紳士は十八歳で負けずぎらいな令嬢への恋心を自覚する

 レジナルドは親友の妹を軽率に連れ出したことをこの瞬間後悔した。


 しまった、失態だ......怪我をさせるなんて。

 俺がついていながら、預かった令嬢に傷を負わせてしまった。


 春休暇の暖かな日、海を見たがるシャーロットを少しだけとウッドヴィル伯爵領の砂浜に連れ出した途端、裸足になった彼女が貝殻で足を切ってしまったのだ。


 セオドアと伯爵夫妻に申し訳ないと猛省しながら慌てて跪いた。

「見せて、ロッティ」


 明らかに痩せ我慢でシャーロットは答えた。

「へーき、よ?」

 ダメだ。かけらと砂が入っていないか確かめなくては。万一傷が腐ったら......


 背筋に冷たいものが走り、ゾッとする。

 シャーロットは自分にとって唯一の存在だ。

 可愛いと思うのも、愛おしく思うのも、密かに尊敬するのもシャーロットが初めてで、レジナルドにとってそんな風に思える人は今まで一人もいなかった。


 親友や家族、世話になる者とは色合いが違う、心の中の特別な場所に、この少女はいる。

 シャーロットに何かあったら、自分は砂を噛むような人生をただ過ごさなくてはいけなくなるかもしれない、そんな事は耐えられない......。


 眉をしかめ春の空をそのまま映したような青灰色の目の縁に涙を滲ませたシャーロットが、不安いっぱいの顔でこちらへ脚を差し出した。

 口はへの字に曲がっていて、顰めっ面。

 どう見ても淑女になり始めた少女にふさわしい表情ではない。

 見ていられず、レジナルドは膝をついたまま咄嗟に手を出し受け止めた。


 十三歳のシャーロットは年齢相応の足首丈のドレスを身に纏っていた。

 色合いは季節に合わせた春のイメージか、淡い水色の透かし織の布地に細かなミモザの柄の刺繍が施されて可愛らしい。

 シャーロットのこだわりのシャビーレースの付け襟が首元と袖口にあしらわれ、全体的に清楚な雰囲気でまとめられている。


 シャーロットの明るい雰囲気と柔らかな金の髪を引き立てて、よく似合っている、レースも可愛い......と朝の挨拶で褒めたら、頬を染めてニコニコしていたのが微笑ましかった。


 朝褒めたそのドレスがシャーロットの動きに合わせてレジナルドの目の前をひらりと踊り、肩と頬にふわふわした布の感触が触れてきた。


 無防備にもシャーロットはレジナルドの手に足首を預けたまま、跪いた彼の肩に手を置いて、レジナルドの上半身にもたれるようにして傷口の確認に協力態勢をとってきたのだ。


 レジナルドはシャーロットがふらつかないように腰から下を抱き止めながら足の裏を観察する。


 幾重にも重なったレースで縁取った純白のペチコートが持ち上がり、温かな空気がたちのぼり......。


 甘い香りがした。

 シャーロットの肌の......身体の。

 その瞬間、ズキンと甘い衝撃がレジナルドを貫いた。


 胸だか腹だかわからない体の中心の疼きに、レジナルドは呻きそうになるのを堪えた。


 小さなレディの秘められた場所を包み隠していたベールが、いきなりレジナルドの前で無力になった、という事実に思い至り、内心動揺しながら傷を改める。


「どうなってる? 血、いっぱい出てる?」


 こわごわ聞いてくるシャーロット。

 安心させるように笑顔を作り目を合わせてゆっくり話しかける。


「血は出てるけど、止まるから大丈夫だよ。それより傷を綺麗にしなきゃ」


 従者に「清潔な水と布、ブラシを」と指示し、ハンカチを傷口に当て、ひとまず抱え上げたシャーロットを膝に乗せたまま岩場に腰を下ろした。


 シャーロットの足首はこれで身体を支えられているのが不思議なほど細い。

 包み込むように握った自分の指が半周分も余っている。

 しかし細いのに骨ばっておらず驚くほど柔らかい。


(なんだこれ、足首も足の裏もかかとも、骨どこだよ柔っこい......

 白くてすべすべで)


 自分の指を硬いかどうか気にしたことなんてなかった。

 シャーロットの滑らかな皮膚に沈む、己の指が急に武骨で粗野なものに思えた。


 レジナルドがほんのちょっとの力を加えるだけでこの儚い生き物は傷ついてしまうのだと初めて思い当たり、慌てて繊細なガラス細工を取り扱う時の意識に改める。


 なんで今まで気がつかなかったんだろう。

 乱暴に扱ってはいなかっただろうか。

 抱き上げるのも手を繋ぐのも、なんなら頬にキスを受けることも平気でしてきた今までの行状に頭を抱えたくなる。


 そこで従者が指示されたものを持って駆けつけてきた。

 応急手当てをしようとするが、彼女は傷を開いて洗うのを痛がって、レジナルドの首っ玉にしがみつくので作業が出来ない。


 レジナルドは膝の上で身を捩るシャーロットを転がり落ちないように支える方に注力し、それまで様子を見守っていた侍女がバトンタッチして手当てにあたる。


(力いっぱい抵抗してるつもりなんだろうな、これで)

 手当てする侍女にシャーロットが蹴りを入れないよう、足首を抑え、柔らかく保った腕の檻で包みながらレジナルドは思った。


 シャーロットがもがく様子は子猫が爪を立てるのに似ている。

 何をされたって痛くも痒くもないのだ。


 俺がその気になれば、めちゃくちゃに弄ぶことだってできてしまうのか。

 腹の底にちらりと、そんな思いが瞬いた。


 子猫は自分が傷つけられるなんて夢にも思わず、こちらを髪の毛一筋も疑っていない。可愛いがって愛してくれる人だ、と信じきっている。


 いや、愛したい、可愛いがりたい、その気持ちの行き着く先を、

 この子はわかっていないんだ。


 子どもだから?

 女性だから?

 どちらにしろ男にしか分からないだろう、この感覚は。


 夢中になって本人は気づかないが、レジナルドの胸にすがり、抱き止められるシャーロットの体勢は、恋人の距離感と同じだった。


 その無自覚さに胸を掻きむしりたくなりながら、シャーロットのうなじと髪の香りを堪能した後、伯爵家へと帰宅したレジナルドは彼女の両親と兄に心から謝罪をし、軽率に連れ出すことを今後一切しないと約束した。


「娘は放っておいても無茶をするのだから、気にする事はない」と両親の反応が淡白なものだったのは救いだった。


 傷自体は程なく快癒し、なんの問題もなくこの出来事は忘れられた。


 しかしレジナルドにとっては意味のある日だった。

 この日を境目に彼は男となった。


 夜、シャーロットの匂いと感触を思い、レジナルドは生まれて初めて性的な衝動を他者に向けながら自分を慰めることを覚えたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る