逃走劇

(やった……やった! やった! やった!)


 正直、本当に抜けれるとは思っていなかった。

 一か八かの賭け。それに成功したのだと思うと、体が歓喜に震えているのを感じられる。

 黒のビショップも、いくら俺より速いとは言え俺もジェット機並みの速さなのだ。そんな数秒で追いつかれるほどでは――――


「はいは〜い。こんにちは? 犯罪者さん!」


(……へ?)



 刹那。地べたのコンクリートが目と鼻の先になり、地面に激突した。


 舞散る砂煙とひび割れるコンクリート。


 その凄惨さが、どれだけその一撃に威力があったかを物語っていた。


「ふふ〜ん。会場に突入したときは、そんなに肝が座った強い奴なんだと思ってたけど……実際そうでもなかったね〜」


 はるか天空に居るのに、まるですぐそこにいるかのように聞こえるセリフ。そこには落胆といつも通りと思われる平坦さが感じられた。


 ……だが。


「!! ……へぇー?」


「その程度か? お前の攻撃は!!」


 俺は生きている。









 ――――









 鈍痛。急激に背中に走る痛み。その一撃には力強さとその内に秘めたる荒々しさが感じられた。

 天高き上空に居たかと思ったら、遠く離れていたコンクリートの地面が一気に目と鼻の先になる。そこらの人間ならば、これだけで死亡。生き残れたとしても逃れる事は困難となっただろう。


 そう


(俺がそこらの人間だったならなぁ!!!!)


 俺は黒のビショップの攻撃に反応できた。できたのだ。


 反応できた理由はただ1つ、攻撃する前に黒のビショップ……奴が放ったあの一言である。

 そもそも、空を飛んでいるときに攻撃を受け、下にたたき落とされるなんて空を飛べるようになった時点で想定する第一の課題である。

 想定した問題が解けない道理はない。テスト問題のプリントを何回も解いたあとテストに臨むように、理論上100%対処できる問題なのだ。

 ただ人間は完璧な生き物ではない。何回もプリントを解こうが、忘れてしまえば0%だ。

 人間と言うのはそうやって、忘れることにより100%出来ることを70%程度にしてしまう。


 ……それは俺も例外ではない。


 実際、声をかけられなければ全く気付かなかったし、敵だと認識することすらできなかっただろう。





 ……声をかけられなければ。


 そう今、黒のビショップは最大のミスを犯したのだ。

 声をかけられたことにより、俺は気づき、対処することができた。

 逆を言えば、声が聞こえなければ対処はおろか、生きているかさえ怪しいところだっただろう。

 今の1連の流れは、例えればわからない問題に直面した時、先生が問題の答えをばらしたようなものだ。


 そんなもの間違えるわけがない。


 7歳でも間違えるのは難しいだろう。


 ならば、高校1年生がやれば?その答えはただ1つ。


 100%答えられる。




 つまりこの一撃……100%対処できる。


 俺の場合、目の前の地面を反射すればいいだけだ。

 目の前の地面を反射する。そうするだけで、衝撃が相殺され生き残ることができる。

 俺にとっては、目の前が地面と認識できただけで容易に対処が可能だった。


 本当に、本当にあの時、声をかけられなければ、頭の中が混乱し冷静な思考が働かず、地面に叩きつけられていた可能性もあっただろう。


 つまり、奴は俺を……舐めすぎた。









 ――――









「へぇ……よくそんな無傷でいられたもんだね? ……さて、そんなこと言うって事は……私を楽しませてくれるのかな?」


「…………」


『伸太、挑発に乗るな! 奴は今、明らかにこちらを煽っている! そのまま戦えば、相手の思うツボじゃぞ!』


「……わかってるよ……わかってるけど……逃げたからってどうなるって言うんだ」


 正直、今逃げきれる確率は会場の時とは正反対。凄まじく低いと言っていいだろう。

 その理由は明確、目の前にいる黒のビショップ、奴の存在である。こちらの方が先に逃げ出したのにもかかわらず、俺の速度にすぐさま追いつき、喋りかけてくる余裕すら見せてくる所には精神的な余裕と傲慢さが見てとれる。

 という事は、あのスピードは本気ではないのだろう。さらなる速度で追われれば、逃げきる事は叶わない。


 かといって戦ってしまえば、多少のダメージは与えられるかもしれないが、勝つ事は難しい。さらに時間が経てば、他のチェス隊や東京兵士が到着し、勝敗はおろか俺の復讐の道すら途絶えてしまうことだろう。


 だが、逃げてもそれは同じ事。


(……なら、少しでも爪痕を残すか?)


 俺が半分自暴自棄になり、戦闘起こそうとしたその時。


『大丈夫じゃ! そこら辺の手は打ってある! ワシを信じろ!』


「………」


 ハカセの言葉が耳に入っていく。それは何の抵抗感もなく、非常に自然に、するっと耳の中に入っていった。


 今まで……俺が物心を持った後の人生で、唯一俺の道を妨げることなく、むしろ肯定してくれた存在。





 ……初めて、"信じれる"と無意識に感じた存在。





「…………わかった……"信じる"ぞ」


 信じない理由はない。今までもそうだったように、俺はハカセの指示に従う……いや、信じるだけだ。


『おう! ワシに任せておけ!!』


 こんな緊迫した状況にもかかわらず、ハカセはいつもと変わらないような声色で俺に返答してくる。


(全く……さすがハカセだ)


 肝の座り方が尋常ではない。


「さて、と……」


 俺は敵の前で、ググッと背筋を伸ばしストレッチを始める。

 奴は俺のをとった行動に少し驚いた様で、目を大きくしリアクションを見せた。


「ほぇ〜こんなところでストレッチ? 大胆だね〜! …よっぽど自信があるのか……それともただの馬鹿なのか」


 変わらず奴は、俺を煽るような言動で誘ってくる。


(……だがな……もう……その程度で動く俺じゃねえよ)


「別に自信があるわけじゃねえさ……」


「だが……馬鹿ってわけでもねぇ」


「……ふ〜ん……じゃあ……君は何なのかな?」


「……そうだな……例えるなら……」












「復讐者……かな?」















 その瞬間、俺は後ろに振り向いて一気に飛び上がった。もちろん足に反射を使うことを忘れてはいない。


(信じるぞ……ハカセ!!!)


 本来ならば、一瞬で追いつかれてしまうこの状況。ハカセを信じているからこその一手。


「馬鹿な事を――――」



 奴も俺に反応し、追いかけようとしてきたその時。




 街中の建物が……急に爆破した。




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