第11話 屋上
新校舎の屋上は、以前侵入した旧校舎側と違い綺麗なテラスになっていた。
モダンタイルと大理石が敷き詰められ、外観を損ねないよう草木や色鮮やかな花が植えられている。屋外テーブルに日傘が備え付けられ、オープンカフェの様相だ。パリっ子に弱い日本人として、オー・シャンゼリゼと口ずさみたくなる。
「あれ、裕太じゃないか! なんだよ、最近付き合い悪いと思ったらこんなところにしゃれ込んでたとはな。全然気づかなかったぜ。え、俺がどうしてここにいるか? 偶然たまたま、通りかかっただけだぜ」
説明台詞が多いのは三流ライターの証って脚本指南本に書いてあったが、別に俺は脚本家ではないので説明しちゃいます。
屋上に入り、ツタが絡まる迷路を抜けた先に彼らはいた。
テーブルを囲むは、二人の男女。主人公、そして新たなヒロイン・橘みおん。
「あー! あ、あなたは、麗しの橘みおん先輩じゃないですか! また邂逅叶うとは、これは間違いなく運命ですよね!?」
「えっと、あなたは確か……」
橘先輩がブロンドヘアを揺らし、困惑気味に記憶を引っ張ろうと唸り出す。
「おい、卓。お前の存在感が薄いから、橘さん困ってるじゃないか」
「おいおい、こんな美丈夫一度見たら忘れねーだろうがッ」
美人先輩の前では、お調子者という設定だ。裕太が控えめな分、俺はウザさ成分多めの三枚目。
「思い出しました! 瀬利さんのお友達で、愉快な方です。名前は、大友さん!」
ズバリと指を差す橘先輩。
「いや、こいつは」
「はい、俺の名前は大友卓です! よろしくお願いします! いつも親友の裕太がお世話になってありがとうございます! 迷惑ばかりかける奴だけど、愛想を尽かさず相手してもらえるとお嬉しいです!」
モブキャラの名前は重要じゃない。田中太郎でも構わないが、ある意味その名はキャラ立ちしているので俺に相応しくない。どうも、大友です。大川でも大原でも可。
橘先輩に馴れ馴れしく握手を交わすや、彼女は嫌な顔をせず握り返してくれた。
「そんな、全然です。こちらこそ、瀬利さんのお友達なら、大歓迎です。瀬利さんには数えきれないほど良くしてもらっていて、わたしばかり助けてもらってますから」
橘先輩が、ニコニコと過去を振り返るかのように表情を緩めた。
当然、俺はそのエピソードを目撃していないものの、いわんや調査済みだ。
学園のアイドルと評される彼女は、誰にでも優しく分け隔てなく接する理想のお嬢様――それは事実であり、真実ではない。
誰にでも優しく分け隔てないとはすなわち、等しく他人に興味がないのである。
幻滅を恐れ、作られたイメージを自ら払拭する勇気がなく、他人には他人行儀が加速していく一方。結果として友と呼べる存在は消え失せ、オーロラの如き幻想だけが彼女を覆い纏っていった。
実はオタク系という、最近じゃ意外性の欠片もないお嬢様の秘密が露呈し、それをきっかけにラブコメ主人公と仲を深めたのだが、それはまた別のお話である。
メインストーリーの出来事は、伝聞推量時々覗きで判断するしかなく多少のズレはご了承ください。自分、脇役ですから。主要登場人物たちの台本、持ってないんよ。
「おぉーっ! 橘先輩、その弁当めっちゃ豪華じゃないですか!」
テーブルに置かれた、漆塗りの重箱にスポットを当てる。
ご飯の上に乗るサーロインステーキは分厚く赤身が美しい。サクッと揚がった天ぷら、器から顔がはみ出す伊勢海老、宝石のように一粒ずつ輝くイクラは眩しい。
高校生の昼飯ってこれマ?
ママ友ランチでさえ、こんなコスト高くねーぞ。平均1500円!
「今日はたまたま量が多くなってしまいました。いつもはもっと少ないんですよ?」
「なるほど、作りすぎちゃったと言うことで、裕太を呼んだんですか。お手製弁当をダシにするなら、これから毎朝早起きですね」
「そ、そそ、そんなことありませんよー?」
バツが悪そうに視線が泳ぐ。あ、これ黒ですわ。
「橘さんをからかい過ぎだ。彼女はお嬢様なんだぜ? 専属コックが作ってるに決まってるじゃないか。まったく、卓はアホなんだから」
「……」
アホはオメーだよ、瀬利裕太。
ヒロインが昼ご飯を誘ったのに、一番大事な主人公に食べさせる弁当を他人任せにするわけねーだろ。いい加減、人間を見ろ。心眼を養いたまえ。
俺の慧眼に映るは、心を失った何か――
「……そ、そうですっ。不器用ですし、わたしが作ったらもっとグチャっとなります」
橘先輩が、ハハハと乾いた笑いで誤魔化していく。
お行儀良く膝に乗せた手を見れば、絆創膏が何枚も張られていた。
船場吉兆スタイルで主人公に囁こうか迷ったものの、俺は幼馴染を勝たせるために来たのだ。頭が真っ白になろうが、同情もフォローもしない。
「大友さんも良かったらどうですか。二人でも食べ切れそうにありませんので」
「え、良いんですか!? いやぁ、持つべきものは親友だぜっ」
「さっきパン食べてたのにまだ食欲あるのかい? やれやれ、うるさいのが増えたなあ」
「もっと親友を大事にしろ、この薄情者! 橘先輩のお手……華麗なる一族とご相伴に預かれるなんて、俺はもう今生の運を使い切ったぜぇぇぇええええーーっっ!」
はぁ……このテンション疲れるな。ちょっと、省エネにシフトするか。
裕太の隣に腰を下ろし、いただきますと蓮根の天ぷらに手を伸ばしたところで。
「あぁ、もう一人増えてもいいですか? さっき、約束した奴がおりまして」
入口の方から足音が徐々に大きくなった。なんで迷路になってるのぉ~、と情けない声も聞こえる。微妙に長ったらしい間を空け、花はようやく辿り着いた。
「花も来たのかい? だったら二人共、最初から誘えばよかったかな」
裕太は、花の登場を意外そうに眺めていた。
そりゃそうだ。この場は本来、アイドル系ヒロインと秘密の逢瀬に使われるロケ地。橘みおんのヒロインパートと言えば、新校舎の屋上。
橘先輩がメインのシーンに、俺たちはお邪魔もとい強制介入した侵略者である。
彼女が嫌な顔をするか予想すれば、“瀬利さんのお友達なら大歓迎”と言うだろう。
花はテーブルに近寄り、ぺこりと頭を下げた。
「あの、私っ、堀田花って言います。裕太ちゃんと卓ちゃんとは幼馴染で……」
「堀田さんですね、知ってますよ。瀬利さんからいつも話は聞いてますから」
「えぇっ、学校の有名人が私のことを!? 一体、どんなことを?」
「ふふ、それはそれはもう……」
微笑で言及を避ける橘先輩に対して、花はネタ元を追及することに。
「むむむ、裕太ちゃん! どうせ昔の恥ずかしいこと言いふらしたんでしょ!」
「俺がそんなことするわけないだろ」
「するもん! 私が小学生の頃、先生のことをママって間違えて呼んじゃったり、プールの授業があるからスクール水着を下着替わりに一日過ごしたとかバラしたんだぁ~」
そして、誤爆である。
「いや――それは言ってない」
「愉快な方がもう一人……くす」
「~~~~~~っっ!」
そっとイスに倒れかけ、真っ白に燃え尽きた花。その正体見たり枯れ尾花。
別に幽霊ではないが、今の彼女は一流のモブを凌ぐほど存在感が希薄だ。
お前、消えるのか? まだゴールするには早い。透明化やめなさい。
「堀田さん、瀬利さんのお友達なら大歓迎です。面白い話はまた聞かせてくださいね」
橘先輩に気に入られたところで、手を緩めずさらに懐へ飛び込もう。
話題を変えるため、俺はサーロインステーキの咀嚼を中断した。
「そういえば、花。どこで昼ご飯調達したんだ?」
花が遅れてやって来たのは、買い出しを頼んだからだ。彼女の右手には未だ、Mマークがロゴのビニール袋をぶら下げている。
「近所の……マックまで、走って……」
ダメージが深刻な花がぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。いや、君が頑張るターンだぞ?
つい嬉しくなって、ランランルーと聞こえてきそうなハンバーガーセットを見た途端、橘先輩に異変が起きた。
「こ、これはっ」
ガタリと、イスから立ち上がる。
「まさか、そんな……」
某マクドナルドに戦慄した、お嬢様は果たして――
俺たちが固唾を呑んでいると、彼女はゴクリと生唾を飲んだ。
「わたしがずっと憧れていた、マクドナルドのダブルチーズバーガーセットですか!? こ、これをどこで!?」
「マックだろ」
「すごいです! 本当に実在していましたっ!」
俺のツッコミを華麗に避け、橘先輩のテンションが爆上がり。
それもそのはず、彼女はいわゆるファーストフード店に立ち寄ったことがない。
一流の人間たる者、一流の食事を取れ。
それが彼女の家の方針らしく、友達との会話で出てくる庶民の食べ物に興味が積もるばかりで、もはやファーストフードは憧れの的と化していた。
羨望の対象を目前に提示されれば、誰だって鼻息荒くなるものだ。
コエビで鯛が釣れるなら、俺はマックでお嬢様を釣り上げる。
「あの、橘先輩。良かったら、お弁当交換します? こっちは500円セットで、全然つり合ってないですが」
「おいおい、卓。高級弁当だぜ? そんなぼったくりみたいな条件が成立するわけ」
「ぜひ、お願いします!」
瞬く間に、橘先輩は花の手からビニール袋をお納めになるや、まだ温かいそれを宝物のようにお抱きになられていた。
「夢にまで見たマクドナルド……大友さん、ありがとうございます。わたし、ずっと大事にしますね」
「さっさと食べなさい」
「そんな! これは、一生に一度のチャンスですよ!? 我が家では、ハンバーガーを食べたいなら、トリュフとフォアグラをパンに挟めばいいじゃないと言われるんですから」
「ビーフオアチキンではあるな」
「さらに、パンがなければケーキを食べればいいじゃないと言われ」
「いや、その理屈はおかしい」
イチゴの代わりに一口ハンバーグが乗っかるショートケーキを想像した。とても不味そうだと思いました。一流の味とは如何に?
史実的根拠はないマリーアントワネット思想に怯んだものの、俺はどうにか会話の流れを誘導できた。若干顔色が良くなった花へパチパチ目配せする。
「なぁ~に、卓ちゃん?」
花は首を傾げるばかり。
ダメだ、この幼馴染……早く……何とか、もう手遅れだ。
長年の悩みを自己完結したところで、俺は遂に船場吉兆スタイルをキメた。
頭が真っ白になりそうなのはこっちだよ。はよ、その人を遊びに誘え。お前は、橘みおんのヒロインパートの主導権を奪わなければならない。と囁いた。
「はいはいっ! 橘先輩、私に良い考えがありまぁ~す」
古今東西、失敗フラグの汚名を着せられたセリフと共に花が提案する。
「ファーストフード店に行ったことないなら、さっさとデビューしちゃいましょう。一人で行くのは心配? 大丈夫ですとも、私がお手伝いしますよ。それに、裕太ちゃんも一緒に来るもんねえ~」
「おいおい、なんで俺も一緒に行くんだよ? 一応、これでも忙しいんだぜ? 花が誘ったんだから、邪魔者を介さず二人で親睦を深めなって」
裕太は、急に話を振られてぶっきらぼうに返した。
毎度のこと、こやつに悪意はないはずだが、それをヒロインが聞いてどう思うか胸に手を当てて考えてみてください。さては君、道徳の時間毎回寝てましたね。
「そうですよ……わたしなんかのために、二人の時間が無駄になるのは心苦しいです」
萎びたマックポテトもとい橘先輩は、意気消沈気味に目を伏せてしまう。
「……」
「……」
し~ん。
返事がない、ただの沈黙のようだ。
し~んとしたシーンじゃんと言えば、場を和ませられるかしら? 無理だね。
心中、俺はう~んと唸った。
お前ら、どんだけシャイボーイ&シャイニーガールやねん。
こんなコミュ力で大丈夫か? 大丈夫じゃない、問題あり。
普段、モブ立ち入り禁止なメインストーリーの会話劇に一抹の不安が過ったけれど、そちらには台本が用意されているゆえ案ずることなかれ。モーマンタイ。
ラブコメにおける友人キャラという異物混入の余地がある舞台は、アドリブが許されているのだ。もちろん、全ての有益権は主人公様に帰属されるのだ。
花の交渉が初めから上手く運ぶなんて想定していない。
だってそれなら、俺が彼女を助力するくだりが全く以って無駄なのだから。
こんな時のために、俺は準備を欠かさない。
お勉強でも、意外と予習はやってくる派なのだ。おゲームでも、レアアイテムを逃すと悔しいので攻略情報は調べるタイプなのだ。ただし、結局エリクサー症候群であるが。
「あ、唐突に思い出したことがあるっ!」
「何だよ、突然大声出して。卓はあいかわらず空気が読めないのかい?」
「うるせー、お前にだけは言われたくねーっての!」
本音を多分に含んだ小芝居を挟むや、俺はコホンと咳払い。
「聞いて驚け、見て凄め! なんと、俺の財布の中にはっ! サイゼリヤの株主優待券が入っていたのだぁーっっ!」
ポケットから財布を引き抜き、テーブルに優待券を叩きつける。
「――しかし。俺はもう一つの事実に気付いてしまう。優待券の使用期限は今日までなのだ! いつか、今度、きっと、そのうち……ずるずると使うタイミングを引き延ばした挙句の結末はなんと悲しき現実か! 実は今日、どうしても外せない急用を作った! この優待券は泣く泣く仕方がなく、裕太に託すからよぉ……だからよ……断るんじゃねーぞ」
断じて、中野ブロードウェイの金券ショップで期限ギリギリ券を探してくる面倒なまねはしていない。メルカリをも駆使して、今日期限を全力調査していない。
さて、親友の頼みだ。
裕太は照れくさそうに表情を緩め、ったく仕方がないなと漏らしつつ、
「――だが、断る」
「なんでや! この人でなし! 鈍感朴念仁! 少しは人の気持ちが分からないのか、非モテ気取りのリア充野郎っ! さっさとくたばれ!」
「人をまるでラブコメ主人公みたいに言うなよ」
彼は再び、ラブコメ主人公みたいなことを言い始めた。
「大体、急用を作ったってどういうことだ? いつも通り、卓は意味不明だなあ」
「人の粗探しばかりするな! それは俺の役目だ、勝手に取るんじゃない。フン、裕太にはガッカリだ。前髪目隠しマンの冷たい態度に俺のピュアハートは酷く苛まれたぞ」
「やれやれ」
裕太がお決まりのポーズを構えたところで、俺は目線を花へ向ける。
「花っ! これはお前に託す。ホント今日までだから、ちゃんと勿体ぶらず使えよ!」
「卓ちゃんは優しいねぇ~。うん、分かった。使うよ」
優待券を握らせると、素直な花はこくりと頷いた。
交渉材料を手に入れたのだ。次は失敗しまい。
「橘先輩、やっぱり行きましょう。せっかく、好意で優待券が手に入りました。興味があるなら自分で一歩踏み出さないとダメなんですよぉ~」
「そう、ですけど……」
橘先輩は、迷子よろしくオロオロと裕太の様子を窺っている。
やがて観念した様子で、彼は口を開いた。
「了解、俺も行くよ。えぇ、ぜひ参加させていただきますとも」
「裕太ちゃんっ」
「考えてみれば、タダで食べ放題なんだ。こんな機会、滅多にないしね」
それにと付け加え、裕太がこちらを見た。
「機嫌を損ねた悪友が、これ以上面倒な奴になったら大変さ。世間にどんな迷惑かけるか予想が付かないし、社会貢献はしなくっちゃね」
「おい、それはどういう意味だッ。答えろ、裕太ぁーっ!」
裕太にヘッドロックをかまして、ドッタンバッタン大騒ぎ。
この辺でいいか。彼と彼女の空間に、彼女が入り込むスペースが出来た。
コメディ調にまとめて次のヒロインパートに備えようとしたちょうどその時。
「ふふ、本当に仲良しさんですね……大友さんみたいな気の置けない友人がいて、瀬利さんが羨ましいな」
「もう、橘先輩。違いますよお、卓ちゃんは大友じゃなくて大野です。冗談なら、もっとすっとボケないと採点厳しいですよぉ~?」
「――え?」
「……え?」
刹那のアイコンタクトは何を物語ったのか、それは俺には分からんよ。少なくとも、本気で間違えていたことに橘先輩が気付いて見せた、驚愕の表情まであと3秒。
「やれやれ」
本家本元ラブコメ主人公の隣で手前味噌になりますが、元祖元来友人キャラの俺はふかぁ~く肩をすくめるのであった。
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