8日目 3年前にあったこと




 苦しい。

 味のしないスープを一気に飲み込んだ。すると即座にゼブが次を注ぐ。


「ハイト、頑張ってくれ」


 ゼブが悲しそうな表情でこちらを見る。それに押されてまたカップを口につけた。

 昨日、目を覚ましてからゼブはずっとこんな調子だ。俺が横になっている間も傍で手を握ってくるし、起きている間は少しでも食事を取らせようと促すようになった。

 出されるスープは固形物よりは遥かにマシだが、それでも胃が圧迫されることに変わりはない。

 だが食事自体が食べにくかったことは、ここ最近ずっとそうだったのだからまだいい。


 それよりも、ゼブが辛そうな表情をするようになったことの方が苦しかった。


 カップを口から話して目を瞑る。

 俺は、このお人よしまで不幸にする気か。

 死にたい。そう思ったが、こいつの目の届くところに居れば阻止されるし、実行できたとしてそれを見れば余計傷つくんだろう。

 どうすればここから出ていける?

 薄目を開けて台所を見た。


「リンゴ」

「りんご?」

「りんごなら食べる」


 俯いたままゼブの顔を見ずそう言った。

 すると少し間を置いてゼブが立ち上がる。


「……わかった、貰ってくる」


 マントを羽織り、ゼブが玄関から出ていった。

 それを見て息を吐く。良かった、上手くいった。

 一応足音が聞こえなくなってから立ち上がり、衝立の裏へと移動して、先日雪かきした際にまとめておいたままの服に着替えた。

 上着を着てから以前のマントを手にして少し迷う。こっちの、借りているマントはどうするか。手にしていると、ゼブが何度も着せてきたのを思い出す。

 置いていこう。

 以前の、ボアはついていない普通のマントをつけて家を出た。この格好をしているとずっと一緒に旅をしてきた剣が無い事がひどく気になったが、神殿に取りに行けば神官に見つかりすぐにゼブがやってくるだろう。諦めるしかない。

 それにしても、寒い。

 ザクザクと雪を踏んで歩き続ける。以前来たこともここから帰ったこともある村だ、もうどちらに向かえば良いかもわかる。

 問題は船が無いことだが、行けるところまで行けばいい。重要なのは帰ることよりも出ていくことだ。

 だが、村の入り口にまでたどり着いた瞬間、足を止めた。

 イグニス村の青い旗の傍に、ゼブが腕を組んで立っていたからだ。


「どこへ行くんだ」


 抑揚のない声でゼブが言う。

 アンタ、なんでここにいるんだ。

 そう尋ねようかと思ったが、止めた。見つかってしまった以上、どうでもいいことだ。


「アルカヌムに帰る」

「剣も持たずにか」

「なら返せ」


 無視して歩く。ゼブを横切るとやはり腕を伸ばしてきたが、それを避けて速足で進んだ。くそ、雪が積もって歩きにくい。


「ハイト、今のお前には無理だ」

「無理じゃない、俺は祝福持ちだぞ」

「ハイト、待て」


 すぐに追いついてきたゼブに腕を掴まれた。ガッチリと握られていてとても振り払えない。

 無理やりにでも引き離そう。

 そう思って魔法を使おうとしたが……発動することはなかった。

 何故?

 その一瞬呆けている間に、周囲に複雑な曼荼羅のような魔法陣が現れる。

 発動しきってからではもう遅い。その魔法陣に包まれた俺は全身が縛り付けられたように硬直し、指一本動かすことができなくなっていた。


「ハイト」

「お前……!」


 ゼブを睨む、だが向こうは顔をしかめたまま俺を担ぎ上げ、そのまま歩き出した。

 くそ、しまった、こんなに時間のかかる技をもろに食らうなんて……

 技が解ける頃には、俺はあっという間にゼブの家へと逆戻りしていた。


「はなせ、俺がここで過ごなきゃいけない理由なんかない!」

「まだ駄目だ」


 ベッドに押し込まれるようにして下ろされた。

 すぐに起き上がろうとしたが、ゼブが抱きしめるように上からのしかかってくる。


「まだってなんだ、いつになったら良いんだ」

「お前が元気になったら」

「ならもう問題ないだろう、充分元気になった」

「ハイト」


 ゼブの顔が近づいてくるのが見えて思い切り顔を逸らす。なあなあにごまかされるのももう嫌だ。


「はなせ」

「何が嫌なんだ」

「なにもかも嫌だ」

「それじゃわからない、もっとちゃんと言ってくれ」


 上腕を抑えるこむように抱き着いたゼブの腕のせいで、肘から下しか動かすことができず、出来る抵抗はわき腹に爪を立てる事ぐらいだ。

 だがそれぐらいではゼブの拘束は緩まない。当たり前だ、こいつの頑丈さは俺が一番よく知っている。


「お前を抱いたからか」

「違う」

「無理をさせたからか」

「違う」

「村が恋しいか」

「……違う……」


 そう、違うんだ。村に帰れば、誰かに会えば、何を言われるかわからなくて怖い。またあの光景を見るのも怖い。

 帰りたいわけじゃない。

 頭に添えられた手が撫でるように動くのから首を曲げてよける。なんでそこまでするんだ。


「アンタといると、役立たずな自分をもっと実感する……」


 目の前にあるゼブの瞳を、睨みつけて言った。

 ゼブはいつもの真剣な表情から動かない。


「俺は、村の期待どころか、アンタの期待すら応えられない」


 やっぱり喋るんじゃなかった、言っていて自分でむなしい。逆恨みもいいところだ。


「俺の期待になんか応えなくていい」

「アンタがよくても、俺はよくない」

「ハイト」

「これ以上みじめにさせないでくれ……」


 ギリギリと更に爪を食い込ませると流石に血が出ている感触があったが、ゼブは微動だにしなかった。

 俺にはこの拘束を解くこともできない。

 無力だ。


「アンタなんかに、わかるわけない……」


 地脈の封印を解いて、ちゃんと村の役に立ってるアンタに。


「わかるぞ」


 揺るぎない声に、適当なことを言っているのかと目を向けたが、ゼブは一切表情を変えていない。

 その真剣な表情は嘘をついているとも思えず、何も言い返す言葉が思い浮かばなかった。


「俺も聖域の大神殿では、多くの仲間を死なせた」


 思わず目を見開いて息をのむ、大神殿?

 それはつまり、3年前の。


「3年前、俺達は地脈の封印を解くのに必要な、神具を得るため大神殿に潜り込んだ。

 だが、大神殿で罠にかかり、ほとんどの仲間が倒れ……結局何も得ることもできず、無駄に戦士を死なせただけだった」


 ゼブの手が頬に触れ、そっと撫でるように動き出す。

 そういえば3年前に初めて遭遇した時、そんなことを喋っていたような気がするが……禁忌に触れた犯人を逃がした俺は、悔しさと虚しさで気にもならなかった。


「偶然、本当に偶々罠から離れた位置にいた俺は、同じく離れた位置にいたベリーを連れて逃げた。

 だが、俺は罠に気づくことも、防ぐことも、先に進むことも……何もできなかった」


 ゼブは瞳を泳がせたが、声色は変わらない。


「皆のいなくなった帰路は辛かった。

 生き残ってくれたベリーだけは絶対に無事で帰さなければ、そう自分を奮い立たせて、イグニスに帰ることはできたが……あれほど自分を許せなかったことはない」


 ゼブが目を伏せるようにして静かに言う。

 それを聞いて俺は、聖地の解放を巡る旅の中盤、死闘の末に初めてこいつとまともに会話した時の事を思い出していた。

 それは死にかけたゼブが俺を道連れに溶岩流れる地割れへと飛び込み、俺が寸でのところで帰還魔法を使い、捕まれていたゼブごと脱出するという、無茶な行動からだったが……

 そこまでしてでも、ゼブの相棒のあの女を逃がしたかった理由が、垣間見えるようだった。


「だが、今もこうして生きているし、俺はあの戦士達の分も、生きなければいけないだけ生きるつもりだ」

「……でも……アンタは、その後ちゃんと聖地を解放したじゃないか……」

「ああ。生きて、もう一度アルカヌムに向かって……お前に、助けられたからだ」


 俺の頭に手を添えたゼブが、そっと口付けてくる。

 なんとなく胸が痛くて、それを振り払う気にならない。


「……だからって、アンタまで辛そうに過ごす必要、ないだろ……」

「俺が落ち込んでいた時、ベリーも、村の皆も俺を励ましてくれた。だから俺もそうありたいだけだ。

 お前が気に病む必要はない」


 ゼブが首元に顔をうずめる程深く抱きしめてくる。なんだか涙が出そうだ。


「同じ思いをしたとは言わない。だが、村のためにと戦った心は同じだと思う。

 だからハイト、諦めるな。必ず自分を許せるようになる」


 首元に埋まったゼブの声が響く。


「俺はお前にも乗り越えてほしい。お前ならできる」


 本当にできるんだろうか、自信がない。

 だが、そう話すゼブを否定したくもない。

 俺は爪を立てていた指から力を抜き、ゆっくりとゼブの背中へと腕を回した。



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