第20話 綻び

 たとえば、1組の教室。


「ねえ、知ってる? 堀田さん、大野くんと付き合ってるらしいよー」

「うそ~、信じられな~い」


 たとえば、廊下。


「大野の野郎が、1組の堀田と蜜月の仲なんだってさ。どうりでよく一緒にいるところを目撃するわけだ」

「あんなに可愛らしい花さんがあの量産型平凡男子とっ!? ゆ、許さねーぞ! ボクが、ボクが花さんに告白しようとしたのにっ。うわーん」


 たとえば、秘密結社・脇役同好会。


「大野卓は禁忌を犯した! あろうことか! じょ、じょじょっ、女子とハレンチな行為に及び、あまつさえ己をメインキャラと偽り、モブ時代を黒歴史として消去したのだ!」

「古より伝わりし、陰に生きる者たちの盟約を破ろうとは……」

「我ら、血縁より深く結ばれた絆を愚弄したその咎――クク、必ずや断罪してくれる」


 自慢のステルス能力もとい、悲しきことにパッシブスキルの気配遮断を用いて校内を一周してみた。

 どうやら、俺と花の交際疑惑は実在していた。

 言わずもがな、全く以って付き合っていない。


 噂の出所を予想しようとしたものの、皆目見当が付かない。だって、青木の先述通り、大野卓のゴシップや悪口を拡散したところでそれは無価値である。

 まず、そいつ誰? へー、あいつの名前って大野なんだ。昨日、体育で一緒だった気がするけど顔は全然思い出せねぇな。


 ――在校生の9割9分はいずれかの感想を言うだろう。

 ならば、怨恨による復讐か?

 否、俺は他人に強い感情を向けられるほど関心を寄せてもらったことはない。残念ながら興味を引く点において、花見シーズンの終了と共に花が散った桜の木以下だ。


 校内の有名人について、事実と虚構を織り交ぜて好き勝手に書く新聞部・センテンススプリングの仕業かと考えるが、やはりネームバリューが低すぎてよほどの悪行じゃなければ食いつかない。


 俺の噂など善悪問わず雲散霧消すること、疾風の如く。

 普段なら特段気にしないけれど、今回は看過できる内容ではなくて。

 目下、堀田花はメインヒロインの一角なのだ。


 文字通り、瀬利裕太のラブコメに花を添える存在。

 勝つにしろ負けるにしろ、男の影が原因でヒロインを降格される事態は避けなければならない。断じて、それは俺が認めない。


 夕暮れ時、フラフラと旧校舎の屋上へ足を延ばしていた。

 何か手段を講じねばと柵に寄りかかる。空はひたすらに広かった。


「卓ちゃん、ここにいたんだあ」


 ちょうど相談すべき相手がやって来た。

 花が戦うと決めたあの日と同じような光景に、思わず苦笑してしまう。

 彼女は、いつもの調子のまま隣で語りかけてくる。


「えっとねぇ~、ちょっと相談があるんだよ」

「あぁ、俺たちの噂についてだろ」

「私が何を言うか分かったの? やっぱり、卓ちゃんは凄いね」

「ヒロイン存続の危機だからな。このまま放っておくと手遅れになるかもしれん」


 ほぼ間違いなく、原因は俺に帰結される。花に頼られ、調子に乗っていたのだ。

 その結果、周囲から好意のベクトルを勘違いされる事案が発生した。

 花と一度目を合わせ、俺は頭を下げた。


「ごめん。お前の株を下げたのは、俺だ。ラブコメで男がいるヒロインなんて、一番最悪な構図なのに、まんまとそんな展開にしてしまった」

「んー。でも、私と卓ちゃんは仲良しだけど男女交際してないよねえ?」

「事実かどうかは関係ない。周囲に、そう見えるかが重要なんだ」


 一度、あの女は他の男と逢瀬を交わしたと認定されてしまえば、ビッチやら淫乱などと陰口を叩かれる。ヒロイン失格の烙印だ。


「なぁ、花……怒ってくれ。勝率の低いお前を勝たせてやるとほざいた奴が、勝率をゼロに落としたんだ。とんだ狂言回しだぜ、俺は。何なら一発、殴って――」

「怒らないよ!」


 怒るのではなく、花は怒鳴った。


「卓ちゃんは、いつも私のために考えてくれてるから! 難しい話で全然分からないことが多いけど、それでも私が困るといつも助けてくれるって知ってるもん!」


 花の温かい両手が、俺の頬を包み込むように撫でていく。優しい感触が伝わった。

 顔を上げるや、彼女はニコニコと笑顔で出迎えてくれた。


「卓ちゃん、笑って。卓ちゃんは悪巧みしてる時が一番楽しそうだから」


 顔が近い。息遣いだけ聞こえる。日に照らされ、花の頬が赤く染まっていた。

 俺はどうにか相好を崩した。

 まさか、花に励まされるとは。思いもよらなかった。未熟だ。

 深呼吸がてら、平静を保つ。


「もう大丈夫だ。元気出た」

「本当ぅ~? 卓ちゃん、意外と脆いからなあ。私は心配だよ」


 そう言われ、俺は頬っぺたをグリグリマッサージされる羽目に。


「ほえ、ほえっ」

「ほれほれぇ~」


 花が楽しそうで何よりだ。

 彼女の気が済むまでこのままでいいか……


 けれど、最大の失態をやらかすのはこの後すぐだった。

 優しい彼女に甘え、俺は完全に油断しきっていたのだ。

 普段のように勘を働かせたら、これが悪手だと気づいたのに。


「卓! 花! まったく、探したぞ」


 そこには、息を切らせた裕太が膝に手を預けていた。


「ゆーたっ」

「裕太ちゃん? 走ってきたように見えるけど、急用?」

「まあ……急用と言えば、急用なんだけど」


 花の声に、歯切れが悪い裕太。

 しかし、彼は急用とやらを空元気に乗せてまくし立てた。


「いや、最近な! 妙な噂を耳にしたんだ! 卓と花と付き合ってるとか、おいおいそんなことがあるわけ……あったりしたんだな、これがっ。そんな素振りを見せなかったし、コソコソ隠してたのか。やれやれ、幼馴染の俺には一言あって然るべきだろ。なんだよ、結構水臭いじゃねぇーか」


「裕太! 違うから! お前は誤解している」

「そうだよっ、卓ちゃんと私は全然――」


 花の弁解を遮るように、裕太は言葉を被せてきた。


「いや、馴れ初めを詮索するなんて野暮な真似はしないって。心配するな、俺は勘が良いから察しとくぜ。ハハッ、よく見ればお似合いカップルじゃん。仲が良かった二人がひょんなことから一歩先の関係に進んだとか……素敵やん」


 そして、ドヤ顔である。


「お邪魔虫は早々に去るから、あとは若い二人でごゆっくり。あーあ、幼馴染二人は恋人でリア充か。俺は一人寂しく帰路に就く。不幸だぁー」

「ちょ、待てよ! お得意の鈍感アピールはどうした! 顔が近寄ってたくらいじゃ、睨めっこでもしてたのかってボケるのが裕太だろ! 待てよ、ラブコメ主人公っ!」


 やけに物分かりが良い裕太を引き留めようとしたが、彼は十八番の難聴系だけを発揮して屋上からすぐさま姿を消すのであった。

 タイルのつなぎ目なんかに躓き、俺はかっこ悪く足をもつれさせた。制服に付いた汚れに気を留めず、あいつを追いかけようと指先に力を込めて地面を蹴ったその時。


「卓ちゃん、待って! 卓ちゃんは、私の話ちゃんと聞いてくれるよね?」


 ピタリと、制止する。

 勇み足を抑え、俺はくるりと踵を返した。


「どうした。裕太を早くとっ捕まえないと、花のヒロインキャリアが崩壊するぞ」

「別に、とっ捕まえなくていいよぉ~。少し落ち着いてねえ」


 いつもの調子で、花がゆっくりと喋った。徐に、俺の手を握りしめる。


「焦らない、焦らない。遅かれ早かれ、こうなったんだよお」

「だから、こうなったなら挽回しなくちゃいけないだろ」


 花は、駄々っ子を諭すような微笑みを携えて、


「……そろそろ、潮時かなあ。頑張ってみたけど、やっぱり伝わらないのは元々その気がないんだよねぇ~」

「花、何を……言ってるんだ」


 言ってる意味は分かった。

 ただ、理解したくないだけだった。


「いやぁ~、卓ちゃんを巻き込んでこの体たらくは情けないよねえ。最近、私も結構善戦してるって調子に乗ったのが悪かったのかな。失敗、失敗」

「ヘラヘラすんな! 今までの努力が全部無駄になるんだぞ。頑張ったことに意味がある、過程にこそ大事なことが隠されてるとか、そんなものは唾棄すべき妄言だッ! 努力は結果を出す手段であり、目的なんかじゃないからな!」


「うん、その通り。もう負けを認めた私に価値はないよね」

「――っ」


 俺は、声を荒げまいと唇を噛んだ。

 花を攻撃したいんじゃない。自分の力では彼女の願いを叶えてやれないことがただ悔しい。一番得意な分野を駆使しても、矮小な木っ端は微塵に砕けるのみ。


「そうだ! 卓ちゃん、本当に付き合っちゃおうかあ。嘘から出たまことだよぉ~。私たち、自他共に認める仲良しだもん」

「それは……」


 二の句が継げなかった。

 ――今思えば、諦観の念を滲ませた花を前に、どんな言葉をかけてやればいいのか所詮ただのモブじゃ対応できなかったのである。

 どれほどの時間が経っただろうか。実際には数秒ほどで。


「な~んて、嘘ぴょーん。冗談だよ、卓ちゃん。ドキドキして騙されちゃったぁ~?」

「花」

「今日は先に帰るね。また明日、バイバイ」


 花は、花らしい暢気そうな一面を保ったまま、屋上を後にした。

 一人取り残されたのは、裕太ではなく俺だ。

 独り言ちるには絶好のロケーション。


「……お前、そんな顔すんなよ」


 俺が見たかったものは何だったのか。

 堀田花の笑顔はもっと輝いていたのだ。

 それを曇らせたのは、他でもない俺である。


 いつも傍にあったと思い込んでいた眩しい太陽に影が差す。

 いくら手を伸ばせど、けっして届くことはない。

 夢うつつ幻か。

 雲を掴むような話だった。

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