第3話 転校生

 二年一組の教室に、生徒は疎らだった。

 我が親愛なるクラスへ入ったものの、友人たちはまだ来ていない。


 窓際の自分の席に座り、小さなため息を吐く。朝っぱらからハイテンションで動き回ったのだ、そりゃ疲れるってばよ。カーテンがそよ風で揺れる中、俺は机に突っ伏した。

 しかし、その途端。


「卓ちゃん。朝からお疲れモード?」


 聞き慣れた声が耳元で聞こえる。

 のっそり顔を上げるや、相手はぱちくりと瞳を瞬かせた。


「なんだ、花か」

「もう、また夜更かししたんでしょ! 卓ちゃん、たまには早寝早起きしなさい」


 お前は俺のお母さんか。

 否、彼女は幼馴染の堀田花。肩まで伸びた漆黒のショートボブが似合っていて、ハツラツとした表情がよく顔に出る子だ。足の太さを気にしているようだが、短いスカートから覗かせる健康的な太ももは需要があると思いました。チラチラ。


 俺と裕太、そして花は幼稚園の頃に出会った。家も近所で数えきれないほど一緒に遊び、同じクラスになったこともしょっちゅう。俺が気軽に話しかけられる数少ない女子にして、勝手知ったる存在だ。


「あれ、そういえば裕太ちゃんは? 一緒じゃないの?」

「ん。彼奴は、美人の先輩と同伴登校キメてる。空気の読める俺は、一足先……いや二足先に退散した」


 ラブコメ主人公とヒロインの登場シーンゆえ、邪魔者はさっさと消えないとな。さもなくば、モブなんて主役様の機嫌次第で存在ごと抹消されてしまう。


「美人の先輩?」

「聞いて驚け! なんと! 裕太が一緒にいたのは、彼女にしたいナンバーワンの称号を持つ橘みおんさんだ!」

「……っ」


 花は、怪訝そうに眉を細めた。


「ふ、ふーん? へ~、そうなんだ……まぁ、別に全然興味ないんだけどね? 二人の関係ってどんな感じなのかなぁ?」


 めちゃくちゃ気になっとるやないかい。

 10年くらいの付き合いだ。乙女心の機微など皆目見当が付かない俺ですら、流石に花の心情は予想できた。なんせ、彼女のキャストは瀬利裕太の幼馴染なのだから。


「お、急にどうした? いつもの花らしくない。まるで、探りを入れてるみたいだ」

「そんなわけないから! 私が素行調査みたいな真似するわけないじゃん!?」

「本当に?」

「本当に!」


 あくまでしらを切り続けた容疑者に対して、


「そうだな、花がそんな回りくどいことするわけないよな」

「そうそう。まったく、卓ちゃんは嫌だなぁ~」

「じゃ、裕太に直接聞こうぜ」

「――あれ? 今、俺のこと話してた?」


 ドアの方へ視線を移せば、裕太がひょっこり登場した。


「おう。ちょうど今、お前と橘さんの関係について必死に花が――むぅ」

「何でもないよ! 全部、卓ちゃんの妄想だから! ハハハ、嫌だなぁ~」


 口元を押さえられ、ついでに首回りをロックされてしまった。

 ぼく、テロリストに捕まった人質かしら?


「よく分からないけど、橘さんとは特別な仲じゃないさ。以前、ちょっと相談を受ける機会があって、それからたまに喋るようになったくらいだ」

「へぇ~、私はそんなことだろうと思ってたけどね。裕太ちゃんが急にモテモテになるなんて、卓ちゃんが健康的な生活リズムを送るくらいあり得ないもん」

「そんなに!? やれやれ、花は辛らつだなー」


 お互い、ハハハと談笑を交わす。


「……」


 俺は拘束されたまま、静かに苦笑する。

 学校一の美少女の相談に乗り、おそらく解決へ導いた。

 ……これが特別な仲じゃない?

 アホか。嘯く奴も、鵜呑みにする奴ももっと思考しろ。


 そもそも、ヒロインの悩みほどレアアイテムは存在しない。それを入手できる条件は、断じて運やラッキーにあらず。偶然を装うことが大好きな、純粋たる主人公力の賜物だ。


 俺の憂慮をよそに、花はバシバシと肩を叩いてくる。

 裕太の柔和な笑みに悪意や騙す意図はないだろうが、モブ視点で語ればほんと厄介な存在だよ君は、である。

 キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴ると同時。


「オウ。さっさと席に着け」


 担任の渡辺教諭が教室へやって来た。

 各々が机に着いてもお喋りが止まない中、渡辺教諭がイライラと教卓を叩く。きっと先生の頭皮が薄いのはストレスなのだろう。

 いつも通り朝のHRが淡々と始まるかと思えば、彼は億劫そうに言葉を発した。


「えー。突然だが、一組に新しい仲間が加わることになった。いわゆる、転校生だ」


 ザワザワ。

 ガヤガヤ。


「「「……っ!」」」


 おい、どういうことだ?

 こんな時期に転校生?

 美少女以外認めねーぞ!

 教え子たちの野次を鬱陶しそうな顔で払い除け、渡辺教諭は頭を掻きむしる。


「ピーピー、うるせー。詳しいことは本人に聞きやがれ」


 入って来いとの指示に、ドアから姿を現した転校生とは果たして。


「エルミン・カルシーファ。今日からお世話になるわ。一応、よろしくと言っておこうかしら」


 そして、ドヤ顔である。

 エルミン・カル……シウム?

 骨密度が高そうな名前だと思った。いや、違う。そうじゃない。

 どう見ても、外人だ。耳がシャープだもん。


 腰まで流れる銀糸は日差しを浴びてキラキラと輝いているようだった。宝石みたいな碧い瞳は見た者を吸い込むかの如く自信に満ち溢れ、私は美人と言わんばかりに鼻筋が真っ直ぐ通っていた。恵まれた背丈とスラリと長い脚のバランスは女性をも魅了するだろう。


 偶然たまたま、第二ボタンまで開けたブラウスが視界に入ったけれど、たわわに実った二つの希望が世界の安寧を知らせていた。ボインとか。プルンとか。そんな感じです。

 銀髪の転校生、来たれり。


「ヤッホーウ! 当たりだ当たり! 超当たり!」

「天使や! うちのクラスに天使が舞い降りたんやッ」

「……ふつくしい」


 校内でもお調子者として有名な三バカトリオを筆頭に喧騒が巻き起こった。


「脚の長さ、マジヤバ」

「顔小さっ!? 8……? いや、これは幻の9頭身!?」


 女子は女子で盛り上がっていた。

 ざわつく教え子たちを心底鬱陶しそうに、渡辺教諭が舌打ちをかます。


「お前ら、本当にうるせえな。俺が教室にいる時は騒ぐな。宿題、倍にすっぞ」


 シーン、と。

 我々は、一瞬で押し黙る。


 彼は英語担当なのだが、宿題の多さと考査の難易度は校内屈指なのだ。

 背筋をピンと伸ばして優等生然とした我々を見て、先生はニヤリと笑みをこぼした。


「ったく、やればできんじゃねーか。さて、転校生。お前の席はそうだな……」


 男子一同、ゴクリと固唾を呑んでいくサイレント。

 刹那のアイコンタクト。全米が泣いたり、総集編が差し込まれる波乱に満ちた思考の攻防が繰り返された。


 まぁ、美少女転校生に最速でお近づきするには隣の席になるしかない。俺だって、灰色の青春に一筋の光を差してくれとつい期待してしまう。思い出アルバムに輝かしい一ページを載せたいと思うのは当然の帰結だろう。


 ――否、一流のモブはそんな幻想に惑わされたりしない。

 まるで仕組まれたかのごとく配置された構図を俯瞰すればあら不思議。

美少女転校生が一組に足を踏み入れた瞬間、俺は彼女が座る場所など想定済みだ。

 曰く、


「エルミンさんは、確か瀬利の家でホームステイ中だったか? 不慣れなこともあるだろ、瀬利の隣でいいな」

「はい」


 一斉に中央列最後尾の席を陣取っていた主人公へ視線が集中する。

 お約束なのか、裕太はさらに背後を振り返った。しかし、そこにはロッカーしかない。


「えぇ~~~~~っ!?」

「「「ナンダッテーッ!?」」」

「それってつまり、ど、どど、同棲じゃ~ん!」


 ど、どど、童貞じゃ~ん! みたいなノリだったゆえ、一瞬俺のことか勘違いしちゃったぜ。違うね、いやDTだけど。


「聞いてねーぞ! ちょ、待てよ! 瀬利ぃ!」

「お前、いつも地味なくせに一番大事な場面で出しゃばりやがって!」

「草食気取りの、肉食系ってか。卑怯だぞ、このロールキャベツ野郎っ!」

「いつもピーマンの肉詰めみたいな顔しやがって!」


 クラスメイツの詰問に、件のラブコメ主人公はお決まりのポーズを構えた。


「やれやれ、一体どんな顔だよそれ……」


 この少年は一日何回肩をすくめるのか疑問を抱けば、銀髪美少女が颯爽とモデル歩きで裕太の隣へやって来た。


「裕太、学校でも一緒ね。こっちの教育制度には興味があるの。ぜひ、ご指導ご鞭撻のほどお願いするわ」

「エルミンは学校だと素直なんだね。いつも、この調子だと助か」

「皆さん、色々教えてくれたら嬉しいわ。これから仲良くやりましょ」


 裕太が何か言った気がするものの、美少女オーラが迸った微笑みの前では無意味だ。

 当然だよね、可愛い子が増えたんだからっ。学校生活が楽しくなるぞ~!

 歓迎ムードにて、浮れた顔がひしめく中。


 俺は一人だけ、目線を少し前の方へ向けた。

 ……あれれ~、花の表情が優れないな。おかしいな~?


「……っ」


 意気消沈。

 堀田花は机の下で握り拳を作るや、心穏やかじゃないご様子だ。

 ――一体どうして、幼馴染の少年が知らない少女と一緒に暮らしているのか。

 私は知らない、聞いてない、そんなことがあるわけがない。


 一方、俺の感想と言えば。

 俺も知らない、聞いてない、そんなことがあるだろうと想定していた。

 それがありえるのだよ、そうラブコメならね。

 キャッチフレーズ的なものを呟き、徐に頬杖を突いた。


「ショー、マスト、ゴーオン」


 舞台の幕は開けた。

 かくして、彼と彼女らの喜劇は開催される。

 せいぜい、頑張れ。背景役として、俺にも出番を分けてくれ。


 ……ところで、なぜ銀髪にツッコミは入らないのだろうか?

 ヒロインの髪色がそれぞれ違うのはお約束かもしれないが、現実ではそんなポピュラーな色じゃないだろうに。皆、当たり前のように受け入れるな。もう少し疑え。

 最後に、言いたいことがある。


 耳っ!

 イヤーッ!

 ねぇ、明らかに尖がってるよね!? 絵に描いたような、美少女エルフだぞえ!

 外人ちゃうねん。異世界人や!


 ワイは、似非関西弁を繰り出す程度には混乱を極めていたんやで。

 ほな、また。

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