負けずぎらいな令嬢、紳士の嘘に気づく

街道の並木は黄金色に色づいて、高く澄んだ秋の空とのコントラストが素晴らしい。

最初は背中に感じるレジーの広い胸や包んでくれる腕の一挙手一投足にドキドキした挙句、カチンコチンに緊張して気が遠くなりかけたんだけど、遠くに見える農家の屋根や羊たちの様子についてレジーが語りかけてくれて、それに応えるうちに落ち着いてきた。


丸く弧を描いて飛ぶトンビの高い声を聞きながら昔の思い出を話していると、三年前よりも甘く低くなったレジーの声が触れ合った背中から響いてくるのが心地いい。

この瞬間はレジーの声も手もわたしが独占してる、って感じられると心がフワフワくすぐったくなる。


でもそれと同時に、こうも思う。


三年会わずにいた間、わたしより先に大人になったレジーはどんなふうに過ごしていたのかしら。

こんなふうに誰かを馬に乗せたり、エスコートしたり、優しくしたりしたのかな。


......考えるとお腹の中に消化できない黒い石みたいなものが湧いて、ずしんと重くなった気がした。


わたしが久しぶりの乗馬に慣れたと見たのか、お兄様が目で合図してきたのを受けて、レジーがわたしに声をかけてきた。

「#常足__なみあし__#から軽く#駈歩__かけあし__#にしますが、怖くはありませんか」

「だいじょうぶです。お気遣い下さってありがとうございます」


しっかりと抱えてくれるから平気。

あなただから平気ってわかってる。


礼儀上、貴族男性は淑女に対しては丁重に扱うポーズを取るものだっていうから、これが当たり前なのよ。

......戒めるようにそう思わないと、大事にしてくれてるのは演技じゃないって、つい勘違いしそうになる。


わたしがほんの子供の頃から、レジーはわたしにとてもとても優しかった。

甘い言葉はそんなに言わなかったけど、本当にわたしが喜ぶことは何か考えてくれていた。


大きく前後に揺れる馬の上で、お腹に力を入れて話す。

「レ......スタンフォード卿が私のために手に入れてくれた宝石のこと、覚えていらっしゃいますか」

「宝石?」はて、と記憶を辿っているレジーに答えを言う。

「お庭の蝶々ですわ。虫取りなんて令嬢のすることじゃない、って言われなかったのが、本当に嬉しかったんです。忘れられないわ」


あれはレジーが十七歳の時。

蝶々を傷つけないようにしたい、でも近くで見たい、そう思っていたわたしの願いを、何も言わないのに完璧に分かってくれていたレジー。


今日も......わたしが口を滑らせた、でも本当は望んでた「一緒にお出かけ」を、周囲の目も気にせず叶えようとしてくれて。

これから社交界デビューをして、どなたか殿方に見染められるべき時期だっていうのに、レジーにばかりわたしの心は囚われてしまう。


「あなたは昔から蝶やレースを宝石と同じ尊いもののように思っているんだね。なぜだろう?」

しみじみとした声が背中から響いてくる。

わたしは少し考えて、答えた。


「自然の生み出したものは種類を問わず、みんな美しいわ。だけど、人間が受け止める時、その美しさの意味が異なってきます」


「これはわたしの勝手な受け止め方かもしれないんですけれど。

宝石はみんなで分け合えないけれど、それに対してレースや蝶の美しさはみんなで分け合うもの......と感じるんです」


レースはデザイン次第で、進化したり流行を生み出したり産業になったりする。

修道院の生活の糧を産む。

お母さんが、おばあちゃんが、代々受け継ぐ編み方、技術がある。


蝶の訪れで季節を知ることができて、花が受粉して、その地が豊かになり、姿は絵画やドレスやアクセサリーのモチーフになる。


網目のように広がって、多くの人に影響を与える。

宝石は誰かひとりを強烈に引きたてるけど、それはなんだか優劣をつけるような、孤独な感じがする。

身近な暖かさや、手を繋いでみんなで強くなるイメージが、わたしは好きなのだ。


「だからわたし、子どもの頃レースの編み方を教わりに海辺の村に行きたかったし、貝殻を拾ってデザインを考えたかったし、市場に行って街の女性がどんなレースを身につけて、売ったり買ったりしてるか見たかったの。令嬢のすることじゃないと言われても、わたしが好きなのはそういうものだったんだもの」


「なるほど。」

「でも、自分がどうしてレースや花や蝶が好きか、幼い頃は説明できなかったから......今まで質問を取っておいてくれて助かったわ」


いつの間にか、わたしの口調は少女の頃のように戻っていた。

少し甘えるような話し方になってしまっているのを自覚しているけれど、このまま聞いていてもらいたかった。


わたしのこういう話を聞いてくれる人を、この先レジーの他に見つけられるのかしら。


この人がわたしの特別な人になってくれたらいいのに。

名前で呼んでくれたらいいのに。

一生他の女の人に優しくしなければいいのに。


あなたが欲しいですって本当は言いたい。

わたしをデビュタントでエスコートして?

仲の良さを公にして、婚約者としてそばにいられるようにして?

さっきみたいについ口に出したら、それすらも叶えてくれるかしら。


だけどそれをしてしまったら、わたしはその瞬間レジーの本心を知る事ができなくなっちゃう。できるのは思い出に縋ることと、精一杯大人のふりをして選ばれるよう努力することだけ。


「わたしも質問をしていいですか?スタンフォード卿」

「......お答えできることなら」


「スタンフォード卿は、なぜ三年前の春から我が家に来られなくなってしまったの?」


背中に感じる体が一瞬固まって、逡巡するような気配の後、レジーは答えた。


「......卒業直前から......忙しかったものですから」

ゆっくりと頭の後ろで響く声の響きがくもっていて......。

(あ、これ嘘だ。)と、わたしはこの瞬間直感した。


そして意外なことに気がついた。

レジーがいつも冷静なのは、本心を隠して話すのが上手い人だからだと、わたしは勝手に思ってた。

少年の頃から大人びた人、完成された人格、超人のような、完璧なイメージ。


違う。

レジーはこれまでずっと嘘をついてなかった。

本音で話してくれてたんだわ。

そしていま、初めてわたしに嘘をついてる。


嘘が下手なのね、レジー?

それまでごまかしのない人だったから、嘘が下手な人だということをわたし知らなかった。


これって......、わたしに知られたくないことを隠しているの?

例えば......「三年前に恋人ができて、ここに来るのが退屈になってしまった」とか。


だって、わたしが何か気に触ることをして......それで訪れなくなっていたなら、再会した後こんな風に話してはくれないだろうから、違う。

お兄様と仲違いしたなら、お兄様の様子もおかしくなるはずだから、違う。


やっぱり......どなたか素敵な方を見つけられて、お子様の相手なんかやってられなくなったって可能性が高い......気がする。

それを言うのはわたしに失礼だから、隠している。


今回ここに来られたのは、その方との婚約が決まって、昔世話になったわたし達一家に報告に来たとか......?

ありがちだわ......。


+++


唐突に馬上の二人の雰囲気が重苦しくなり、ちらりと僕は振り返った。

それまではカップルさながらにロッティを抱え込んだレジーは満足げだし、盛んに会話をやりとりして、イチャイチャ浮かれ......楽しそうだったというのに。


お付きの目がない状態で、ふたりきりの時間を味あわせてやれて、いい仕事したじゃないか、って密かに胸を張ってたんだが……どっちかが失言でもしたのかな?


レジーに目線で問うと、途方に暮れたような表情で腕の中のロッティを見つめ狼狽えていた。

レジーが狼狽えるって......悪いけど、面白い。彼のこんな顔初めて見たぞ!


しかし、面白がってもいられない、もうすぐ例の場所に着くのだから。


「リヴァーズ伯爵領のフィールドオブローゼスはこの丘を越えると見えてくるよ」

明るい口調で声を掛ける。

「ロッティ、秋の野薔薇が見れるぞ」

自然のモチーフをこよなく愛する妹に、気分が浮上しそうな話題を振ってみた。

沈んだ表情のロッティがパッと顔をあげ、言った。


「野薔薇、近くで見たいわ。馬から降りてもいい?」

「じゃあテディントンの休憩も兼ねて橋を越えたら徒歩で散策しよう」


丘を越えると夏の名残のセージが花びらを綻ばせ、青紫の絨毯のように野原を彩っているなか、野薔薇の茂みが群生している景色が眼下に広がった。

ピンクと紫の雲海のような幻想的な風景。

甘く芳しい香りも素晴らしい。


ロッティの表情を伺うと、さっきの憂い顔は何処へやら。

目の前の景色に釘付けだ。


(思う壺じゃないか?......レジー)


レジーはといえば、僕に感謝したというように目配せをして、いったん目先の問題は先送りすることにしたのか、ロッティの反応を見つめてから、ホッとしたように眼差しを緩ませた。

何気ない表情を装っているが、好きな子が喜ぶ風景を見せられて静かに歓喜しているだろうことが伝わってくる。


この土地は最初からこうだった訳じゃない。

たまたま僕の受け継いだ伯爵領に、秋咲きの薔薇がポツポツと群生していただけだったのをここまで改良したのだ。レジーのアイデアで。


(男って、健気だよな......惚れた女には)


返り咲きの薔薇が自生する土地は珍しく、保護するためのコンパニオンプランツを混植したり、蜂を呼ぶ花を寄せ植え養蜂を始めたり、食用になる実をつける強健な返り咲きの品種を取り寄せて植樹して、今後の産業にしようと試みている。


こういった知識は貴族の男にはないものだ。

しかし自然を愛するロッティから刺激を受けたレジーは、風光明媚な土地は王都に飽きた貴族の女性に需要があると、僕の領地で手付かずになっていた野原に手を入れることを思いついた。

僕の領地ならロッティも訪れ易い。

さらにレジーが手がけている事業にも関連していて、一つの施策が多くの恩恵をもたらすように考えられている。


薔薇の知識は庭師や、品種改良をしている研究者から助言を受けた。

手入れのためにこの土地に移り住む小作人を募って、管理する者たちの村を作ったので、僕らの姿に気づいたらおそらく村人たちが挨拶にくるだろう。


ロッティは現場の者との交流も好んでする性質だ。

あの子の機嫌を悪くした問題はそれで忘れられるんじゃないかな。多分だけど。

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