あの言葉

 その後、風呂を済ませた俺たちは、12時を回り袖女は就寝の時間になった。


「じゃ……私はもう寝ますね」


「ん……そうか……」


 袖女が俺に寝ることを伝えると、俺はゆっくりと立ち上がり、寝ようと洋室に移動する袖女の後をついて行く。


「……なんでついてくるんですか」


「お前が変な事をしていないか見張るためだ。万が一、脱走されては面倒だからな……」


「……そうですか」


 見張るためだと言ったが、リビングから洋室までなんて、10秒もかからない。正直、見張る必要もないのだが……まぁ、念には念をというやつだ。


 と言うわけで、難なく洋室にたどり着いた。


 袖女は何の素振りも見せることなく、ただただ洋室に向かって歩いていたため、本当に何もしていないのだろう。とりあえずは一安心だ。


「……わりかったな、つきまとうような真似して」


「いえ……別に」


 問題はなかった。ならばここに俺がいる意味はない。袖女とは逆の方向を振り向き、元いたリビングの部屋に帰ろうとしたその時。


「あの…………」


 後ろから袖女が声を出してくる。物音がない静かな夜では、それはとても鮮明に、とても美麗に聞こえた。


「…………なんだ」


「その、前からずっと気になっていたんですけど……」


「あの時の"お前はまともに俺を攻撃できない"って……どういうことなんですか?」


「……ふむ」


 昨日だったか一昨日だったか、袖女が寝るときに吐いたセリフだ。どういうことと言われても、言った通りのことなのだが……


「……お前が言った通りだぞ? お前は俺を攻撃できない。それだけだ」


「だから、それがわからないって言ってるんですよ」


(ん? …………ああ、なるほど、理由ってことか)


 完全に理解した。


 危ない危ない、もう少しで質問しているのに答えてくれない意地悪な先生みたいになるところだった。

 仕方がない。俺の圧倒的な優しさと配慮により、理由を教えてやるとしよう。俺は寛大なのだ。


「そりゃあ…………」



「お前、俺を怖がってるんだろ?」









 ――――









「……え?」


 私は困惑していた。まるで意味がわからなかった。私がこの男を怖がっている?


(そんなはずはない。だって…………)


 マンション前の時、私は彼を殺す気でいた。何のひねりもなく、何の葛藤もなく、そして何の躊躇もなく殺そうとしたのだ。怖がっているはずがない。


「…………聞こえなかったか?」


「聞こえてますよ……」


「じゃ、そういうことってことで、また明日」


「なっ……」


 待ってくれ、そんなことでは納得できない。


「待ってください! まだ…………」


「…………理解できてないってか?」


 彼の言葉に、私はコクリと頷く。当たり前だ。こちらが理解できていない。授業の内容を理解できず、先生に教えられていない生徒の気分だ。


「……最初の時だよ」


「…………最初の時?」


「万場家での時だよ」


(万場家での…………)


 あの時、私が彼を怖がっていたような事はあっただろうか。彼と出会った時には確かに数奇な運命を感じ、リベンジできることに喜びを感じたが、個人的にはそれだけだ。


 それだけ…………だったはずだ。


「何が「あの時、お前は何故か、途中から急激に焦ったような動きになった……まるでだだをこねる子供の様に……何かを嫌がるようにな」……ッ!!」


「早く終わらせようとしてたんだ。俺がお前の正体をわかっていない以上、圧倒的有利だったのにだ」



 どんどん心臓の鼓動が速くなっていく。何かが無理矢理溶かされるような異物感を感じる。気持ち悪くなる。



 いやだ、やめろ、それ以上溶かすな。



「今考えてみれば、マンションの前での戦闘の時も変だった。俺を殺すのが目的なら、とっとと殺してしまえばよかったのに、お前はわざわざ俺に殺気をぶつけて俺に気づかせた」



 ………………ろ。



「おそらく、俺を殺そうとして抑えていた殺気が漏れたんだろうな…………黒のポーンとあろう者がそこまで心を揺さぶられる何かがあったんだろう」



 ………………めろ。




「その時にも、万場家の時にも、お前の心を揺さぶる何かがあったんだ。そしてそれは、俺に直面する時、必ず見なければならないものだと思った」



 …………………やめろ。




「そして、お前が袖女だとわかった時、謎は全て解けたんだ……お前が何に怖がっているのか…………」




 ………………………やめろ!




「…………それは」





「もう…………やめて!!!!」





「俺だったんだ」





 メッキは剥がれた。









 ――――









 ひよりは怖がっていた。



 何をしても変われない自分に。



 たった1度、負けただけでトラウマになってしまう自分に。





 そして…………












 必要とされない……自分自身に。




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