事情聴取
黒の人物の正体は袖女だった。
……まぁ、うすうす感づいてはいたが。
どのタイミングで感づいたのかと言うと……
「スキルを使いすぎましたかね……」
「……ま、そういうことだ」
とは言っても、俺が初めて気づいたのはついさっき。黒の人物に向かって殴りかかろうとした時だ。
見えない何かに攻撃された時は、確かに似ていると思っていたが、この世界は人間で溢れている。同じようなスキルを持つ人間なんてこの世に山ほどいるだろう。
その時は断定できなかった。
その時は。
俺が確信を持ったのが、殴りかかってくる俺に対して黒の人物のとった行動だ。
俺たちの距離は3メートルほど離れており、飛び道具でもなければ攻撃が届く事は無い。
なのにも関わらず、黒の人物は俺が振り返っている隙に、俺より早く拳を突き出そうとしてきた。
という事は、黒の人物は拳を突き出すことで、離れている敵を攻撃できたと言うことである。
見えない攻撃、拳を突き出すことで遠くの敵でも攻撃できる。達人級の身体能力。東京もしくは神奈川の差し金。
さらに、黒マスクもつけていないのに俺を狙ってきたと言う事は、俺を知っている人間。
俺の正体、もしくは素顔を知っている人間は3人。
ハカセでも。
店主でもない。
すべての条件が合致する人物。
たった1人しかいなかった。
この事から、黒の人物の正体は袖女だと言う事が想定できたのだ。
という事は、3日前の戦闘の時に感じた柔らかいものは防弾チョッキではなく……
(…………)
気にしないことにしよう。
(……聞きたい事は山ほどあるからな)
このまま逃すわけにはいかない。こいつの口から神奈川の思惑を聞かなければ。
俺は首をつかんだ腕の力を緩めることなく、地べたに寝そべった袖女に対して馬乗りになる。これは別にいかがわしいことをするわけではなく、袖女を絶対に逃さないようにするための最善の一手だ。ほんとに、マジで。
「……公衆の面前で何してるんですか」
「うるせえ、今お前を逃すわけにはいかないんだよ……今なら誰も見てないし、こちらとしてはこのチャンスを逃すわけにはいかないんだ」
「……そうですか」
かなりのボソボソ声。よく見ると少しやつれた顔。相当疲れているようだ。
だが、そんなことはどうでもいい。早速質問だ。まずはなぜここに来たのか、それを聞かなければならない。
「質問その1だ……大阪に来た理由はなんだ」
「…………上からの命令ですよ。指示を無視した罰として、任務を達成するまで帰ってくる事は許さない……そんなことを言われて神奈川から追い出されたんですよ」
(指示を無視……?)
「おい待て、そんな事で神奈川は黒のポーンを追い出すのか?お前は立派な戦力のはずだぞ」
「……そんな事を思っているのはあなただけですよ。私なんかよりよっぽど強い兵士なんて、今の神奈川には山のようにいるんです……」
袖女は焦燥しきった目で俺を見る。相当長い間大阪に滞在していたようだ。
それも当たり前だ。いきなり飛ばされて帰ってくるなと言われれば、誰だってそうなる。金だって俺ほどもらっていないだろうしな。
まぁ、だからといって俺には関係ないが。
「なかなか抵抗せずにしゃべってくれるんだな……もっと抵抗すると思ったんだが……?」
「……今のこの状況で、あなたのスキルを受けた事のある人間なら誰だってこうなりますよ」
「……そんなもんか」
本当にそうか……? 国のために話さないとか言うと思ったんだが……袖女も意外にドライな事を言うもんだな。子供が聞いたらショックをうけそうだ。
「質問その2……なぜ俺を襲った? それが任務達成の条件か?」
「それに関しては…………私の独断ですよ。いろいろと恨みがあったのでね」
「ほう……では、その任務の内容はなんだ?」
「…………」
(しゃべらない……任務がある事はしゃべったのに、内容をしゃべらないのか……内容は喋っちゃだめだと本能的に思っているんだろうな……)
感じ的には、怒られているときに質問をされているのにしゃべれないことに近い。言葉を出すのにも勇気がいるのだ。
だが、今ばかりは袖女から言葉を出すのを待ってはいられない。今は昼、マンションのすぐ下の道路だ。
お昼時で今のところは人影が見当たらないが、時間が経てばもちろん人が増えてくる。家族が外食で車を走らせ、発見される可能性も捨てきれない。
「おい、とっととしゃべれ。いい加減にしないと……」
俺は、袖女の首をつかんでいないほうの手を上に上げ、強く念じる。
すると手のひらに現れる黒剣。ハカセ以外に初めて見せたが、まさか実戦でのはじめての使用が、まさか尋問に使われるとは思ってもいなかった。
「なっ……そんな能力まで……」
袖女は黒剣をスキルによるものだと考えた様だ。
いいぞいいぞ。そのまま袖女の恐怖心を煽れば、袖女を内側から攻略できる。良い勘違いをしてくれた。
だが、こんな程度ではまだ足りない。人間の心と言うのは意外に強いのだ。俺だってあんな劣悪な環境にいながら、1年近く耐えることができたののだから、もっと強く、内面的にも身体的にも傷つけなければ。
俺は呼び出した黒剣の先を、首を握っている手の指に添える。
しかし、黒剣は切れ味が鋭すぎるので、指の表面の皮が切れ、血がたらりと首に落ちる。
これがどういうことを意味するのか。俺を知っているならお分かりだろう。
「……おい、今すぐに答えろ。でなければ……お前の体と頭がさよならすることになるぞ」
「…………」
「……おい。本当にいいのか?」
「…………」
「…………チッ」
(これ以上は無理か……)
俺は不意打ちをされないように、じっと袖女を見つめながら、ゆっくりと首から手を離した。
答えなければ血を反射し、首を爆裂させることができたのだが……袖女に行った事は嘘だ。
周りへの被害。これを考えた結果だった。
少し考えてみて欲しい。俺が袖女に尋問している場所は都会のマンションの真下なのだ。こんなところで袖女を殺してしまっては、血がいたるところに飛び散ってしまう。
そんな事をすれば無論、警察にこのことを報告され、マンションの居住者が怪しまれてしまう。そんな事になってしまえば、これからの俺の資金源である闇サイトでの金稼ぎが難しくなる。
さらに、俺の生活はおろか、復讐だって難しくなってしまう。とにかく不都合が多すぎるのだ。
と言う事で、時間をかけるわけにもいかず、袖女を殺すわけにもいかず。血が出るほど袖女を痛めつけるわけにもいかなかった。とにかく場所が悪かったのである。
袖女は首を解放されると、少しふらつきながらも立ち上がり、俺をジロリとにらむ。
「……何のつもりですか」
「……慈悲ってやつさ、女を殺すのは、ちょっと気が引けてねぇ〜」
ここで、俺がスキルを使えないことを話すのは悪手だ。俺がスキルが使えないことがばれてしまえば、攻撃されかねない。スキルなしでの素の身体能力であれば、袖女は俺を容易に上回る。
「…………神奈川を燃やしたあなたが言うんですか?」
「…………目で見えない方がやりやすいんだよ」
(……やばい、かなり怪しまれてんな……どうにかして違和感ないようにできる方法はないか……?)
そんな俺の思いもつゆ知らず、袖女は俺をじーっと見続ける。やめろ、そんな目で俺を見ないでくれ。
「…………まぁ、見逃してくれるのはありがたいです。とっとと退散するとしましょう」
「へっ……とっとと消えな! 神奈川臭くて仕方ないぜ」
そんな事を言っている俺だが、内心では…………
(いよおおぉし!!! やったあああああああああぁぁぁ!!)
信じられない位大興奮していた。
これでしばらくは安泰だろう。
(よし! 後は右手にある銀行カードを家に保管すれば……)
(……ん? 右手?)
「…………」
俺は自分の右手を何度も動かし、目でじっと右手を見つめる。
でも…………でも…………
「……ない」
「…………? どうかしましたか?」
「カードがなああああぁぁい!!!!」
今、俺の悲痛な叫びが大阪中に広がった。
――――
俺は地べたに這いつくばり、地面と同じ高さになって目で銀行カードを探していた。
「ない。ない。ない…………」
「…………どうしたんですか」
「ない……どこにも、ない……」
「……だから! どうしたんですか!?」
「…………」
袖女が俺に何回も聞いてくる。それをうるさいと感じた俺は少しいらつきながら、答えてやることにした。
「だぁ〜かぁ〜らぁ〜!!!」
「…………ねぇんだよ」
「持ってた銀行カードが……どこにもないんだよ!!!!」
俺の心はついに決壊した。
イラつきから一転。凄まじい悲しさ、虚しさに襲われる。今まで1000円をなくしても凹んでいた様な人間だったのだ。
800万を失ったショックと言うのは、他人が思い浮かぶような絶望をはるかに凌駕する。
「ちょ……まじ何やってんですか……」
地べたにはいつくばる俺を見ていられなくなったのか、袖女も地面にしゃがみ込み、一緒に探してくれる。
さっきのピリピリした空気から180度違う。意味のわからない生ぬるい空気に変わってしまった。
「……持ってた時はどこにしまってたんですか」
「財布に入れるのも不安だったから……右手に握ってた」
「……はぁ〜……だからなくしたんじゃないんですか? そもそも何で財布に入れるのが怖いんだか……」
「しょうがないだろ!! 800万の銀行カードだぞ!? 手に触れてなきゃ不安になっちまうわ!」
「……は? ……はぁ!? 800万!?」
袖女も、事の重大さに気づいたようだ。
「まっじっで!!! まじで何やってんですか! あなたは!!!!」
「うるせえ!! 元はと言えばお前が仕掛けてきたからだろ!!!」
そんな感じで、俺と袖女の論争が始まった時……
「ワン!!」
俺の耳に、聞き覚えのある鳴き声が吸い込まれた。
「…………ブラック」
「ワン!!」
(だけど、今更ブラックが来たところで……)
どうにもならない。そう思ったその時。
「ワンワン!!」
ブラックはその鼻を地面につけ、匂いをかぎ始めた。
「……っ! そうか……お前の鼻があれば!!!」
ブラックの鼻には、まるで漫画かと思うほどの実績がある。その鼻を使えば、銀行カードのありかがわかるかもしれない。幸いなことに、俺の右手に常に持ち続けていたおかげで、俺の匂いが銀行カードには染み付いている事だろう。
「ブラック! 俺の匂いをたどれ!! そうすれば銀行カードにたどり着く!!」
「スンスン……」
地面に鼻をつけたまま、ブラックは銀行カードに向かって歩き出す。すばらしい足取りだ。その後ろ姿にはもはや貫禄すら覚えてしまう。
そうやって、匂いを嗅ぐブラックにしばらくついていくと……
「……!」
(……お?)
下水道の蓋の上。その場所で、ブラックの足がピタリ。今まで動いていた足が止まった。
何か見つかったのか? そう言おうとしたその時。
「クゥーン……」
「……え?」
ブラックは、残念そうな、それでいて申し訳なさそうな雰囲気を出し、その場にちょこんと座りこんだ。
その様子に、俺は少し嫌な予感を覚える。あってはならない。あってはいけない可能性。ブラックがそこにたどり着いてから、見えていないふりをしていた可能性がだんだんと俺の心の中で大きくなっていく。
「ぶ、ブラック……?」
しかし、ブラックは無慈悲にも。
今は使われていない下水道の蓋の穴を、前足でスッと指さした。
「…………」
「あー…………」
袖女もその動作の意味に気がついた様で、少し申し訳なさそうな声を出す。
「あ……いや……弁償はできないですけど……何かおごりますよ……ここは神奈川じゃないですし……今はお互いの立場を考えずに……ね?」
やめろ。申し訳なさそうに俺を見るな。声を出すな。敵だろ。さらに惨めになるだろ。
「あ、あはは……」
もう笑うしかなかった。そうするしか自分を保てなかった。闇サイトでまた任務をすればいいじゃないかと思う人もいるだろう。
しかし、それは今回の任務が特別すぎたのだ。他の任務なんて、1週間かかる任務で、多くて報酬は10万ぐらい。当たり前だ。よく考えてみて欲しい。1週間で10万なんて、普通の仕事でも多いくらいだ。裏のお仕事だからと言って、報酬がとてつもないと思ったら大間違いなのだ。
かろうじて生活ができるかできないかのレベル。財布に残しておいたのも、今月の家賃分しかない。食費なんて一銭も残っちゃいなかった。
(もう……これからどうすればいいんだ……任務を掛け持ちするしか……でも……)
そんな事をすれば、体を壊してしまう事は間違いなしだ。
そんな事は言語道断。論外である。
「……えーっと……ほんとにすいません……私がやれる事ならやるので……何とかそれで……」
「…………お前金持ってる?」
「…………コンビニのおにぎり買えるくらいなら」
なんもできんじゃん。何が「おごりますよ……」だ。反吐が出るわ。そもそも敵になんで謝ってんだよ。
(ほんとにどうしよう……株とかに手を出すか? ……いや、俺は株のことをほとんど知らない。あまりにもリスキーすぎる……そもそも、バイトとかができずに人間1人が稼げる金なんて、限度があるんだ……俺1人では限度がある)
そう、俺1人では限度が――――
俺1人では?
「……おい、袖女。何でもするって……言ったよな?」
「えっ……ああ……はい……」
「それじゃあ…………」
「俺ん家に住んでくれよ」
「……はい?」
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