第24話 回想同調Ⅳ

 ◇


「過去を、見せられている……俺はこんな余計なものを観測して……」


 敵意はある。殺意はある。

 だが、こうして魔眼が稼働するたびに自分からその意欲が削がれている感覚。

 雲雀朧の精神干渉なんかじゃない。

 全部、この魔眼がやっていることだ。

 まるで、自分が当事者になった気分だ。

 自分自身が最も嫌悪する存在に、染まっていっている。


 ◇


 “名前はね、クレイン……。”


 誰かの声が頭痛のように響いた。

 ずっと、深く眠っていたようだ。

 私はこうして、いったいどれだけの時間を……。


「クレ、イン……」


「クー……なんて?」


「……」


 ずんと重たく感じる体をゆっくりと起き上がらせると、熊野部が側の椅子に座っていた。


「熊野部……さん。ここは?」


「病院。もう大騒ぎだったよ。今から説明すると、一日……いや、一週間は欲しいかな」


「赤ん坊はどうなりましたか」


「助かったよ」


「そう、ですか…………貴方には全てをお話しするつもりです。私のせいで、無関係ではいられなくなった」


「そっか。よくわからないけど、いいよ。どこまでも付き合ってあげよう。奇跡を二度も見せられたんだからね」


 彼女は、私を元気づけようと健気に笑ってくれた。


 ◆


 私は一週間ほど、眠っていたようだ。蓄積していた疲労が限界を迎えたというのもあるが、やはり一番の要因は魔術にあるだろう。

 今までにも何度か使ってきた肉体強化の魔術とはスケールの違う魔術を使った。魔術師の子であったとはいえ、相応に訓練を積んでいたわけではない。超常を嫌悪し、普遍であろうとした私が使うそれは、ほとんどがりゅうであり、仕組みとしても単純なものが多かった。

 ただそれでも、使カテゴリの魔術があった。両親の影響。魔術師として生きるつもりはなくとも、その家に生まれた以上は会得しておきなさいというような、特殊な魔術。

 雲雀という一族が数世紀に渡り研究し、世代交代を繰り返しながら洗練させていった神秘。


 精神超越メンタルアッパー


 生まれる前から設定されている、人それぞれの生き方、在り方を増幅させ、その人間の可能性を拡張するというもの。

 私はこれを使って、赤ん坊の命を救い出した。

 母親とその子供、両方に精神超越を引き起こし、消えかけのいのちを化学反応が起こったような灼熱状態にまで激化させ、あふれるエネルギー全てを赤ん坊に還元することで、危篤状態から脱した。

 死者の蘇生。それに近しいものを行った。

 当然リスクはあったし、母体へのダメージが尋常ではない。


 だから、その最期は、決して安らかではなかった。


 魔力というものは誰にでも備わっている。ただ、その力の使い方を知らないだけだというのが、魔術師と非魔術師の差だ。

 ただ、これまで使ってこなかった身体の機能を、(それももう命は助からないような状況で)に刺激すれば、拒絶反応という、比喩の仕様がない苦しみが全身から生じる。

 今回の場合、拒絶反応は赤子にも生じていたはずだが、熊野部の説明を聞いているとあまりにも健康すぎる。

 きっと、母親が赤子の分の拒絶反応も肩代わりしたのだろう。

 胎内では臍帯さいたいで一つに繋がっている状態だ。そういったことが可能でも不思議じゃない。


 たしかに、一人の命は救えた。

 けれど、母親の最期というのは今も眼球に焼きついている。

 もっとこうすればよかった、ああすればよかった。それ以前に魔術を使ってまで助ける必要なんてなかったのではないか。

 前を見ようと気持ちを切り替えようとしても、どうしてもその後悔が消え去らない。


 ◆


 熊野部には、全てを明かした。

 最初のビル倒壊から救っただけであれば、ごまかすことだった可能だったが、目の前で医療行為とは到底かけ離れた方法で赤ん坊を母親から摘出した光景を全て目撃されていたとなれば、隠し通せはしない。

 私が一つの命を救うことに全神経を研ぎ澄ましている最中、彼女は誰かに助けを呼ぶわけでもなく、ただ私の奇妙な行動に言葉を失っていたらしい。 

 赤ん坊を救い出すその瞬間まで、私は熊野部の存在などすっかりと忘れてしまっていたし、数時間もずっと隣で息を殺して見ていたことにも気がつけなかった。


「貴方の使うそれが、どういうものかは、まだはっきりとはわからない」


 私の告白に対し、熊野部は言葉を慎重に選ぶように、ゆっくりと口にした。

 人を救う超常。それは素晴らしいものではないか。熊野部はそう肯定し、たしかに羨望の目を私に向けていた。

 ただ、それでもまだ「魔術」というものを信じ切っていないようでもあったし、それを使う私をうっすらと嫌悪しているようにも見えた。

 本当は人間ではないのではないか? そんな風な顔をしていた。

 憧れと嫌悪、その狭間に当時の彼女はいたのだと思う。


 人間として、それは当然の反応である。本能的なものだ。

 わかってはいた。

 わかってはいたが、超常を使った対価として、同じ人間として見られなくなるような、異端として扱われたような、そんな瞬間に胸を締め付けられた。

 なんであれ、強大な力には対価が伴い、人はその力から目を逸らすことはできない。好感であれ、拒絶であれ、超常は人の思考を鈍化させるのだと。

 それを改めて実感した。


 だから、私はここでやめておくべきだった。

 魔術という“ズル”は一度限りでおしまいにしておくべきだった。

 しかし、そこからの私は歯止めが効かなくなったように、魔術を正当化し、ズルを使い続けた。


 クレイン。

 精神超越の魔術で命を救った赤ん坊は、危篤状態から持ち直したとはいえ定期的に私が魔術で身体の状態を調整する必要があった。

 これは、医療行為とはまた違う。

 どんな名医であっても対処のできない「専門外の処置」だ。

 クレインの命を繋ぐと決めた以上、私はこの子を容態を常に観察しておかなければならない。

 私はこの組織から退くことを決めた。


「それなら、私も辞める」


「貴方は、関係ない。これは私の責務だ」


「またそうやってかっこつけて。貴方一人で育てるつもり? お父さんは貴方でいいかもしれないけれど、お母さんは? 独身でしょ、雲雀朧くん」


「……施設を作ります。孤児院です。そうすれば、母親の代わり――そういった問題は解決できるでしょう」


「あー、無理無理。だって朧くん、人相悪いもん。臓器売買のための黒い組織だと思われちゃう」


「なっ……」


「わ、わりと本気でそう思ってるよ……?」


「…………」


「でも、孤児院を作るというのはいいかもしれないね。余計やる気が湧いてきた」


「貴女も参加する前提なのはなぜですか……」


「どのみち最初はほぼワンマン状態だったりするんじゃないの? 人手はあった方がいいでしょう? それに秘密を共有できる仲間というのは、今の貴方に必要だと思うけど」


「それは――――」


 彼女の言う通りだった。クレインの身体に魔術的な調整を施すのであれば、事情を知っている仲間が不可欠。

 残念ながら、私には「魔術師」のコネクションが一切存在しない。

 まず、魔術師がこの時代に何人いるのか、その大まかな数値も知り得ない。

 もしかすると、私がこの地球上で最後の魔術師なのではないかと、そう思い込んでしまうほどには、無知であった。 

 どちらにせよ理解者は必要で、二度も魔術師としての私を目撃した熊野部に助力を乞うのは間違いなく正解だった。

 であるにも関わらず、私がこれに否定的であったのは、妙なプライドがあったのと、純粋にこれ以上彼女を巻き込みたくなかったから。

 超常が人の在り方を歪めるのはよく理解していたつもりだったから。


「私ね、貴方の力は希望なのだと思う。人を救う希望。神様みたいだって言えば、ちょっと大それた話になるけど、それくらい貴方には力がある。多くの命を救えるだけの力が。私はね、朧くん。その希望の光を側で見ていたい。それがどんなに苦しい道のりであっても、その過程でたくさんの人たちが笑っていられるのなら…………貴方がたくさんの人たちの希望になるのなら、私はあなたにとっての希望になりたいな」


 そうやって、熊野部夏樹は私の両手にそっと触れた。

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