第23話 告白

 遅い。

 校門で花の到着を待ちわびる中、生徒の流れがドンドン通過していく。


 この光景に、工場のベルトコンベアを流れる部品の数々が連想されるのは杞憂だろうか? お前らは所詮、社会の歯車の一つ。大量生産しているのは、いつでも取り換えがきくパーツに加工しているからだ。――そんなメッセージ性を感じる。


 もしや、瀬利裕太のラブコメは社会派ヒューマンノンフィクション?

 であるならば、裕太もまた道化の一人だったのかもしれない。汚い大人になっちまった我々にとって、彼は遠い日に確かに存在した己自身だったのだ。


 否、それはないな。だって8割の人間にとって、青春など薄暗い灰色である。

 美少女がしつこくて不幸だぁー、裕太談。

 デートに連行されて不幸だぁー、裕太談。

 安息日を脅かされて不幸だぁー、裕太談。


 やっぱり、アイツ。小生、一度全力で殴るべきだと思いました。

 生活指導の権田教諭に、薄っぺらい顔のお前がウロチョロしてたら鬱陶しいとお叱りを受け、昇降口まで後退させられた。気が散るってひどいぜ。


 しかし、俺を認識できるとは先生的にちゃんと生徒を見ているのだな。へー、やるじゃん。

 靴を履き替え、渋々1組へ戻ろうとした。


「あれは?」


 廊下の窓越しに中庭が映った。人がいる。二人。瞬時に察知。


「あいつら、中庭にいたのかよ!」


 花と裕太が桜の木の前で、向かい合っていた。

 廊下は走るなというお叱りを背に、俺は渡り廊下を駆け抜けていく。


「待ちぼうけさせやがって」


 この学校には、伝説の桜の木というものが生えている。

 告白したら必ず成功するとか、どんな願いでも叶えてくれるとか、死体が埋まってるとか。そういう類の伝説を持った花が枯れない桜の木である。


 なぜ、生えているか? 主人公がたくさん通う学校だから。以上。

 正直、理由はでっち上げられるゆえ追及するだけ無駄だ。疲れる。

 直接声をかければいいのに、俺は日陰者の習性か、茂みとベンチの間に隠れていた。


 耳を澄ませば、彼らだけの特別なダイアローグが桜の花びらと一緒に飛んでくる。

 モブ程度が干渉してはいけない重要なシーンだと一目で把握できる。さりとて、俺は静かにこの場を離れることが出来なかった。


「大事な用事って何だい、花?」

「う、うん。えっとね」

「今日はお菓子持ってないから、餌付けはできないぜ?」


 明らかに告白のシチュエーションだが、主人公氏は皆目見当が付かないご様子で。

 花って腹ペコキャラだっけ? あんまり間食しているイメージはありませんけど。


「違うよお。お菓子は食べたいけど、もっと真面目な要件だもん」


 裕太のすっとぼけに、花が頬を膨らませた。

 降参だと言わんばかりに裕太が肩をすくめるや、彼女は大きく息を吐いた。


「私と卓ちゃん。あと、裕太ちゃんのこれからの話」

「俺たちの? ……あぁ、なるほど。花が何を言いたいのかやっと分かった」


 裕太は、合点がいったらしい。

 お、彼奴にしては察しが良いじゃないか。こりゃ、明日は虹が出るでしょう。


「裕太ちゃん! 珍しく、分かってくれたのっ!? 私たちが――」

「つまり、卓との関係が早速上手くいかなくて相談しに来たんだろ? ハハ、任せておけ。俺以上に卓とお前のことを知ってる奴はいないもんな!」


 そして、ガッツポーズである。だと思った。明日は曇りだ。

 期待に満ちていた彼女の瞳に陰りが差していく。


「……あ、うん……って、そうじゃないよぉ~」

「花、気持ちは伝わるぜ。あいつはいつもふざけてばかりで、口を開けばテキトーな戯言とエロネタしか発しない。シークレットファイルと称して、校内美少女のスリーサイズを収集するヘンタイだ。本当に自分のことを好きなのか、心配ってわけだ」


 うんうんと頷いた、裕太。

 スリーサイズの調査はあくまで友人キャラの義務であり、ラブコメ主人公へ報告するまでが仕事である。ノルマじゃなきゃ、やらないよ。面倒じゃん。

 数字で興奮できるなら、俺は数学者を目指す。


「でも、心配するな! 卓は、間違いなく花のことが好きだぞ。幼稚園の頃からその気持ちは変わらない」

「え」


「年長の頃、花がいじめっ子に叩かれてぴーぴー泣いたことがあっただろ。それを見た卓は、いじめっ子に仕返ししに行ったんだ。あいつ、弱いくせに何度も立ち向かってた。押し倒されたり膝をすりむいて、一度も反撃できなったくせにさ、その執念に気圧されたいじめっ子の精神が先に折れたんだ。結局、お前に謝りに行かせたんだよなー。ま、それが原因で特攻野郎A組なんてあだ名を付けられる羽目になったんだ」


 そんなことがあったかもしれない。

 しかし、モブの過去バナなど至極どうでもいい話だ。

 なんせ、彼らの物語にまるで重要な要素が含まれていないのだから。


「そ、そうなんだあ……」

「小学生の頃、ちょくちょくグリーンピースごはんが献立に出たことがあっただろ。花の一番嫌いなグリーンピース。特に小三の時、完食しないと昼休み抜きって言う宗谷が担任だったじゃん。あの日、卓が騒ぎ立てて配膳を見張る宗谷の注意を引き付けてたんだ。めっちゃ怒られた分、作戦は成功した」


「あ、それは覚えてる。朝から憂鬱だったけど、給食の時間になったらグリーンピースが一粒も入ってない食器が机に置いてあって、ホッとしたなぁ~。卓ちゃん、いつもよりうるさかったけど……そっかあ。フフ、昔から変わらないんだねえ」


 花は回想シーンに突入したのか、ぽわんぽわんとふき出しを浮かべる。

 何度も言うが、モブの実はいい人アピールなど不要である。人気キャラ投票に向けたステマだと思われ、逆に人気が下がってしまう。


 尺稼ぎが必要ならば、それこそラブコメなのだから君たちのイチャコラチュッチュでも披露しなさい。


「卓を信じてやれ。花のこと、ちゃんと考えてるぜ」

「うん。それはそうだけど、そうじゃないんだよ。卓ちゃんは人に優しくできるから。目の前で誰かが困っていたら、文句を言いながら必ず助けるもん」


 花は顔馴染みの話で盛り上がり、緊張が解けたようだ。


「裕太ちゃん、私は卓ちゃんと付き合っていません。校内で交際してるって噂が流れたけど、事実無根なの。裕太ちゃんに勘違いしてほしくなくて、呼んだんだよ」

「付き合ってない!? え、嘘だー。だって、屋上であんなに親密そうに」

「親密なのは当たり前だよお、だって私たち幼馴染なんだから」

「幼馴染って言ってもさ、男と女だぜ? 友情が愛に移ろうってことも……」

「あるよね、そんなことも」


 彼女は後ろで手を組んで、前屈みに笑みをこぼす。


「私、裕太ちゃんが好きなんだ。ずっと、昔から好きでした」


 なんだよ、ちゃんと言えたじゃねぇか。すげーよ、花は。

 かくして、彼女はスタート地点に辿り着く。

 そこには、勇気を振り絞ったヒロインが確かにいた。


「……え、何だって?」


 加えて、ラブコメ主人公もそこにいた。


「私、裕太ちゃんが好きなの」


 刹那、突風が舞い踊る。


「え、風が強くて聞こえないよー」


 凍てつく波動並みに、ヒロインの叫びをかき消した。

 もはや、風を自在に操る領域に達していたとは。

 瀬利裕太、貴殿のポテンシャルを見誤ったことを謝罪しよう。


 だが。

 しかし。


「私は! 裕太ちゃんが好きなのぉ~っ! 大、大、大好きなんだよぉおおおーっっ」


 花は、裕太の耳を引っ張るや、自分の気持ちを文字通りダイレクトに伝えた。


「……ふぁ~~っ!?」


 甘いよ、ラブコメ主人公。

 お前の行動は実にテンプレだ。

 岡目八目。特定の状況を与えると、打ち手の癖は如実に表れる。


 ゆえに、俺は想い人へ胸の内を告白する際の注意事項なんて伝達済みさ。

 食らえ、裕太! 花の気持ち、存分に味わえ!

 三半規管に響き、よろけていた裕太が平衡感覚を取り戻す。


「花が俺を……好き?」

「そうだよ」

「リアリー?」

「マージー!」


 花、マジは英語じゃないぞ……


「そっか、そうだったのか。全然気づかなかった」

「だって、裕太ちゃん。鈍感なんだもん」

「はは、なぜか皆によく言われるぜ」


 不服そうな花に、彼は照れくさそうだった。

 ……ん?


 根拠はない、単なる直感だ。

 さりとて、俺の中で不安が募っていく。濁った蟠りが、心の間隙をすり抜ける。

 長年培われた一流のモブとしての資質が、あの主人公を前に警鐘を鳴らした。


「花、俺も好きだよ」

「――っ! ゆ、裕太ちゃんっ!」


 花は、目を真っ赤にして驚いた。

 これで抱擁を交わし、キスしちゃえばめでたしめでたし。


 俺は諦観の表情で眺めていただろう。

 彼女を取られたから? いいや、違う。


「あー、良かった。これからも三人でつるめるな! 変な気を回して大変だったぜ」

「え……?」

「三人揃って、お互いが好きなんだ。俺たち、ずっと仲良くやっていこうな」


 裕太は、不滅の友情に安堵している。

 好意は受け取った。受け取り、丸呑みにした。

 先送りできないなら、打ち止めさせる。彼らの常套手段である。


「親友が二人いるなんて、恵まれてるよ俺は」

「あ……う、うん……そうだよねぇ~……」


 瀬利裕太お得意の鈍感レシーブを披露され、花はその見事な技に目を奪われる。次に繋がなければなない空気に流され、軽いタッチでトスを上げていた。


「裕太っ! 花っ! ここにいたのかよ!」


 チャンスボールのにおいを嗅ぎつけ、永世ベンチウォーマーがスパイクをキメてやらんとコートへ飛び出していく。

 お決まりのポーズを構えた、裕太。


「おう、卓! 花から話は聞いたぜ。早とちりして悪かったな」

「ああ」


 別にどうでもいい。そんな勘違いは捨て置け。


「やれやれ、結構焦ったんだぞ。これから気兼ねなく喋れなくなるなー、とか」

「そうか」


 全然、彼の感情が伝わってこない。


「俺に隠れてラブコメやるなんて、水臭い奴だって思ったよ」

「ハッ」


 裕太の家、鏡ないもんな。お前の瞳には今、何が映る?


「おいおい、どうした卓? 覚悟を決めた顔しちゃってさ。悪人面、似合わないぞ」

「……」


 大丈夫だ、すぐ終わる。

 俺は彼を真っすぐ見据え、拳を強く握り締めた。

 そこに正義も悪もない。主張は無意味だ。憤慨すら、とっくの昔に超えていて。

 ――ただ純然たる力を振りかざそうとした。


「卓ちゃん! 待ちなさいっ」


 裕太と直面する間際、花が俺の腕を掴んだ。彼女はこんな強い力を出せたのか。


「離せよ」

「いやっ!」


 初めて見る花の眼光の鋭さが、俺を射抜いた。


「それはダメなの! 絶対ダメ! まったく柄じゃないよ!」

「花、似合う似合わないは関係ない。俺がやらかした失態を清算しよう。――今ここで」

「ううん。卓ちゃんの失態じゃないんだよお。不甲斐ないのは私の責任だから」


 頭を横に振り続けた、花。

 彼女の瞳は、優しさが見え隠れするように瞬いていた。

 静かな睨めっこが続く中、裕太はじっと待てない犬みたいな性分らしく、


「おいおい、二人だけで盛り上がるなよ。俺も交ぜってく――」

「オメーは黙ってろ!」


「裕太ちゃんは大人しくしてて! 今、大事な話してるから!」

「お座りぐらいできねーのかっ。座して待て!」

「お、おう……」


 裕太はナンダカナーと呟き、伝説の桜の木の前で体育座りをし始める。

 悲壮感を漂わせ、晩年の哀愁を纏っていた。ラブコメ業は精神的ストレスが溜まりやすく、実年齢より老けて見られてしまう事例だった。


 さて、殴ろう。うやむやになる雰囲気だったが、いやいや殴るよ? 普通に。

 空気を読まない男に制裁を加えるのはヒロインの特権なものの、もちろん俺は抵抗するで? 拳で。

 ……その結果、脇役条例違反によりモブが一人ストーリーから退場するが詮無きことさ。じゃあな、お前ら。俺の代わりに、彼らの喜劇を見届けてくれ。


 最初は、グー。ジャ・ン・ケ・ン! グ――


「理不尽暴力は一番ダメなんだよぉ~。特に幼馴染の場合」

「……っ!」


 止まらない決意をしたつかの間、全身が硬直する。

 理不尽暴力はダメ。

 その言葉は俺にとってギアスだ。

 かつて、花に一度だけかけた命令権。


 覚えてたのか。

 まだこちら側を理解せず、どうせ忘却したと思っていた。

 まさか、そっくりそのまま返されるとは。

 頭に上った血がサァーっと引いていき、身体を火照らせた熱さが冷めていく。


「花に一本取られるとはなあ。やられたぜ」

「卓ちゃんもまだまだだなあ。精進したまえよぉ~」


 幼馴染の憎たらしい笑顔に、俺は肩をすくめるばかり。

 そういえば、その顔が見たかったんだ。大事なものは、すぐ隠れてしまう。

 桜の花が頬を撫でる。伝説通り、願いを叶えてもらったな。

 センチメンタルに浸っていると、なぜか体育座りでたそがれる男が視界に入った。


「あの……そろそろ喋っていいかな?」

「ん? 裕太、そんなところで呆けて何してんだよ。ボケにはまだ早いだろ」

「やれやれ、不幸だ」


 またしても、ラブコメ主人公が不幸自慢に酔っていた。

 それ、印象悪いから控えなって。


「卓ちゃん、裕太ちゃん。そろそろ教室行かないと、渡辺先生に怒られるよぉ~」


 花が腕時計を確認するや、予鈴が鳴り響いた。


「あ、ヤバ! 俺、次遅刻したら、反省文と日直一週間だった! 卓、花。急げっ」


 そう言って、裕太は一目散に駆け出した。

 置き去りにされた俺たちは、ゆっくりと歩き出す。桜の木を横目に、花がルンルンと鼻歌を歌いながら小気味なステップを踏んでいた。


「花、どこに機嫌が良くなる展開があったんだ。お前の晴れ舞台なのに、結局アイツの鈍感力に敗北を喫したんだぞ」


 所詮、幼馴染ヒロインは敗北者。

 頑張って告白しようが、敗北者。

 不変の真理は、折れず曲がらず、世界のルール。


「んー、あったよぉ~」

「如何に?」

「えー、分からないのお? じゃあ、秘密だよぉ~」


 花が笑い、俺は笑わなかった。

 彼女が一歩先を行く。背中は華奢だが、一回り大きくなった気がする。


「今回は失敗しちゃったけど、また助けてくれる?」

「もうお前は立派なヒロインだ。舞台袖から見守ってるぜ」

「卓ちゃんらしいなあ。じゃあ困ったら、私がそっちに行くよぉ~」


 手を引かれ、校舎に入った。

 俺たちの戦いはこれからだっ!


 瀬利裕太のメインストーリーが千秋楽を迎えるまでに、まずは打ち切りとの壮絶な戦いを予感させるこれからなのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る