第27話 行動開始

「……つまり、岩座守の魔眼を欲して、魔術師が襲撃してきた?」


 突然の来訪から五分とたたず、紬希ちゃんを荷台に乗せて、俺は原付を走らせていた。(もちろん、交通違反である)

 時間は一刻を争う。

 少し落ち着きを取り戻した紬希ちゃんが、『今、たかひこおにーちゃんが危機なんです!』なんて言えば、支度なんてほとんどせずに家を飛び出すに決まっている。


「はい。たかひこおにーちゃんの魔眼はとくにきちょうで、強いものですから、魔術師たちは欲しがるんです」


 幼女を原付の荷台に乗せて移動するだなんて、この時代にやってしまえば即刻免停ものだ。街を走る車には八割がたドラレコが装備されているし、後日お巡りさんがうちのインターホンを押すのはもう間違いがない。

 ただそれでも、自分は原付でにケツすることに躊躇いはなかった。人の命が関わっている。大げさに言うとこの街の命運も。

 幸い、ボロボロのヘルメットが倉庫で眠っていたので片方がノーヘルということはなく、よほど危険な運転をしなければ、事故の心配はないだろう。(だからと言って正当化していい行いではないが)


「岩座守の眼が普通じゃないことは軽く聞いていたが、まさかそこまでの代物だったとは」


 過去、岩座守がどうして魔術師として働くようになったかを訊いたことがあった。彼も元々は普通の家の出身で、魔術師ではなかったと、師匠から聞いたこともあって、原点に興味があったんだ。

 アイツは言いたくなさそうに、やんわりと話題を逸らしたけれど、そのとき、自分の目について触れていたっけ。


『俺、他の人とは見えるモノが違うんス。だから、家族は魔術師じゃないんスけどね。異常が見えると、関わりたくなくとも関わっちまうんス』


 今思えば、あれは作り笑いだった。


「真実と虚構の狭間を視る目……俺にはまるっきりわからない。でも、武力行使に出るほど価値があるってことだよね」


「はい。なんというか、使い方によっては、他人の人生をねじ曲げることだってできるものですから」


 バイクのエンジン音に負けじと紬希ちゃんは声を張り上げる。


「なるほど」


「あ、ここを左!」


「しっかりつかまってててよ」


「はい!」


 虚勢を張っているのは、紬希ちゃんもそうか。

 お父さんが亡くなったのに元気すぎる。燃料はもうないのに、必死に炉に火を入れているような、そんな雰囲気だ。

 螺旋巴が亡くなったをどうして察知できたのか、それが俺にはわからないけれど、訊けるような状況ではない。

 こうして原付を走らせていれば、いずれ岩座守の元へはたどり着くし、そこで真実を知ることもできる。

 今はまだそのときじゃない。紬希ちゃんにこれ以上無理をさせてはいけない。

 下っ端の魔術師は下っ端らしく、自分にできること遂行しよう。


 ◆


 咄嗟に視界に入った異常。

 突如として体感温度が上がり、生ぬるい風が前方から吹いている。

 思わずフルブレーキをかけて、タイヤを滑らせながら原付を停止させた。


「いたっ」


 後ろで紬希ちゃんが背中に衝突して悲鳴を上げていたが、そちらに反応していられるほどの余裕はない。

 見知った車が黒焦げになって、ドロドロに溶けて、道路脇に潰れている。

 いつも俺たちが仕事で使っているセダンの車だ。元の形を想起できないほど、歪んでてはっきりそう判断することはできないけど。

 まだ小さく火の手が上がっているが、野次馬は誰一人としていない。どころか、警察や消防といった人たちが作業を行った痕跡すらない。

 この場所自体がおかしくなっている。

 人よけの結界……だろうか。


「これも境界の魔眼が引き起こした、一時的な空間の不具合ですね」


 いつの間にか原付から降りてヘルメットを外した紬希ちゃんは、冷静にそう言った。さっきよりも、口調が大人びているのは気のせいだろうか。


「空間の不具合?」


「はい。私と七楽おにーちゃんのような、魔術師でなければ侵入できない異空間に、ここだけがなっています」


「でも、住宅街のド真ん中だよ? 真夜中にそれとなく人避けの結界を張ることはできても、まだ帰宅ラッシュの時間と言ってもいいはずだ。結界でこんなに人が減ることは――」


 人避けの結界というのは便利なものだが、最初っから人が多い場所に結界を張ることはできない。もちろん、人混みの中というのも魔術や超常を隠すには最適解と言えるし、“人混みの中専用”の結界……みたいなものもあるにはあるけれど、限定的な手法だ。

 ただの結界では、都市部で炎上する車を隠し通すことはできない。

 それに、ここは市民が通勤に使う主要道路の一本。国道にも、高速道路にも繋がっていることから、夕方から夜にかけての時間帯に道を遮ればプチパニック。通勤、通学のための道路は結界でどれだけ人の意識から遠ざけても、ルーティンのように利用している市民には意味をなさないはず。

 だから俺は、ここの異様な空気に些細な違和感を感じた。


「ですから、結界ではありません。これは、ほら、紬希はゲームをあんまりしないけど、例えるならバグみたいな? 魔眼を使うことで現実と似た空間が生まれて、そこに這入ってしまったんです。紬希と七楽おにーちゃんは」


「……それって、かなりまずくない? 帰れるの?」


「紬希だって魔術師です。脱出なんてちょちょいのちょいです」


 とはいえ、パパはこれの対処法がわからなくて、撤退の判断ができなかったのでしょう。と顔を俯かせながらこぼした。


「それで、問題はここから。七楽おにーちゃんには、やってもらいたいことがあります」


「任せろ。今のにーちゃんはなんだってするぜ!」


「失敗すれば、たかひこおにーちゃんと一緒に死ぬことになります。もしかすると、七楽おにーちゃんだけが戻ってくることすら……引き返すのなら、今が最後です」


「なにを今更」


「正直、紬希とパパのために、七楽おにーちゃんここまでする必要は、ないのです……だから……」


「あのね、紬希ちゃん。困ったときは大人を頼ればいい。こうやってにーちゃんをこき使えるのも、子供のとき限定だ。だから、今は散々こき使っちゃえだ」


 ここまで来て怯えるような大人になったつもりも、紬希ちゃんの涙を見て、同情できない大人になったつもりもない。

 それに、ここで俺が退いたとして、状況が改善するとは考えられない。どうにかして、誰かが“今”、起点を作らなければ。


「でも……」


「俺はただ、かっこいい大人をりたいだけさ」


 子供を守るのは大人の使命。どんな時代であっても共通する最優先事項だ。


「…………ありがとう………七楽おにーちゃん」


 紬希ちゃん曰く、襲撃された場所自体は大破したセダンが燃えていたあの場で間違いないとのことだったが、魔眼の影響により色々なことがと言っていた。岩座守の姿が見当たらなかったのも、きっとそれが原因なのだろう。

 岩座守はここにいて、ここにいない。もっと深淵の異空間にいる。だから、そこに移動する必要があった。異空間から深い異空間へ。浅瀬から深海へダイブするように。異空間の中を移動する必要が。

 その役割を担うのが、俺だ。

 

 問題はその方法で、素人魔術師には全くその方法とやらが理解できない。

 ので、情けなくも紬希ちゃんに一任した。

 この場所は時間も仕組みも道理が矛盾している状態にある。よって、魔術師にとっては起点を作りやすい。

 バグの説明に引き続き、ゲームを例にすれば、オンラインゲームのハッカーがチートを使えてしまう原理と似ている。脆弱性があれば、そこを突いてチートを押し通せるように、本来使えないような難しい魔術でも「解釈」によっては、矛盾だらけの空間ではあっさりと使用可能になる。紬希ちゃんはこうして状況を逆手にとった。


 空間と空間に裂け目を生じさせ、岩座守のいる場所にまで転移させる魔術。

 ここではあって、ここではない別世界へと通じる穴を作り出した。

 あとは、俺がそこを通って、岩座守を連れて帰ってこればいい。


「行ってきます。紬希ちゃん!」


 恐怖はあったけど、それをできるだけ顔に出さないように笑って、俺は扉の先にある虚無へと身を委ねた。


「大丈夫。七楽おにーちゃんは、あの魔術師に対して、最高に相性がいい」


 ◆


 虚無から抜け出すのに、それほど時間はかからなかった。というか、一秒もなかったと思う。だから、最初は移動に失敗したのではとも思った。

 何故って、岩座守が現在進行形で戦っていた場所もまた、背景でセダンの車が炎上している、さっきと全く同じ場所であるからだ。

 ここで、紬希ちゃんの説明をやっと理解した。


『魔眼を使うことで現実と似た空間が生まれて、(私たちは)そこに這入ってしまったんです』


 岩座守の魔眼は別に一つの異空間を生成したわけじゃない。複数の虚構を、合わせ鏡のようにでっちあげた。

 だから紬希ちゃんに空間と空間を移動するための扉を作ってもらって、移動というアクションを挟む必要があったってわけだ。

 うん、ややこしいことこの上ないし、普段の岩座守であればこんな超常の使い方はしない。

 おそらくだがその魔眼は、暴走状態にあるのだろうか?


 視界が開けたのを確認して、すぐに状況確認に努める。

 見えた。

 岩座守と、魔眼を狙う魔術師……!

 芳しくない。岩座守の右腕、ありゃどう見ても吹き飛んでる。

 しかも、黒衣の魔術師に寄りかかるくらいに意識も朦朧としていた。


「くそッ!」


 何か話している様子だが、聞こえない。

 このままでは数秒ともたず、岩座守は殺される⁉

 いや、ここまで来た。

 なにか方法があるはずだ。

 岩座守を看取って撤退だなんて、そんなオチは認めやしない。


「あ、あ、ああ、あああ‼」


 考えろ、考えろと、声帯だけが先走る。

 そして、


「バカ野郎! 死ぬんじゃねぇ! 岩座守、鷹彦‼」


 咄嗟に、そう口走った。

 ハッとしたように、岩座守の瞳に、生気がわずかに戻った。

 そして、バク転をして男を蹴り上げると、そのままの勢いで敵魔術師の攻撃範囲から離れるように惰性で体を滑らせて、一気に間合いを引き離す。

 俺は敵魔術師に警戒しながらも、岩座守の側に駆け寄った。


「七楽……さん、どうして」


「この前貸したギャルゲーの感想、まだ聞いてねーし」


 咄嗟に湧いてきたコメントだった。


「アホくせぇ……」


 岩座守の眼はたしかにおかしくなっている。それは目視でも確認できる変化だった。だが、そんなものに驚いている暇はない。意識を失いつつある岩座守を抱えて、今度は撤退だ。あんな男、相手にする必要はない。


「今更応援か。いったいなにができる」

 

 黒服の魔術師はそう言った。


「俺にできることといっちゃあ、なにもない」


 撤退の方法は紬希ちゃんから事前に説明を受けている。

 天河七楽をそれだけで異常者に仕立て上げた、最高で最っ低な体質。科学物質のみならず、対超常にも強い効果のある魔術でも異能でもないなにか。それをただ、応用し、利用すればいい。


「だから――――俺はただ、なにもかもを、拒絶するだけだ」


 ◆


「あとは、七楽おにーちゃんがうまくにげてくれれば……」


 この空間はおかしな状態になっている。

 七楽おにーちゃんを移動させるために扉を作ったけれど、これ以上の無茶は認められないとでも言う風に消えてしまった。


「あれれ~? ダメじゃない。小学生がこんな時間に、こんな場所で、一人なんて」


 気づけなかった。背後からなにか、別の、敵意を持った人が。


「私の愛しきあの人はどこ? ねぇ、ねぇ、ねぇ‼ 無視しないでよ。私たち、仲良くしようよ~」


「……‼ もしかして、花鳥、琥珀さん……です……か?」


「正解正解だーいせーいかい! ねぇ、私のダーリンは?」


 おかしくなっている。きっと、パパを殺した魔術師になにかされた。

 本当は戦いたくはないけど……。


「小学生がぁ~~戦うなんて、おかしな発想ぉ~? あはは! おねぇちゃんのお願いきいてくれたら、それでいいからさぁ~!」


 状況は、どんどん、悪くなっているのかな。

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