しばらく前 60周年 名前をつけて保存

 平成十六年の新潟中越地震は震源の深さ十三キロの直下型の地震である。この地震によっての被害は甚大で、子知谷市、十日町、長岡市、見附市を中心に、全体で六十八名が死亡した。しかし、そのうちの十六名が直接的な死者で、残りの五十二名は被災中のストレスやエコノミー症候群による者である。


「……毎回、これみて思いますけど。地震に関係ない死者数が半数以上いたってすごい話っすよね」


「あぁ、そうだな。ちょうど日本弁護士連合会60周年で表明した取組の一つだ。しっかり目を通しておけよ」


「うっす」


 陽太は、今年弁護士試験を受ける法学大学院生だ。現在、修論のレポート作成にあたって過去にあった弁護記録等を読み漁り、たどり着いたのが新潟中越地震での出来事やそれに対しての法措置についてをまとめ上げた資料だった。


「俺、この時まだ小学生の時っすよ。全然覚えてねぇ……」


「覚えてなくても、資料が覚えてる。そいつと一ヶ月睨めっこしながらレポートを仕上げるんだな」


 資料室の奥の方で、意地の悪そうな表情でニヤニヤしながらコーヒーに口をつけているのは、陽太のいる研究室の元締めである菅原教授だった。


 地震とはすなわち自然の脅威である。人類がかつて一度も勝訴したことのない人類全員共通認識の被告人である。自然相手に賠償はできない、相手に懲役を課すこともできなければ、罰金刑を言い渡すこともできない。


 そして、その帳尻合わせにやってくるのが、やれ保険屋や弁護士などである。


 家に帰り、部屋の掃除もろくにしていないゴミだらけの足元を蹴散らしながら部屋の真ん中に置いてある申し訳なさげなちゃぶ台の上にパソコンを置き、何日も干していないであろう布団の上に腰をかけながら大学のレポート作成に勤しむ。


 日本は地震大国であるというのは周知の事実である。


 1923年、関東大震災に始まり、


 1946年、南海地震


 1948年、福井地震


 1994年、三陸はるか沖地震


 1995年、阪神・淡路大震災


 2004年、新潟中越地震


 そして、2011年。


 東北を襲った東北地方太平洋沖地震。


 2016年には熊本で、熊本地震が起きている。


 これらのデータはたった一部でしかない。あくまで、有名な一例として提示しただけの氷山の一角である。これだけの数の地震を経験してもなお、日本に住みたいと願う海外の人々は後を経たない。その理由はいくつかあるが唯一挙げられるのが、地震などに遭遇した場合の法整備が日本はダントツで整っているからであろう。


 弁護士という仕事は、何も法廷で容疑者の弁護をするだけが仕事ではない。こういった地震被害にあった人々の法的措置について互いに検討し、トラブルなどの解決をするのも仕事の一つだったりする。


「……本当。面倒だな」


 陽太が弁護士を目指した理由は、亡き父親の背中を追ってのことだった。仕事ばかりで会えなかった父の時おり姿を表した時に見るスーツを着込んだ胸に控える弁護士バッチ。それが、陽太の夢を追い続ける一時の幻だった。


 だが、現実は非情だ。


 父親の反対を押し切り学び始めた弁護の法は、弱者を守るためでなく。金を持つ一部の富裕層や企業が楽に生きるための出来損ないの法律と呼ぶに等しいものばかりだった。いつの日か、自分も父親のようにと憧れた背中が、今となっては霞んで見える。


 それでも、大学院まで駒を進め、弁護士への道を叩いているのはその先に待っている安定した生活故か、それとも未だに父親の幻影を追いかけているのか。


「……はぁ。今日はここらにしておくか」


 キリのいいところで文章を締め上げ、wordの上書き保存を押しパソコンを閉じる。すでに時刻は深夜の一時を回っている。明日も早いため、食事は有り合わせだ。


 備蓄してあるカップ麺に陽太は手を伸ばしながら、電気ケトルに水を溜める。ふと、目に止まったもの、それはキッチンの隅に置かれた簡易的な仏壇。その中では、厳格な父の仏頂面が写真に入れられ飾られている。そして、その前に置かれているのは父が身につけていた弁護士バッチ。


『弱きを助け、強きを弾劾せよ』


 これが父が法学部に陽太を送り出す時にかけた言葉だった。そして、その二年後。父はステージ5の胃ガンで帰らぬ人となった。弁護士としてはとても優秀、とは言えなかった父。だが、それでも多くの人を救うことになったのは事実。


 時には、弁護する価値すらない人間を弁護することのある仕事だ。友人からは、弁護の仕事よりも検察官の仕事の方が精神衛生上良いと言われてきた。


 でも、それでも。弁護士を目指すのは。


 弱きとは、


 強気とは、


 頭の中に浮かぶのは、父の背中。そして、今まで資料で目を通してきた凄惨な地震とそれに付随した統計的な資料。


「……もう少しだけ頑張るか」


 電気ケトルの中の水が沸騰したことを知らせるスイッチの音が、静かなキッチンに響いた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「……良いんじゃないか」


「本当ですか? 一発で?」


「あぁ。これなら、修論のレポートとして問題ないだろう。だが、一つだけ。名前、何にするんだ、これ」


「……そうですね……、これでどうすか?」


 菅原教授に代わり陽太がパソコンのキーを叩き、仕上がったレポートに名前をつける。


『地震などにおける被災者救済措置の、現在と未来を含めた法整備の立案について』


「……陽太。お前、親父さんに少し似てきたんじゃないか?」


「……あざっす」


 菅原教授の言葉に少しだけ照れながらも、パソコンからは目を離すことなくマウスを操作しレポートに名前をつけて保存した。

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