福島と就職
父に癌が見つかったのはちょうど夏の終わり頃だった。前立腺がんということでステージ5にまで病状が進んでいたということだった。
東京で遊んでいる暇はない。
そう言われている気がして、東京の家を引き払い再び福島に戻って帰ってきた。だが、心配して帰ってきた割には、父は思ったよりも元気だったため、胸を撫で下ろしたのと、同時にこのまま死んで仕舞えば良かったという気持ちが重なって複雑な心境だった。
大学は、すでに通っているか通ってないかわからないような状態だったので、金の切れ目が大学との切れ目だった。
そして、家族を助けるという名目で就職した。幸いにも就職先はすぐに決まり、腐っても薬科大学にいたという理由から医薬品の品質管理の仕事をさせられるようになった。
だが、ここでも問題が出た。
まともに会社に行くことができない。
というのも、処方されていう薬が体にあっておらず、大量に睡眠薬を処方されているせいで朝まともに起きることができなくなっていた。それが習慣化しているせいで、頭の中では会社に行かなくてはならないのに、体が会社に行くことに対して拒否反応を起こしているようだった。
結局、自分は何をやってもダメなんだと突きつけられたような感じだった。
そんなこともあって、会社からは働く場所を転々とし、いわき、鏡石へと職場を変えていったが、どこもうまく行くことなくまともに働けない日々が続いた。
大学時代の友人は、国家試験に挑んで勉強していた。
真ん中の弟は、自分が目指したかった教師の免許を取るために学校に教育実習に行っていた。
周りはどんどん大人になっていっているのに、自分だけが取り残されていっている気がした。
そして、そんな自分に生きる価値があるのかと考え始めた時にはもう遅かった。
鏡石、公園にて。木にロープを下げて首を吊ろうとしていたところを警察に保護された。
その日は会社を休んで、一日家にいたところ。天啓でも受けたかのように、今日死のうと頭の中で思った。昼に、丸亀でうどんを食べて、近くのドンキでロープを買い、最後に家族に電話をしてロープで首を括ろうとした。
あの日のことを思い返せば、人はあっけなく死ぬものなのだなと改めて思う。
それに前触れや、前兆などは存在せず。本当に、何の躊躇いもなく死ねるものなのだと思った。
その後は恐ろしく早く、隔離病棟に入院をさせられた。こんなことになるのであればもっと早くに拘束して欲しかったものだと入院してから思った。
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