1日目 ゼブの家



「好きに寛いでくれ」


 以前よりはマシになった寒さの中、雪道を手を引かれ連れられたのは、イグニス村の一軒の民家。

 ガチャガチャと防具を外し収納するゼブを見るに、きっとこいつの自宅なんだろう。室内に目を向ければ、他には誰もいないのにソファや食器がいやに多い。

 誰かが出かけているのか、以前住んでいたのか、客が多いのか……どうでもいいことだ。

 動く気にもなれず、玄関口で立ち止まったままでいると、再度手を引かれてソファまで招かれる。

 特に逆らう理由もなくそのまま腰かけていると、何か飲み物が目の前のテーブルに置かれる。そして家主のゼブは忙しそうにバタバタと動きだした。

 何をしているのか、それもどうでもよかった。


 無視したままでいると、緑がかった灰色の、鍛えられた腕が視界に入ってくる。それがカップを持つと、無理やり俺に握らせてきた。ここまでの道中でも何度かされたことだ。

 渡されたカップを上から覗くと注がれていた水に、うねった長い黒髪で紫の目の、陰鬱そうな男が映っていた。我ながら見るだけで気が滅入る。後頭部で髪を一つにまとめていたことだけがマシに思えた。もう解く気力も無いだけだが。

 特に口もつけず、渡されたカップを再度机に戻す。

 自分でも気づかないうちに目の前のコップから視線が外れ、伸びっぱなしの黒髪が垂れ下がっているのと床しか見えなくなった。

 結局何をしていても、イグニス村へと来ても、俺は故郷の事ばかりを考えている。


「ハイト」


 数分経ったのか、数時間経ったのか、ゼブから声がかかる。

ようやく故郷のことから意識を逸らせて、顔を少し上げると、目の前のテーブルに料理が並べられていた。こいつが作ったのか? どっかから買ってきたのか?

 声がかかった方を見れば、俺とは違い、前髪も全て後ろへと流すゼブは顔がよく見える。だが、何を考えているかはわからない。

 そのまま湯気の上がる底の深い皿を渡された。シチューらしきものが入っている。

 返そうと手を伸ばすが、ゼブは受け取らない。

 困っていると、ゼブが木製のスプーンをシチューに差し込んだ。


「食え」

「いい」

「道中もほとんど食べていない、食べろ」

「……」

「無理やり食べさせることになるぞ」

「……」

「ハイト、頼む」

「……」


 妙に必死こいたような顔でこちらを見るゼブに押され、スプーンを口に運ぶ。


 味がしない。


 泥水でも食んでいるような気持ちで飲み込んだが、それを2、3回くりかえしたところで腕が上がらなくなった。


「口に合わないか?」

「……」

「パンはどうだ、それかデザートでも……」

「いらない」

「……ハイト、せめて、その皿だけでも」

「……」


 ゼブの手が伸びて俺の手ごとスプーンを持ちあげる。そこまでする必要なんて無いだろう。

 なんとか口を開けようとした、だが、開けられない。

 隣でこちらを見つめるゼブの顔を見る。


「……食えない」


 そう呟くと、ゼブは眉根を寄せた。

 せっかく用意した料理を残されるのは嫌だろう。だが飲み込める気がしない。


「すまない」

「……」

「すまない……」

「止めてくれ」


 うつむいて謝ると、持っていたままの皿をゼブが取り上げた。皿をテーブルかどこかに置いて戻ってきた手が、今度は俺の手を握る。

 俺の肌色の手とは違う、硬い鱗が生えた、緑がかった灰色の肌の手は力強いが乱暴ではない。


「謝らなくていい、お前は悪くない」

「……」

「取っておくから、腹が減ったらいつでも言え」

「……」


 ギュッと強く握りしめられた後、ゼブの手が離れていく。

 あとはその日中、聖域とともに滅びた故郷のことを、ずっと考えていた。





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