第35話 才巨 糸色

 岩座守鷹彦は自分で歩けるほどに体調が回復したようだが、それでもまだ眼球は人のそれではなく、顔色も悪い。意思の疎通も問題ないように見えるけれど、どこか息苦しそうだ。


「そんな状態で、戦えるとは思えねーけど?」


「大丈夫ッスよ。少しずつではありますが、七楽さんのおかげで自分を取り戻せそうですから」


 自分を取り戻す? それはどういう意味だ?

 真っ白になった髪と、ぐるぐると奇妙な魔方陣が泳いでいるような眼球が元に戻るということか?


「元には戻りませんよ。幽志朗さんも言ったように、俺は人間らしさを捨ててしまった。ここにあるのは、“岩座守鷹彦だったモノ”。人間のフリをしている機械と言えばいいッスかね」


「厨二病要素フルスロットルだが、お前はいたって真面目だよな? 頭のネジが吹っ飛んだからおかしなことを言っているわけじゃないよな?」


 バッドコンディションである今の岩座守にかけるべき言葉ではないだろう、と言いたげに幽志朗がこっちを見た。


「さぁ。正直わかりません。でもまぁ、あれッス。森羅万象ありとあらゆる物を知覚し、認識できるようになった人間が、はたして今までどおりの人間でいられるのかというわけです」


「常人なら耐えられない。だから身体が独自の変化を遂げた……と?」


 キャンバスに向かったまま、幽志朗が呟く。


「おっしゃるとおり。つまりは精神超越に似た状態が今の俺にも起きているわけです」


「精神超越が、お前にも……」


「まぁぶっちゃけると、魔眼が発現していた時点で、つまりは生まれたときから既に、俺の精神超越は始まっていたんス。ゆるやかにそれが進行していき、今回悪化したというだけで」


「境界の魔眼に、対応するために」


「元々、精神超越を頻発していた一族ではあったんです。だから最初っから既に普通の人間とはズレていた。超常現象、第六感的なズレを抱えたまま、子を成し、そうして受け継いできた」


「かくせいいでん……」


 また幽志朗が呟いた。


「隔世遺伝?」


「師匠が言ってましたね。世を隔てて遺伝する隔世遺伝ではなく、その血を受け継ぎ、己を悟り、迷いからさめるという意味で覚醒遺伝と」


 これまたかっこつけてるッスけどね。と、岩座守は苦笑した。


「それが更に悪化すればどうなる? 岩座守は――にっ、人間らしさを削りながら、あの男に復讐するってのか?」


「雲雀朧を止めなければ、たった一人の人間のために多くの犠牲が出る。結果的に俺は復讐を成すかもしれない。けれど、何もしなければ詰みッス」


「その口ぶり、君は雲雀朧の目的を知っているね」


 幽志朗はやっと描くのをやめて、そう言った。


「気になるッスか。でも幽志朗さんがそう訊いてくるってことは、やっぱり俺の思考は読めなくなっているんスね」


「ああ、そのとおりだ。過度の精神超越を引き起こせば、僕の力でも心は読めなくなる。“読心能力を防ぐ”読心能力が今の君にはあるのだろう」


「意図的に心が読まれるのを防いでるってわけじゃあないッスよ。他にも大量の情報のフィードバックを受け続けているせいで無意識に遮断してしまっているようです」


「なんのこっちゃわからん」


「七楽さんは理解できるところだけ咀嚼してくれればいいッス」


「なんか癪だわ――って思ったけど、いつものことだよな。こればっかりは」


「で、雲雀朧はなんのために境界の魔眼を三人分も欲している?」


「それが、今の自分にはこれっぽっちもわからないんスよね」


「なんじゃそりゃ。でも『今の』ってのはどういう意味だ?」


「さっきまでは、眠っているときはハッキリと理解していたんス。でも、俺が俺で在るために雲雀朧の事情は完全に消し去られてしまった」


 首を傾げる。


「正確に言うと、岩座守鷹彦はこうでなければダメだ。という七楽さんの意思でシャットアウトされたんス」


 首の角度が更に曲がった。


「…………待て。話が脱線するけれど、それじゃあ七楽くんの力は、君の境界の魔眼の力に勝ると⁉」


 首がへし折れそうだ。わからん。二人の会話にまるっきりついて行けない。いや、そりゃあざっくりとは理解しているさ。でも、もっと根本的な部分に理解が及ばない。

 幽志朗の驚き焦ったような問いに岩座守は頷いた。


「七楽さんの力は『変化を拒絶すること』に、極めて特化している。それは超常現象だけにデザインされているものだと思っていました。けど実際は違う。もっと根源的なもの。認識を視ることにおいては万能に近いこの魔眼さえも上回る、認識を拒絶する力」


「何故、七楽くんにそんな力が――でも、僕には彼の心が見える。矛盾していないかい?」


「師匠がどこまで気づいていたのか、定かではありませんが、もしかしたらこういった状況を読んで、七楽さんを弟子に取ったのかも。幽志朗さんが、七楽さんの心を読める理由は簡単。単に拒絶されていないからッスよ。害あるものだと認識されていない」


「え? 今俺のこと褒めてくれてんの?」


「そうッスよ」


「さっきまで岩座守の話だったろ? あれはもう終わったのか?」


「岩座守くん、これは……」


「いや、これはただの性格ッス。幽志朗さん考えすぎッスよ」


「今度は馬鹿にしてるよな、俺のこと」


「……とにかく、七楽さんは役に立たないようで役に立つ。俺が暴走状態にある魔眼を抑え込むには、七楽さんのそばにいるのが一番手っ取り早いんス」


「ほーん……」


「つまり、ある程度魔眼がパワーダウンしている今の俺と、大抵の超常は無効化してしまえる七楽さんのバディであれば、雲雀朧にも対応できるってわけです」


「巴さんが負けたんだ。それは信じがたいな」


「……師匠は俺のせいで死にました。俺が足を引っ張ったから今こうなってしまった。俺の師匠が弱かったんじゃない。弟子である俺が弱かったんです」


「今度はそうならないという、確信があるのかい?」


「肯定はできません。でも、ここで動かなければどのみち詰む。それは幽志朗さんも理解しているでしょう?」


 幽志朗はそれを聞いて黙った。


「やるしかない。賭けかもしれない。でも、俺は戦う」


「…………美談だな」


 幽志朗はそう言って笑った。

 

「でも、いいじゃないか。お前にまだ戦う意思が残っているんなら、もう止めない。一緒に戦ってやる。紬希ちゃんを取り返さなきゃいけないしな」


 勝てる根拠はなく、生きて帰ってこられる保証もない。ただ、最後に足掻いてどうなるか。

 だとしても戦う。美談であっても、理屈ではなくとも。

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