるために反射を使うのだ。
俺はあえて、腕にすぐ反射を使わずに拳をぶつけたのだ。相手の攻撃による衝撃を腕中に伝えるために。
とにかく、反射によって相手に跳ね返る衝撃を自分にも干渉させたかった。
先に言った通り、今までの反射の使い方は、向かってくる攻撃に対して先に反射を使うことで衝撃を相手の方に返し、攻撃し返していた。
しかし、その方法だと相手側にしか衝撃が向かず、こちら側には衝撃が行かない。こちら側に影響がないのだ。なら腕全体に衝撃を受けた後はどうだろう。
相手側から向けられた衝撃が腕全体に響き渡る。それが来た後に反射を使えばどうなるか。俺の拳を中心に、巡った衝撃が反射するのだ。それは相手側にだけ衝撃が発生するわけではなく、拳全体。つまり俺の方にも衝撃が発生する。
もちろん、この虎の突進の衝撃が限りない至近距離で発生すれば、俺ごと吹っ飛んでしまう事は間違いない。だが、それこそが真の狙い。全体に向かって発生した衝撃で、体を吹っ飛ばし、どこか遠くの場所へ避難する。そこまで吹っ飛ばなくても、どこかへ身を隠せばワンチャンあるかもしれない。
もちろん、腕へのダメージは尋常ではないだろう。もしかしたらちぎれてしまうかもしれないが、俺が見いだせる可能性はもうそれしかなかった。
(それに……ただで負けるのは嫌だ)
どうせならば、あの虎にもダメージを与えて逃げたい。
そんなことを考えながら、俺は反射を発動し……
「へっ………」
「ぶっ飛びな」
反射された攻撃が、俺の拳を中心に爆発した。
――――
薄れゆく意識の中、俺がかすかに見たものは。
はじけ飛んでぐちゃぐちゃになった左腕と。
「ワン!! ワンワン!!!!」
(うるっ……せ……)
意識は途切れた。
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