あなただからこそ

三鹿ショート

あなただからこそ

 私と彼女は、何もかもが異なっている。

 私が自宅で読書することを好む一方で、彼女は校庭で身体を動かし、汗を流すことを好んでいる。

 私には友人と呼ぶことができる存在は皆無だが、彼女の周囲には常に他者が存在し、いずれも笑顔を浮かべている。

 私が一日の間に一言も喋らない日は間々あるが、彼女が口の動きを止めている場面を見たことがない。

 いわば、我々は水と油であり、陰と陽である。

 決して気が合わないだろうと考えていたが、その予想に反して、彼女は私に交際を申し込んできた。

 当然ながら、私は夢であることを疑った。

 頬を引っ張り、痛みを感じたところで、今度は悪ふざけかと考え、周囲に人影が無いかどうかを確認したが、無人である。

 ゆえに、彼女が私との恋人関係を望んでいるということは、事実なのだろう。

 このような機会が訪れることなど永遠に無いと思っていたため、私は舞い上がっていたに違いない。

 深く考えることもせず、彼女に頷いていた。


***


 周囲に騒がれると困るということで、我々が交際していることは、内密にするようにと釘を刺された。

 確かに、彼女ほどの人気者に恋人が存在したとなると、その相手のことを知りたいと思うだろう。

 それが私であると知ったとき、素直に信ずる人間は、存在するのだろうか。

 そう考えたとき、私の悪い癖が出た。

 もしかすると、彼女は私と交際していることが恥ずかしいと思っているために、このような約束をさせたのだろうか。

 全てにおいて、私は負の方向に物事を考えてしまうのだ。

 考えようによっては、余計な期待をしないために落胆する機会がほとんど無いということになるが、単純に、私は自分に自信が無いだけだった。

 その心配を伝えると、彼女は笑みを浮かべた。

「あなたが私の恋人に値するほど立派な人間ではないと悪口を吐かれてしまうことを、避けたいだけです」

 彼女が私のことを想ってくれていたということを知り、安堵するかと思いきや、またしても不安になった。

 つまり、彼女は私が否定されるような人間だと認識しているというわけではないか。

 そうなれば、何故彼女は、私と交際すると決めたのだろうか。

「あなたと恋人になりたいのです」

 彼女は、そのように告白した。

 だが、私に好意を抱いていると明言したわけではなかった。

 彼女の真意が、まるで不明だった。

 ゆえに、私は不安に付きまとわれながら、日々を送る羽目になってしまったのである。


***


 驚くべきことに、彼女との交際は、学生という身分を失った今でも続いている。

 彼女は変わらぬ態度で接してくれているが、その格差は広がる一方だった。

 私が低賃金で働いている中で、彼女は誰もが耳にしたことがあるような企業で忙殺されていた。

 そのような現実は想像していたため、特段の動揺は無い。

 だからこそ、私は彼女の負担を少しでも減らすべく、家事を担当することにしていた。

 同じことを黙々とこなすことは得意だったため、彼女は家のことを気にすることなく、仕事に集中することができるようになっていた。

 主夫として家庭を支えることも悪くは無いと、珍しく自分に自信を持った。


***


 仕事の付き合いである食事会から帰宅した彼女は、今までに見たことがないほどに酔っていた。

 顔は赤く、足下もおぼつかず、何を言っているのかまるで分からない。

 一つだけ確かなことは、機嫌が悪いということだった。

 水を手渡すと、それを払いのけ、私を睨み付けながら、

「不安に押し潰されることなく、呑気に生活が出来る人間は気楽で良いですね」

 床にこぼれた水を拭こうとした手を止めてしまった。

 ゆっくりと彼女に向き直ると、彼女は口元を歪めながら、

「しかし、あなたのような底辺の人間を見ていると、気が引き締まるのです。このようになっては終わりだと、やる気が戻るのです。あなただからこそ、私は恋人に選んだのですよ」

 酔客の言葉など、額面通りに受け取る必要はない。

 だが、幾ら酔っていたとしても、彼女から発せられたという事実が、私に衝撃を与えた。

 私は立ち上がると、床に寝転がっている彼女を放置し、自宅を飛び出した。

 全速力で走ったことが無いため、正しく走っているかどうかは不明である。

 しかし、私は足を止めなかった。


***


 一日中、公園の長椅子に寝転んで空を眺めていた。

 涙は涸れることなく、流れ続けている。

 思うことといえば、彼女と過ごした日々だった。

 彼女のような人気者が私を選んだということは信じられなかったが、最近になってようやくその事実を受け入れることが出来ると思った矢先、彼女から真実を伝えられてしまった。

 元々、私は彼女が告げたような人間だと自覚していたはずだが、改めてそのような暴言を吐かれると、強い衝撃を受けてしまった。

 それほどまでに、私は彼女のことを信じ、愛していたのだろう。

 だが、彼女の口から真実を聞かされた今、私は彼女の顔を見ることすら嫌になった。

 同時に、これからどのように生きるべきか、全く想像することができなかった。

 私の人生において、彼女という存在は、必要不可欠と化していたのだ。

 しかし、それが無くなってしまったために、私は道に迷ってしまった。

 そこで、私は公園の出入り口を見つめる。

 数秒で彼女が姿を現せば、彼女と話し合い、今後のことを考えようと思った。

 だが、彼女が現われなければ、私は全てを諦めることにした。

 結果、彼女は現われなかった。

 おそらく、自分が私に何を言ったのか憶えておらず、私が外出をしているとだけ考えているに違いない。

 ゆえに、私が二度と帰ってこないと知ったとき、その理由が己にあるとは、想像もしないだろう。

 私は塵箱に入っていた空き缶を加工し、簡単な刃物を作り出した。

 それを喉に当てながら、彼女を想った。

 彼女の思考が信じられないようなものだったとはいえ、私は自身が人生で経験することはないと思っていた時間を過ごすことができたのだ。

 それを与えてくれたことについては、感謝しなければならないだろう。

 心の中で彼女に感謝の言葉を吐きながら、私は刃物を握った手に力を込めた。

 彼女の叫び声が聞こえたような気がするが、空耳だろう。

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あなただからこそ 三鹿ショート @mijikashort

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