第28話 この虚構を拒絶する

 ◆


 岩座守の体の状態は悪いままだ。だって、右腕が欠けている。出血が止まらないから、顔色は真っ青で、呼吸も安定的ではない。ゼー、ヒューという音が不規則に聞こえる。


「おい、岩座守!」


 目を開いてはいるものの、焦点が合っていない。ぼうっと虚無を見つめた状況で、それでもなにかを視ようと魔眼を稼働させていた。

 烏賊のような、蛸のような紋様が、瞳孔のかわりに、眼球の表面で蠢いている。その眼に人間らしさは微塵もない。血色の悪さや、朦朧として応答のない意識が、その気味の悪さに拍車をかけていた。

 そうだ。否定はできない。本当に「気持ちの悪い」状態だ。

 今の岩座守は人間らしさが失われつつある。どちらかと言えば、これまで退治してきた怪異や怪物……カマキリ男のような異質さを纏っている。

 岩座守の意思を尊重せず、ぎょろぎょろと稼働している魔眼は今すぐにでも潰してしまいたい。そんな衝動が心の隅に生じようとしていた。


 そんな不気味さに加え、驚きもあった。

 岩座守との付き合いはそこまで長いわけではないけれど、それでも何度も怪事件を共にした仲だ。仕事をしていて、死にかけたことは、やっぱりある。天河七楽が死にかけたこともあれば、岩座守鷹彦が死にかけたことだって。

 両者平等に死ぬ一歩手前を経験しているはずなのに、岩座守の魔眼が稼働しているのを見たのは今回が初めてだ。

 魔術師がこぞって欲しがるようなものであれば、これまでの怪事件を、一人で一蹴できるほどの力があってもおかしくはない。少なく見積もっても、絶対に役に立つ場面というのはあったはずだ。

 なのに岩座守は俺の前で魔眼を使うことなどなかった。おそらく、たったの一度も。

 その理由はなんだ? 何故、岩座守はこれまで魔眼を使おうとしなかった? あるいは使えなかったのか?

 ふと疑問が湧いてきたけれど、考えるまでもない疑問だろう。

 だってそれは、魔眼を使わざるを得ないほどの強敵か、使えなかった魔眼が使えるようになるほどの、命の危機だったか。

 その二択なのだと、考えるべきなのだろうから。

 これまでも死にかけたことはあった。けれど、最終的にはどうにかなった。車の運転をしていて、ヒヤッとすることがあったのと、実際に事故をするのでは、社会的にも、身体的にも、やはり対処の方法というのは違う。

 今までは「ヒヤッとした」だけで済んだことが今回ひおいては「事故」になった。

 実際、行動を共にしていたはずの師匠がここにいない、亡くなったということが、その危険かを物語っている。


 撤退しか考えるな。報復はその後だ。

 心を落ち着かせろ。今にも興奮してしまいそうな心を制御しろ。

 ここで、俺が余計な真似をすれば、全てが無意味になる……。


 俺は岩座守を抱えてゆっくりと立ち上がる。

 何度も、魔術師から攻撃を受けているが、今のところ、俺の力で無効化することができているようだ。

 どんどん、自分のまわりの地面が崩れていく。ブラックホールがぽつぽつと、何度も発生しては消えている。地面を崩壊させることはできても、俺と岩座守には傷ひとつ与えられない。


「――を――で打ち消しているのか。気味の悪い執念だ」


 男はそんな風に言葉を漏らした。舞きあがる土砂のおかげで全てを聞き取ることはできなかったけど。

 とにかく、今は脱出に集中だ。自分の「拒絶」という力をこの世界そのものに向けて、解釈を広げる。

 ここは偽物の世界。ただの虚構のひとつにすぎない。所詮はただの超常だ。神様じみた天地創造ではないのだ。だから、自分の意識さえ変わってしまえば、抜け出すのは容易いはず。

 息を止め、第六感を研ぎ澄ます。探せ、感じろ。この世界の果てを――その境界を。


「これか」


 掴んだ。この世界が嘘である証拠。それを内心信じきっていない自分を一瞬で黙らせる、些細な違和感。第六感という不確かなもので感じる、不確かな事実。

 俺が一歩、前へ進んだ瞬間に、その世界は溶けるように消えていく。

 じんわりと、穴が生じる。

 空間と空間を繋ぐ道。

 紬希ちゃんがここに来るために作ってくれたような小さな回廊。

 体がどんどんと落ちていく。


「あばよ、クソッタレ」


 俺は最後にそう言い放つ。地形が歪む中、最後に見た魔術師の行動は、獲物を取り逃がしたことに動じることもなく、冷静に拳銃を発砲する様だった。


「それはッ⁉」


 こんな短時間で看破しやがった⁉ 俺の、弱点を⁉ 

 対超常に対してはカウンターとしてある程度の仕事を果たせる。けれど、拳銃はどうあがいたって無理だ。超常でもなんでもない。ただ事象だ。

 弾を跳ね返すことなんてできない。


 死神が突然鎌を振りに来たような、そんな感覚に陥った。実際には、慢心していたからそうなったわけだけど、無事になんとか脱出できそうで、調子に乗っている自分がいた……。


「ひっ!」


 間一髪、弾は自分の頬をかすっていった。 当たった箇所がじんわりと熱くなっていく。

 俺は急いで穴に潜ろうと、体を低くして、なんとか他の弾を回避しながら、この空間から脱出することに成功した。岩座守と共に。

 ただ、問題はそれ以降もあって、どちらと言えばこの後のトラブルの方が肉体的には辛かった。

 紬希ちゃんの元へ帰れるのだろうと、たかをくくっていた。行きがあんなに手際よく移動できたんだ。帰りもきっとそうだと。

 でも違った。最初に俺たちを迎え入れたのはひたすらに冷たくしょっぱいもので、つまりは海だった。

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