二章 精霊使い
2-1 精霊使いの少年
「フィン!」
ティエンは男の髪を切り落とす。美しい布と一緒に編み込まれた一房の髪が地面に落ちた。
その瞬間それまでフィンと対峙していた精霊が動かなくなる。
「精霊主の元へおかえりください」
フィンは穏やかな声で、精霊にそう言うと一気にその髪を燃やした。黒い炭と化したそれは風に乗り、空へ帰る。
同時に精霊の姿も溶け込むように空に消えて行った。
「貴重な精霊鎖を!貴様!」
呆然としていた男は我を取り戻し、ティエンに斬りかかろうとした。
けれども、火の精霊フィンによって作られた炎の壁によって阻まれる。
「くそお!」
男の周りを囲むように火の壁が作られた。
身動きが取れないうちに、ティエンは駆け出す。
彼の目的は達した。
男にはもう用はなかった。
しばらくしたら、炎の壁は消えてなくなる。
そうするようにティエンはフィンに願っていた。
☆
ティエンが、メイラの森から離れて一年以上が経った。
師匠の願い通り、ティエンは精霊鎖をこの世界から無くし、全ての精霊を精霊主の元へ返すために動いていた。
この一年で、二つの精霊鎖を消滅させた。
ティエン自身、フィンが宿る精霊鎖を髪のつけている。そうしてフィンと共に師匠の願いのために生きていた。
『残り七つですね』
フィンは嬉しそうに笑う。
彼女は、師匠であるガルネリの精霊であった。ガルネリは最後の精霊の愛し子と呼ばれ、王宮に囚われていた。すでに他の精霊の愛し子は、高齢のため精霊鎖を作らされた後に死亡している。
ガルネリは最後まで精霊鎖を作ることに抵抗し、ついに王宮から逃げ出した。本来なら王宮に保管されている精霊鎖すべてを燃やしたかったが、精霊鎖をつかった精霊使いたちに阻止され、逃げ出すしかなかった。王宮へ戻るのは自殺行為に近い。そこで彼は王宮に属さない、もしくは王宮からでてくる精霊使いを狙い、精霊鎖を破壊する活動を始めた。
十年の間にガルネリは二十個の精霊鎖を破壊した。
この世界に残る精霊鎖は残り七つ。
王宮の刺客に倒れた師匠の思いを継ぎ、ティエンは精霊使いを追い、その精霊鎖を焼却していた。
「やはりビルは役立たずでしたか」
ふいに頭上から声がして、背の高い男が降ってきた。
『精霊使いです』
そばに控えていたフィンに言われ、ティエンは逃げることを優先にした。けれどもその行手に青色の色彩を持つ女性が立ち塞がる。
フィンが攻撃をするが氷の壁によって防がれた。
『いきなりなんて失礼じゃないの?』
水の精霊は青色の髪を弄びながら、フィンに文句を言う。
「ティエン、だったかな。君の名は。挨拶もなしにいなくなるなんて寂しいじゃないか」
背後から先ほど声をかけてきた男がゆっくりと歩いてきた。
前には水の精霊、後ろには男。
それであればと、フィンがティエンに命じる前に攻撃をしかけようとしたが、男のそばに現れた新たな火の精霊をみて、フィンは動きを止めた。
『カズン』
「おや、知り合いかね」
男はにこやかに笑う。
黒髪に黒のシルクヘッド、黒のスーツ、黒づくめの男だった。
「初めまして。ティエン。私はボイラー。よろしく頼むよ」
(なんだ、こいつは。精霊の愛し子?二つの精霊を使役する。それとも精霊使いか?フィンの知り合いの精霊を使役している……、そうなれば精霊使いだな!)
ティエンは黙ったまま、男を睨みつけた。
「おやおや、ガルネリさんは君の礼儀を教えてないのかな?」
「う、うるさい。爺ちゃんのことを言うな」
怪しげな男がガルネリの名を口にするのが嫌で、ティエンは吠える。
「ちゃんと話はできるみたいだね。それなら、単刀直入に。君、精霊の愛し子の場所をしっているだろう?」
「……知ってるさ。爺ちゃんは土の中に眠っている。他の精霊の愛し子のことは知らねーけどな」
「ティエンくん。私は時間の無駄を省きたいんだよ。それとも痛い目にあいたいかい?」
「あいたくないなあ」
男ボイラーに答えながら、ティエンは必死に逃げる算段を立てる。
二つの精霊を使役するボイラーに真っ向から戦っても勝ち目はない。
(隙を作って)
ボイラーの言う、精霊の愛し子はメイラに違いなかった。
養い親で師匠であるガルネリは、自身のことを最後の精霊の愛し子と言っていた。なのでメイラに会うまで、彼は精霊の愛し子はガルネリが最後だと信じていた。
(メイラは森でひっそり暮らしている。だから邪魔をしたくない。場所を知られれば絶対にメイラを王宮に連れていこうとする)
メイラには四つの精霊たちが仕えている。けれども、戦闘などしたこともないような平和そうな精霊たちだった。
(精霊鎖はあと七つ。こいつが二つもっているということは、あと五つだ。もし一気に精霊使いがメイラを襲えば、ひとたまりもない。だからこいつには絶対教えられない)
「逃げようとしてますか?無理ですよ」
ボイラーの言葉が合図のように、彼の前に火の精霊カズンが仁王立ちになる。
長い赤い髪が炎のように揺れ、構えた拳からは炎が噴き上がる。
カズンは男性体で、まるで軍神のような面構えをしていた。
『アナタがなぜ』
『なぜとはどういう意味だ。精霊鎖を持つものがオレの主人となる。そして、その精霊鎖によってオレは個体を保つことができる』
契約主ー主人が死ねば契約が解け、精霊は精霊主のもとへ帰り、個体を失う。
精霊の中にはそれを嫌がるものがいる。
ボイラーの火の精霊カズンものようで、長い赤い髪を揺らしながら、不思議そうにフィンを眺めていた。
『見損ないました』
『おかしなことを言うな。そういうオマエも精霊鎖の精霊だろう?』
『ワタシは違います』
「おやまあ、カズン。口争いは後にしなさい。ティエンくんを捉えた後なら、いくらでもできますから。もっとも、私が新たな精霊鎖を持つことは難しいので、別の方に使っていただくことになりますけどね」
「そんなことはさせない!」
ティエンの声に呼応して、フィンがボイラーに火の玉をぶつける。同時に彼らの前から逃げようとしたのだが、水の精霊がその前に降り立った。
「まずい!フィン。これを持って逃げるんだ!」
もう逃げられないと覚悟したティエンは自身の付け毛のように結んであったガルネリの精霊鎖を引きちぎった。ティエンの髪が一緒にちぎれたが、そんなことに構ってられない。
「嫌です!」
「頼む。フィンが奪われたら爺ちゃんに顔向けできない!」
「フィンでしたか?どうぞ、逃げてください。そして、最後の愛し子にティエンくんに会いにくるようにつたえてください」
「なんだと!」
ティエンがボイラーに向かっていくが、水の精霊が彼を球体に閉じ込めた。
球体の中は水のようで、ティエンがもがいている。
「離しなさい!」
「精霊の愛し子を連れてきたら、解放してあげるよ。それまで死なせないから大丈夫だよ。ほら、行かないの?水飲んでるみたいだよ。死んじゃうよ」
「ティエンを解放してください!」
「アリーナ。水だけ抜きなさい」
「はあい」
球体の中で突然水だけが存在を消し、ティエンが球体のそこに落ちた。ごほごほと息をしており、全身はずぶ濡れだ。フィンに向かって何かを叫んでいるが、声がまったく届かなかった。
「さあ、フィン。いってらっしゃい。必ず精霊の愛し子を王宮まで連れてきなさい」
ティエンが中から球体を叩いているようだが、音はまったく外に漏れない。
精霊鎖はフィン自身がもっており、ティエンは何も命令も下すことはできなかった。
「絶対に助けてくださいね」
「ああ」
にこりとボイラーは笑う。
フィンは顔を歪めたが、他に選択肢はない。しかも森であった精霊の愛し子メイラに対して、何か深い感情を覚えているわけでもなかった。優先するのは最初の契約主ガルネリの弟子ティエンだ。幼児の事から彼の世話をしてきたフィンにとって、彼はガルネリの次に大切な存在だった。
このことをしったらティエンは止めるだろう、そうわかっていたが、フィンは精霊鎖を握りしめると西の森へ飛んだ。
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