東京と薬

 通信大学の勉強と称して、東京に逃げるようにやってきた私は一人暮らしを始めた。しかし、彼女とその子のためにと思って受けて入った大学。すでにやる気も希望もなかった自分には東京に来たところで何もすることはなかった。


 ただ、日々を浪費し、無力に起きて寝るだけ。


 そんな中に目的も、夢も、希望も何もなかった。


 始めたアルバイト先でも、注意不足だの、やる気がないだのと文句を言われていくうちに夜もまともに眠れなくなり、行き着いたのが精神科だった。予約を入れた日は、誕生日にしようと思った。二月十一日、今まで家族のもとで行くことのできなかった病院を、一人になってからだったら行けるような気がしたからだ。初めて、自分自身に当てたプレゼントだった。


 診断の結果はうつ病、当然の結果だ。


 一つ、エッセイらしく精神科に通おうとしている読者に向けて経験譚を書くのであれば。話を聞いてくれるのは、最初だけということだ。


 初診は、自分の生い立ちも含め、前話にある通りの内容を聞いてはくれるが、親身になっては聞いてくれない。そして、その後の診断は半ば強制的に前回と変わりがないことを聞かれ、というよりもそういうことにされて。前回処方した薬をそのまま処方されるだけである。


 結論から言えば、クリニックと名前のついている精神科はあまり信用してはならないということだ。


 その時処方された薬で覚えているのはパキシルという薬である。効果は遅効性で、一ヶ月服用し続けなくては効果が出ないものだ。これも個人差はあるものだが、私には合わず、ただただ断薬の難しい薬を処方されただけだった。


 うつ病患者として、一つ挙げられるのが通院が難しいということがある。やること自体は単純で、ただ起きて、病院に行く。たったそれだけのことがひどく難しいのである。ましてや、薬が切れている時は一番大変である。


 パキシルは、一度服用すると定期的に飲まなければならず、間を空けてはいけない薬だ。しかし、通院ができず、処方箋がもらえない。基本的に精神科は予約制のため、次に予約が取れるのが一週間ごととかになれば最悪である。


 まず、断薬をすると頭を揺さぶられるような眩暈に襲われる。そして、定期的にくる頭にピリピリと電気が走ったかのような違和感、俗にいう「ピンシャリ」というやつである。思考もまともにできず、最悪立つこともままならない。感覚は完全に、薬の切れた薬物中毒者である。


 そんな感じで東京での生活をしていたわけではあるが、決して悪かったことばかりではなかった。一番良かったことを挙げるのであれば、豊田という高幡不動と八王子の間にある場所で『ふじ』という名の定食屋を見つけたことだ。昭和の空気漂う狭い店内で、夫婦でやっている小さな定食屋だったのだが、人と触れ合う気持ちの暖かさを久々に思い出させてくれた場所だった。

 

 補足すると、そこのダブルメンチカツ定食が好物だ。


 とはいうものの、東京での暮らしは突然終わる。その理由は、父に癌が見つかったからだ。

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