虚堂懸鏡編
第26話 憎しみ、濫觴
◆
さて、やっとの出番だ
一応、主人公のはずなんだけれど、
長々と岩座守が戦っている間、一体何をしていたのか。今からそれをお話ししようと思う。
◆
異変に気がつけたのは、師匠の娘さんからのアクションがあってからのことだ。
情けないことに、それまでの俺は特に違和感なく、師匠や岩座守が必死に戦っていることなんて一切知らず、貯めていた今季のアニメのイッキ見を行っていた。
本当に笑えない話だ。言い訳をするならば、知る余地がなかったということ。
魔術師であっても、俺は末端の末端。ほぼ素人同然だ。
自分はあくまでも魔術師見習いであり、魔術師っぽい一般人と言った方が的を射ている。
ただ、超常という存在を知り、魔術はてんで使えないが、自分の特異体質を利用してなんとか怪異退治なりをやっている人間が、数キロ離れた場所や、結界の内側で戦闘が起こっていることに気づけるはずがなく。
超常を知ったのもここ数年での出来事だ。
実力も経験も、
師匠の元で働き初めて半年といった頃、一緒に遊んだことがある。両者が互いに鬼をやっている、おにごっこのようなもの。どちらかが相手の頭に触れれば負け、という単純で、簡単で、二十代男性にはどうしても面白味に欠ける遊びをした。
結果から言おう。この天河七楽の大敗だった。
絶句するほどあっという間に勝敗は決した。師匠の「よーい、どん」のかけ声を聞いたその瞬間に、俺は紬希ちゃんに頭上を取られた。どころか、自分は紬希ちゃんを肩車していたのだ。
「それが超常の理不尽さだ、テンカワ。言いたいことはわかるな? 実戦であれば死んでいたぞ」
しれっと、師匠はそんなことを言った。
ほんわかとしていた心が一変、杭を打たれたような気分だった。
過去、岩座守鷹彦も同じことをされ、為す術もなく負けたという。
魔術師としての素養は俺たちとは比較にならず、ぶっちぎりで紬希ちゃんなのだろう。
これを改めて実感したのが、今回のお話。紬希ちゃんが伝えてくれなければ、何も知らないまま、明日もあの事務所へと出勤していただろう。
時刻は十九時頃。そろそろ晩ご飯の用意かなと狭いキッチンで作業をしていたときに当家の扉は叩かれた。
どん、どんどんどんどん、どん。
アルミ製の薄っぺらい扉を叩く音がして、思わず体が萎縮してしまったところで、声が聞こえた。
「おひさしぶりです! そっ、そしてじけんです! だいしきゅう! だいしきゅう! だいじなことなので二回言いました!」
「紬希ちゃん? 習い事はどうした?」
一瞬カタギではない何者かが襲撃に来たのかと思ったが、可愛い来客だった。
ただ、やけに切羽詰まっている。焦りに焦った声。初めて聴く声だった。
扉を開けると、そのままの勢いで俺に抱きついてくる。
その顔は涙で濡れていて、全身が汗だくだ。悪い夢でも見たように、ここまでひたすらに全力疾走してきたように。
「どどどどっ、どうした⁉」
安堵したようにわんわんと泣き始める。
体に触れて、どれくらいの緊急性なのか理解した。すごい汗だ。まるでゲリラ豪雨にでも遭ったみたいに、服を絞れば水が出てきそうなくらいに、濡れている。シャツは皮膚にべったりくっついているし、下着なんかが透けて見えてしまいそうだ。
決して他意はない。ただ、子供ながらに常日頃から身だしなみには気をつけている子が、こんな状態で人前に出てきて、俺のような血縁者でもない人を頼るという状況が、緊急性を物語っていた。
ここから先、この子の口から何が言い放たれるのか。
聴覚が過敏になって、少しでも情報を集めようとしている。
リラックスしていた心拍も掴まれたみたいに鼓動を速めた。
正直、このまま紬希ちゃんが泣きじゃくったままであってほしいとも思ってしまった。うっすらと見えかけてきたからだ。この子が俺を頼る理由。その輪郭が。
でも、まるで心を読まれたみたいに、紬希ちゃんは精一杯呼吸を整えて、最悪の事態を口にする。
「パパが、パパが、パパが……しんじゃった…………‼」
言い切って、言い切ったから、慟哭した。
全身の血液が冷えていく感覚。
身体がこわばって、するりと地べたに落ちると、濁流のようにあふれてきた悲しみに、自分自身も怖くなって、こちらこそが、紬希ちゃんにしがみつくように、強く抱きしめた。
どうする? どうすればいい? 俺はこんなとき、なにをしていた?
大切な人が亡くなったとき、俺はどんな風に――――!
岩座守の方に行かなかったのはどうしてだ?
紬希ちゃんを迎えに行くときに、襲撃された? じゃあ、なんだ? あの二人を相手にして勝てるような人間?
幽志朗は? 今から連絡して、なにか情報を集められるか? アイツだって超常には関与してる。魔術師でなくとも、対応はできるはず……いや、拠点を潰されたと仮定すれば、これは悪手か?
俺が早めに帰ったから、俺だけが生き残ったのか?
そういう、状況なのか?
『ふん、珍しい。それではまるで――』
稲妻のように直感が囁いた。
「は?」
思わず、直感にそう応じる。
帰り際にぶつかった、あの男。身なりはサラリーマンのそれだったけどわずかな違和感があった。こんな状況に陥らなければ疑わないような、本当に小さな違和感。
無意識的に、自分の中に生じた拒絶反応。
何故、知っていた?
何故、俺の■■に、知った風な顔をしていた?
そうだ。
それだけで合点がいく。
アイツだ。師匠を殺したのは、あの男だ。
「紬希ちゃん、今できることをしよう。詳しく話せる?」
その言葉を発するのに、いったいどれだけの時間を要したのだろう。
ただ、ドス黒い感情が自分を動かそうと必死に蠢いていた。
このままじゃ終わらせない。
終わらせて、たまるか。
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