第17話 裸の付き合い

 失敗したなら次の作戦に打って出ればいい。

 イベントは星の数ほど無数に存在するのだ。シチュエーションがなけりゃ、俺がでっち上げる。どれか一つ、圧倒的に撃ち落とせ。さすれば、勝機がいずれ訪れよう。


 裕太、花、裕梨、俺は、リビングでババ抜きに興じている。

 風呂の順番をゲームで勝った順にしようと提案したところ、採用された。


 現在、同着一位のエルミンさんと橘先輩が入浴中。「あんた、思ってたよりデカいのね。ちょっと触らせて」「きゃっ、もうくすぐったいですよ。エルミンさんのきめ細かな肌……スベスベで気持ちいい……」などとキャッキャウフフな桃色バスタイムかもしれない。


 ……ちょっと覗いてきていいですかね?

 イケェー、我が眷属! お供しますとも、我が分身!

 内なる悪魔と天使がついに和解。恒久和平の条約を結ぶことに成功。

 世界中の争いをなくすため、俺はドスケベを強いられているッ!


「はい、私の上がりぃ~」

「ちぇっ、俺の負けか」


 花が最後に放ったデスティニードローにより、勝利した。

 ババを投げ捨て、裕太は肩を落とした。


「お兄ちゃんは信じられないほどババ抜き弱いよね。これで何連敗?」

「……通算10連敗」

「ざっこ! クソ雑魚お兄ちゃん弱すぎぃ~」

「うるせー」


 裕太の頬を突きながら、裕梨はプークスクスと笑う。

 小学生の頃、泊まりに来た時にこんな光景を見たな。


 デジャブを感じ、いい加減回想シーン突入かしらとヤマを張ってみたものの、目に見えぬ大きな力に阻まれ当てが外れた。

 まるで、幼馴染をメインヒロインに据えることを看過しない抑止力みたいだ。


「ふぅー、サッパリした」

「お先に頂きました」


 二人が、洗面所の方から姿を現した。

 エルミンさんは、キャミソールにショートパンツを合わせたラフな格好。

 橘先輩は、ゆったり着るワンピースタイプのルームウェアだ。


「前から思ってたんだけど、この家のお風呂って狭いのよね。二人一緒に入ると身にしみて感じたわ」

「エルミンのとこは温泉なんだろ? こっちの一般家庭と比べられたら、ダンチさ」

「まあね。でも、ボタン一つで調整できるのは素晴らしいわ。シャワーも捻るだけだし」

「そんなの当たり前じゃない、エルミン。あなたの故郷、どれだけ田舎だったの?」


 裕梨は、敬愛するお兄ちゃんのようにやれやれと呆れていた。

 ヨーロッパの小国から留学して来たとか、そういう話で通ってるんだろうな。

 まさか、ドラゴンに轢かれて異世界転生したとか、なろう界隈でも見かけない眉唾である。


 皆さん、そろそろピクピク動く切れ長のお耳に注目してみませんか?

 どうして耳が長いのか、明日まで考えてみてください。でなきゃ、またモブごときに後れを取りますよ。ほな。

 裕梨の言葉に、エルミンさんは薄い笑みを浮かべるばかり。


「ま! 狭いお風呂も悪くなかったわ。みおんの身体も存分に堪能できたし」

「エルミンさんっ」


 沸騰したヤカンもとい真っ赤な橘先輩が抗議した。


「別に恥ずかしがる必要ないじゃない。あんた、知ってた? この子、うなじが弱点なのよ? 可愛い声出しちゃって……これがジャパニーズ眼福ね!」


 指をうねうねするな、エロ親父か。

 でも、今後彼女の弱点を利用するかもしれないし、どれだけうなじが弱いのか検証しないといけないと思うの。グヘヘ、お嬢ちゃん良い声で鳴くねぇ~。デュフフフ。


 美少女の絡み合いでご飯三杯イケる妄想チックバトル主人公とも、俺は誠に遺憾ながら接点がある。

 なぜか共闘して、ヘンタイ戦隊を打倒――いや、アレはもう忘れよう。


「むぅ。わたしの尊厳が傷つきました。もうエルミンさんはお友達じゃありません。絶交です!」

「ごめん、ごめん。みおん、冗談を言うのは友愛の証じゃない?」

「ふんっ」


 橘さんが頬を膨らませ、エルミンさんと目が合う度そっぽを向き続ける。

 あら~、イチャコラしてるぅ~。いいぞ、もっとやれ!

 別に、俺は白百合の楽園に踏み入るつもりはない。


 彼女たちがお互いに関心を注ぐ間、花には大手を振ってまかり通ってもらおう。

 ――王道ラブコメって道を。


「さて、せっかくだし裕梨たちも一緒に入ろうか」

「うん、いいよぉ~」

「今後の参考に、花っちの発育具合を丹念に調べないとね」

「裕梨ちゃんはお兄ちゃん譲りのエッチな子だなあ」


 花たちは洗面所へ向かう。裕梨が一度振り返るや、パチッと目配せをくれた。


「俺は別にエッチじゃないんだが……」


 裕太は小さなため息をこぼし、テレビに映る動物番組に視線を寄せた。

 俺は彼の隣で、動物と子供の触れ合いに感動BGMを流しとけばええやろという浅はかな番組構成と直面し、人のふり見て我がふり直せ味を感じた。


 イベントはすでに始まっている。

 お風呂に入るのならば、ヒロインは主人公に裸を披露しなくてはならない。覗かれなきゃ、風呂に入る意味などない。

 お風呂シーンの大先輩たるしずかちゃんでさえ、常々初心を忘れず日々是を実践している。キャーのび太さんのエッチ! 全く、先駆者は偉大だぜ。


 裕梨協力の下、花は今頃粛々と準備に勤しんでいるだろう。

 もちろん、彼女は裸を見せるなんて恥ずかしくて抵抗感があるはずだ。乙女心とやらを花だって持っている。


 しかし、俺はある一言を花に告げた。

 そして、彼女はやると頷いた。


 言質はない。ただし、脇役生命をかけるくらい自信があった。セリフのねえモブはただの背景だ。

 ラブコメ主人公の友人キャラは、半ば確信的に尋ねていく。


「なあ、裕太。エルミンさんの風呂覗いた時、全部見たか?」

「……ブフっ!? な、なっ! ど、どうしてそれを……っ!」


 氷魔法を唱えつつ、お茶を噴き出した裕太。


「いや、異国の美少女がホームシックにかかって、これ幸いと弱ってるところを襲いかかったんじゃねーかと思ってな。裕太は鬼畜王だろ?」

「誰が鬼畜王だっ。それに、あれは事故だった! エルミンの奴、こっちの世界の風呂は初めてだったから、電子パネルの操作が分からなかったらしく……」


「こっちの世界ぃ~? ハッ、エルミンさんが異世界からのエトランゼみてーじゃねーか」

「ハハハ! そんなわけないじゃないか、卓くん! 冗談だよ、冗談!」


 なるほど、科学の力ってすげー!

 驚愕と悲鳴を上げたら、異変に気付いた裕太と裸で鉢合わせパターンか。

 どこ見てんのよ、ヘンタイ! ワンパンを添えて、実にラブコメらしいじゃないの。


 源静香氏も、これには満足気である。

 裕太の更なる誤魔化しを聞き流していると、ようやく待ち望んでいた声が聞こえた。


「――お兄ちゃん! 洗面所にバスタオル置いといて!」

「裕梨、それくらい自分でやれ」

「お願い! 任せた!」


 ピシャリと遠くでドアが閉まったようだ。


「やれやれ、我が愚妹はワガママに育ってしまった。将来が心配だよ」

「裕太が甘やかしてきた結果だろ。行ってこい」

「……返す言葉もないね」


 いつも通り肩をすくめ、彼はカーペットに置かれたバスタオルを手に取った。

 エルミンさんにまた覗き行為したら、電気マッサージで煩悩を弾き飛ばしてあげると釘を刺されていた。それって、癖になっちゃうやつ? ちょっと、気になります。

 裕太を見送り、俺はただその時を待つ。


 …………

 ……

 瞑想中。

 ……Now loading.


 画面が暗転しまくるゲームはイライラ度が高い。

 ストレスがマッハや! 基本的なことがデキてへんやんけッ!

 心中穏やかに過ごせない程度に反応がなかった。

 おかしい。リアクションがない。ちょっと様子を見に行くか。


 本来、花の悲鳴を聞いてヒロインたちと浴場へ駆けつける。

 裕太が慌てふためきながらも確かに彼女の裸をガン見しており、石鹸で足を滑らせた花のおっぱいを揉みしだく不埒者を皆で成敗することで花のメイン回にする予定だったのだが。


 裕太は、一応アレでもラブコメ主人公だ。

 何の変哲もない、ありふれた、ごくごく普通なテンプレ主人公。

 ある意味、凡庸な脇役たる俺と対等の関係。だからこそ、ラブコメのひな形を提供してやれば必ず食いつくのである。


「妙だな」


 やたら日常を殺人事件に結びつけたがる探偵よろしく、俺は捜査することに。

 デザートは別腹と女子力キメるヒロインたちに気付かれぬまま廊下を曲がり、入浴中と書かれたメッセージボードが掛かったドアの前で立ち止まった。


「裕梨、いるか? 首尾はどうなってる」


 返事がない。ドアに耳を当てると、シャワーの音は聞こえた。

 この状況について考える。

 多分、あちらも待ちなのだろう。

 浴場のスモークガラス越しに、脱衣スペースの人影は確認できる。


 バスタオルをのこのこ持って来た裕太のシルエットが映ったら、計らず期せずして風呂上がりのタイミングと重なるわけか。

 俺の想定シナリオと若干異なるが、花がヒロインとして活躍できるなら文句はない。


 しかし、口を出さずにはいられない。重大な懸念が発生している。

 目下、主役様たる彼奴めが一向に姿を現さないではないか。

 アイツが覗かないと何も始まらない。


 神隠しにあったか、異世界転生したか知らんが、はよしろ。物語はお前を中心に回ってるんだぞ、たまにはスタンバってる連中を慮れ。

 ……もしや、他の場所でメインストーリーが進行している?


 ヒロイン抜き、モブが関与不可な、精神世界で大いなる存在と対話するセカイ系に入ったのではないかと一抹の不安を覚えた。

 俺は思わず、彼女たちに作戦中止を告げるため洗面所へ進入する。ピカピカに磨かれた洗面台と洗濯機が置いてある何度も見た光景だったはずだが……


「お嬢さん方、下着が丸見えですよ」


 目線のすぐ先、タオルバスケットには件の品ではなく、それぞれの部屋着と下着が綺麗に畳まれていた。下着を上に乗せてたらそれはそれは見えちゃうと思うの。

 ちなみに、拙者は紳士ゆえ白フリルのブラジャーや黒レースのショーツになど全然刮目していませんぞ! デュフ、プロビデンスの慧眼を開眼したのは偶然でござる。


 ふと、思考が巡った。俺がラブコメ主人公ならば、ドタバタした後バスケットに顔を突っ込んで、ブラジャーに埋もれたりするんだろなー。

 舞台装置を鑑みて、何が起こりうるかすぐ想定してしまう。


 この思考パターンでは主役は務まらない。

 その点、彼のリアクションは裏がない。素直に予想外の事態に驚いているのだ。


 ちょっと羨ましいぜ、少年。もう汚れちまったよ、俺はさ。

 ナチュラルボーン・ヒキタテストは、裕太が顔を突っ込みやすいようバスケットの位置を少しずらしたところで。


「ゆ、ゆゆゆ裕太ちゃんっ! タオル、ありがとっ」


 裏返った声と共に、ドアが勢いよく開け放たれた!


「ひ、ひひひ久しぶりに背中流してあげるよっ。突然だけど、一緒にお風呂入ろうかっ。入るべき! 入りなって! 入りなよ! さっさと入れコンチクショーッ」


 肌色成分9割な花は、目線を合わさず半ばやけくそ気味にまくし立てた。

 俺の腕を咄嗟に掴むや、駆け引きなどしゃらくさいと言わんばかりに浴場へ引きずり込んでいく。

 プルンと揺れた双丘が視界を過る。実りの豊穣、収穫祭はいつかしら?


「ちょ、待てよ! 俺だ! 裕太じゃねーぞ」

「……っ!? 卓ちゃん!?」


 濡れたタイルの感触を踏みしめると、花は俺に気付いたが時すでにお寿司。

 お寿司じゃなくて、遅しだろ!


「あ……」


 そんなツッコミも間に合わぬ一刻にて、彼女が突如バランスを崩した。

 既視感――石鹸に足を見事滑らせ、頭からゆっくり落下していく。

 未知感――シャワーフックに後頭部を強打。負傷、脳震とう。


 引き戻すには間に合わない! ならば、こうだ……!

 自ら接近もとい接触して、頭と壁の間に手をすり込ませた。フックを握りしめる。


「ぐっ」


 手の平をクッション代わりに、ゴツンと硬い衝撃が痺れを誘った。

 僅かに顔をしかめながらも、花はすぐにハッと我に返った。


「卓ちゃん、大丈夫っ!? 手、ごめんねぇ~。痛くない? 痛かったでしょ?」


 俺の手を握りしめると、摩擦熱が心配なほどさすり始める。


「平気。お前が怪我しなかったから問題ない」

「うん、ありがとう。でも、どうして洗面所にいたの? 裕太ちゃんと裸のお付き合いが作戦だよねえ?」

「あいつ、どっか消えやがった。それを知らせに来た」

「そうなんだなぁ~」


 作戦中止と聞き花がホッと胸を撫で下ろせば、オッホンとわざとらしい咳払いが一つ。


「お二人さん? 人の家のバスルームで何をイチャイチャしてるんだい? 裕梨に見せつけるのは大概にしてほしいね」


 横を見ると、裕梨がバブリーなバスタイムにしゃれ込んでいた。肩まで浸かっているので特に見えたりしない。


「別にイチャイチャしてないよぉ~。卓ちゃんは、私を助けてくれる人だもん」

「そうかい、そうかい。流石、卓っちは頼りになるってもんだ」


 頬杖を突いた笑顔がこれまた憎たらしい裕梨。


「……」


 俺が黙っていると、その分裕梨は多弁を弄した。


「それにしても、裸の女子を壁ドンとかやらしーじゃん。やるねー、卓っち」

「バカ、余計なことを」


 せっかく気付かぬフリが順調だったのに。

 俺は、気付いてしまった女子の反応を恐る恐る待った。


「……っ! ~~~っっ!」


 やはり、恋愛対象に該当しないモブと言えど、男に裸を晒している状況に羞恥心が向上しないほど鈍感なヒロインではなかった。

 花は大きな胸を両手で隠し、膝を抱え込むように座り込んでしまう。


「……卓ちゃん……み、見たの?」

「ミテナイヨー」

「見たんだ! エッチ! 卓ちゃんのムッツリスケベ!」

「このヘンタイ覗き魔ぁ~。セクハラ大魔神~」


 うるさいぞ、外野。俺にガヤで挑むとは笑止千万、片腹痛し、捧腹絶倒。


「心配するな! いつも通り、白いケムリと謎の光によるダブル規制が花の尊厳を守ってたぞ! 大丈夫、君、まだ清純。全然、イケる」


 こうモクモクとね? ピシャーンとか、上も下もちゃんとガードしてあったぞ。これはBDを買わなきゃ、見られないやつである。

 むくれる花を宥めつつ、今回は助けてくれたから許してやると情状酌量が認められ安堵したところ、ようやく真打が登場した。


「わ、何この状況?」


 開けっ放しのドアの向こうで、裕太は怪訝な表情でこちらを眺めていた。ご丁寧に畳んだバスタオルを両手で抱えている。


「かくかくしかじか!」

「かくかくしかじか?」

「説明したけど、文字数多いから省略しますって意味だ」


 察しろ。チンケな脇役でさえ、これくらい予想できるぞ。


「俺、説明聞いてないんだけど」


 やれや――以下略。

 かくかくしかじか。


「ふーん、滑って転んでそうなって。ははっ、卓はまるでラブコメ主人公みたいだな」


 ……は? オメーに言われると、皮肉にしか聞こえんぞ。

 内心、イライラしちゃったぞ。さりとて、俺はつつがなく話を進める。


「タオル持って、どこに行ってたんだ? ストーリーの進行が心配だったぞ」

「トイレだよ、ちょっと友達から連絡がね。ところで、ストーリーの進行とは?」


 はい、ダウト。裕太、俺以外友達いないだろ。

 自称友達のヒロインならいくらでも増やせるものの、ディアフレンドはただ一人。  

 リアルガチで俺以外の男と交友関係が皆無か。最早、広い狭いの領域ではない。


 フレンド/ゼロ。舞台は、フォロワーとの繋がりの多さで強さが決まるコネクトワールド。イマジナリーフレンドの使い手・瀬利裕太はどう戦う!? 異能力バトルに転向する際は一声かけてくれ、アドバイスするぞ。


「んー、お兄ちゃん。ごく自然にレディーの入浴姿を覗くとかどんだけ。それとも、裕梨の裸にすごーく興味があるって? やっぱり、妹に興奮するんだ。このシスコン!」

「――いや、全然? 全く以って、ナッシング。だって裕梨、見せるほど胸ないじゃん」


 5Gも度肝を抜かす、超スピードなレスポンス。テクノロジーがイノベーション。

 むしろ、タイムラグが発生しない技術革新にモンスタークレイマーが吠える。


「この阿呆兄ぃーっ! 裕梨に……裕梨に言ってはならないことを……誰が、ぺちゃぱい貧乳まな板寸胴ジェンダーレスじゃぁぁあああ――っっ!」

「そこまでは言ってねぇぇえええ――っ!?」


 傍にあったケロリーンな桶を投げつけ、裕梨は痛恨の一撃を放った。

 キーパー気合の顔面ブロック、というか直撃を受けた裕太が倒れ込む。


 幸か不幸か、はたまた主人公補正の賜物か。

 タオルが宙を舞う中、裕太は言わずもがな例の場所へ頭を突っ込ませていく。なんせ、ブラックホールのごとき吸引力が彼の墜落先を軌道修正したのだから。

 俺の微調整、要らなかったですね、ええ。


「あべしっ」


 毎度お馴染み、イマジナリーフレンドの名前を叫んだ。

 理不尽暴力に耐性を持つラブコメ主人公はすぐに復帰した。


「いてて……裕梨、暴力じゃ何も解決しないぞ。昔の泣き虫で俺の後ろにいつも隠れてた頃に少しだけ戻ってくれ」

「フン、そんな記憶ないもん! お兄ちゃんみたいな妄想癖が強い男はぶっ叩かないと治らないんだから!」

「俺はブラウン管じゃないんだが」

「懐かしいねぇ~、10年くらい前によく叩いてたなあ」


 花にタオルを拾ってやると、前を隠した彼女が物思いに耽っていた。

 緊張と緩和の一波乱が去り、このシーンはもう展開しないだろう。


 詰めが甘かったと精神世界でもう一人のぼくと反省会に興じれば、どうやら山場は残されていたようだ。

 洗面所のドアに人影あり。さらりと銀髪が揺れた。


「騒がしいと思って様子を見に来たら、何なのかしらこの状況は?」


 エルミンさんが淡々と、無表情で立っていた。


「お兄ちゃんが、裕梨たちの裸を舐めるように堂々と覗いてきた!」

「卓ちゃんもエッチな目でグヘヘって笑ってたの」


 美少女たちの悲痛な訴えに、エルミンさんがへーと相づちを打った。


「エルミン、誤解だ! これは……事故だったんだよ!」

「あんた、あたしのお風呂覗いた時も同じ言い訳したわよね。せめて、もっと言いくるめそうなバリエーションを用意してないわけ?」

「宣誓っ! 俺が、お前らに不埒極まる行為などするわけねーだろ! 信じてくれ」


 目と目が合い、気持ちが伝播する。

 珍しく神妙な面持ちの裕太に、エルミンさんは心を動かされた。

 ……かのように、思えた。


「ふーん、それで? 裕太が今、ずっと大事そうに握り締めているものを詳細に説明してみなさい」

「……何、だと……!?」


 ゆっくりと拳をご開帳。

 果たして、彼が大切そうに握り締めていた宝物とは、黒レースのショーツだった。丸まったそれのしわを丁寧に伸ばす。


「……シルクの触り心地はとても良きものだ」


 瀬利裕太、辞世の一言。


 ここから先は描写を躊躇うほどエルミンさんに電気マッサージを施され、昇天したセミさながらにくたばっていた。セクシー女優顔負けの大開脚。どこに需要があるんだ、それが分からない。きゃんきゃん鳴いたり、涎を垂らしたり、とりあえずモザイク処理が必要だった。そして、割愛である。


「私のショーツ、欲しいならあげるよ。でも、他の女子にこんなエッチなことしてたら嫌われちゃうんだからねぇ~。気を付けてね、裕太ちゃん」


 怒ったような、嬉しいような、花は感情を交じらせていた。


「お兄ちゃん、どうしてもって言うんなら、裕梨の下着貸してあげる。勘違いしないでよね、バカ兄が性犯罪に走って家族に迷惑かけるくらいなら、裕梨が瀬利家を守りたいだけなんだからねっ!」


 そう言って、二人のバスタイムは終了。

 覗き魔二人はしばらく、反省しなさいと浴場に閉じ込められた。エルミンさんの障壁魔法とやらで脱出不可能だ。


「銭湯なら構わないけどさ、どうして家のせまっ苦しい風呂に男二人で浸からなきゃいけないんだ」

「裕太のシャワーが早いからだ。身体以外にもっと洗い流せよ、煩悩とか」

「卓にだけは言われたくないな」


 浴槽の中、お互い体育座りで向かい合っている。

 悲しいね、あぁ悲しい。


「風呂の中まで野郎の腐れ縁が続くなんて、不幸だ……」


 全くの同意だ。ヒロインと入浴してくれ。特に花の好意と向き合ってくれ。

 裕太の鈍感力を突破する方法を考えていると、彼が波飛沫と共に立ち上がった。


「多分、エルミンはドアの前で見張ってる。そろそろ勘弁してって頼んでみる」

「ふぁっ!?」


 何を言ったか聞いていなかった。否、聞こえなかった。

 なぜなら、突如ご立派様が俺の視界にチーンと鎮座したのだから。

 ……すごく、大きいです……

 要約すると、裕太の裕太君は裕太さんだった!


「これからはお前のことをアニキと呼ばねばなるまい」

「は? いきなり劇画チックな顔で低い声出すなよ」

「アニキ、お背中流します! 自分、初めてアニキを尊敬しました!」

「や、やめろ……っ! 卓っ、俺に触るな――アーッ」


 蒸気煙る浴場。

 湿度高く、水も滴る男同士が二人きり。

 何も起こらぬはずがなく……

 ――俺の記憶はここで途切れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る