第23話 回想同調Ⅲ
瓦礫の中に母親がいる。おそらくは、ただでさえ老朽化していた建物が空襲で限界を迎え、時間差で崩れたのだろう。
頭に大きな衝撃を受けて長い間意識を失っていたのなら取り残された可能性がある。/あるいは、下敷きになった人間の救助をする余裕がなかったから放置されたのだろう。
戦争が続けば続くほど、ここの住民は街を離れていく。
仮にこうしてSOSを発しても、人がいなければ気づかれることもない。
弱々しい生命の灯火が、そこでどれだけの期間耐えてきたのかを物語っている。
いったい何日耐えた?
来るかもわからない救助を信じ、刻一刻と迫る死の恐怖にどれだけ耐えた?
考えたくもない。
「お腹に赤ちゃんがいる……」
「どうして、わかるの?」
熊野部はそう言いながら途中ではっとした。
過去、彼女の前で使った
「どこにいる?」
二人して呼吸が荒れている。
「こっちです!」
どこまでも戦争で、どこまでも殺し合って、人と人の間に生まれた軋轢は子供に引き継がれていく。呪いだ。復讐という言葉がどこまでも積層している。
終わりがない。
救いがない。
私たちが助けた人々も、やがては憎しみ、妬み、暴力という単純な仕組みに依存する。
既にそんな状況を何度も経験した。
意味がないのかもしれない。
助からないのかもしれない。
自分が辛いだけかもしれない。
それでも、それでも。
“それでも?”
…………自分で自分の心臓を掴んでいるかのように、胸が締め付けられる。
それは、今の私を嗤うようにして、フラッシュバックを始めた。
『あなたたちは、我々の味方ではないのですね。彼らは私の両親を殺した連中だ。それでも助けると言うのですね。困っていれば、困ってさえいれば、誰でも助ける』
『は。笑えるぜ。こんなのは慈善活動でもなんでもない! 生き残った人間を奮起させて、最前線に送り出しているだけだ! 戦えない人間であれば助ける? 嘘を言えよ。戦争がなきゃ成り立たない商売だな』
『負の連鎖はどこかで終わらせないといけない。それってさ、一方がさっぱり消えるまで皆殺しするってことだと思わない? お兄さん』
関係ない。
今は関係ない。
自分自身が、自分の足を止めようとしている。
本能的にか、ただただ地獄を見つめすぎたのか。
心と体が同期しない。
かすかに、歩みが遅くなった。
迷い……いや、単に疲れてしまっただけか。
昔から体調不良などとは縁のない人間だったはずなのに。こんなのは初めてで、体が動かせないことに動揺してしまっている自分がいる。
でも、
「やってみなくちゃわからない! 助けなきゃ!」
熊野部は、熊野部自身を鼓舞するように叫んだ。そして、思い切り私の背中を叩いた。頭がハイになっていたための行動だろう。けれど、私の恐れはこれで拭われた。
◆
助けを求めていた女性は瓦礫と瓦礫の間にできた狭い空洞の中にいた。
胴体や頭に外傷はなかったが、足が瓦礫に挟まって身動きのとれる状況ではなかった。
それだけではない。長時間にわたり足が圧迫されていたせいで両足の壊死が始まっていた。
熊野部が瓦礫をおしのけて、隙間から女性に声をかけているが目線が合わない。
ただずっと助けてと言って、自分ではなく赤子の心配をしていた。
見るに堪えない。
「救護隊のような連中はほとんど別の街区にいる……今から呼んでも彼女の体が保たない……」
事前に聞いた話では、住民のほとんどが避難完了ということだった。
だから、我々がここを訪れた当初の目的も単なる状況確認でしかない。
街の損壊状況はどうだとか、電気ガスなどのインフラの設備はどうなっているかとか。あくまでも、平和維持機関の先遣隊でしかなく、水、食糧、薬品などの救護物資は早くても明日の夜到着だった。
多少の医療知識はあれど、医者ではなく、瓦礫の撤去に使えるような道具も存在しない。
今の我々にできることといえば、緩やかに死を迎える妊婦をただ看取るだけだった。
熊野部が無線を使って別動体と連絡を取っているが
「五時間はかかるって。それも、大した道具はないみたい」
太陽も沈みかけている。ここから気温はどんどん下がり、妊婦の体力を更に奪うことだろう。
夜を過ごすのはこれが初めてじゃないはずだ。足の痛みに耐え何日もそこにいたはずだ。だから、もう限界なんだ。
打つ手がない。妊婦の顔色は、どんどん悪くなっていく。
でも、熊野部は考えることを放棄しなかった。
「食糧……このあたりのものは全部持っていかれたよね。あ、毛布とかは?」
そう言って、半壊した建物へ恐れず入っていく熊野部。ここは任せたと言い放って、建物の影へと消えていった。
風音と、ゼー、ヒューという息遣いだけが聞こえる。
ふと、瓦礫の隙間から目があった。
今までの朦朧とした
「私は、もういい……から、おね、がいッ。この子だけは、この子だけは、なんと、しても、私たちの希望っだから……」
「…………」
否定も、肯定も、安心してもらえるような言い訳すらも私は言わなかった。
「貴方には、その、力があるの、でしょ」
その言葉に、思わず目を見開いた。
「ああ、やっぱりそう。貴方なら、この子だけを救えるのね」
「何を言って…………どうして…………」
「天啓……って言ったら、ガはっ……ガはッ……」
口からは吐瀉物が漏れている。
もう、時間は――――。
「おねが……い‼ その力が、本当にあるのなら、私の子だけでも、救って……!」
彼女がどうして私を、魔術師だと看破したのか。それは今でも分からない。
生と死の狭間を彷徨っているが故の妄言だったのかもしれない。
本当に神様とやらがお告げをくれたのかもしれない。
でも、彼女の命の灯火は終わりを迎える直前に、激しく燃え上がった。
そして、すさまじい眼力に圧倒されるように、私もまた覚悟を決めた。
どの道両方が助かる選択肢はなく、母が死ねばお腹の子も死ぬ。
私が中途半端に魔術への道を捨てたせいで、治療系の魔術の知識はない。
だが、雲雀の魔術はアプローチが違うだけで、人体に多大なる影響を与える魔術だ。
母親を犠牲にして、子供だけを助けるような魔術であれば、心得ていた。
そして、その覚悟が彼女にはある。
「貴女には、今からこれ以上ない苦しみが訪れる。それでも、子供のためにと耐えることができますか」
彼女は小さく頷いた。
私も、覚悟をくくるしかない。
自分にできることを、やるだけだ。
◆
それからのことはあまり覚えていない。ただ、命を救うことに必死だったからだ。周囲の状況とか、熊野部はどこで何をしているのかとか、今は何時で朝なのか昼なのかもわからないくらい、神経を研ぎ澄ましていた。
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