第11話 いさりがみ・ばーんふぁいあ

「獲物ってなんですか」


 頭を上げて前席を見る。

 けれど、答えは返ってこなかった。いや、それ以前に二人の姿がない。


「……は?」


 パチンと途端に暗くなる世界。

 車もいつの間にか速度を落としていて――いや、それどころか完全に停止していた。

 窓を見る。

 なにもない。なにもかもが黒く塗りつぶされている。

 頼りになるのは月の光だけで、まだ活気があるはずの街並みは自分一人を除いて全員が死んでしまったみたいに沈黙していた。

 不気味すぎる。


「だっ、だれか!」


 迷子の子供のように思わずそう声を出す。

 反応はない。


「はは……」


 乾いた声で、自分は笑っていた。

 螺旋らせんともえ。あの男の言葉も信用ならなかったのではないか。 だからこんなことになっているのではないか。自分は最初っから、あの閉鎖空間で大人しくしておくべきだったんだ。


「もうッ! ああ、なんなんだよ‼ いったいさぁ‼」

 

 やつあたり。思いっきり、運転席を足で蹴る。

 何度も、何度でも。壊れろ、壊れてしまえ。

 もう嫌だ。

 こんな非現実を何度体験すればいい。

 おかしくなったのは俺の方なんじゃないか。

 あり得ないことが積み重なり、それらが束になって心臓をじんわりと潰している。

 吐き気。悪寒。頭痛。過呼吸。

 もう既に限界だ。おまけに眼球が灼けるように痛む。おかしなモノをずっと直視しすぎているのかもしれない。

 自分の眼はそういうものだ。魔眼と呼ばれるだけの代物で、それを生まれながらに持っている。 

 でも、でも、こんな経験は初めてだった。


「なんでっつ……俺が、なにをしたんだよ‼」


 今まではまともに生きていたのに。

 今まではみんなと同じようにできていたのに。

 見てはいけないものは、知らんぷりしていたのに。


「今までの努力は…………」


 ボロボロと涙が出る。

 ぎゅうぎゅうに丸まったティッシュを詰め込まれたように息をするのも苦しくて、そのまま窒息してしまいそうで。あらゆる神経が、電流を過剰に浴びたみたいに皮膚や筋肉を裂こうとしている。


「俺の家族は、そんなひどい連中じゃなかった……なにも、悪いことはしていないだろッ‼」


 そうだ。がんという異常は保有していても、誰それに危害を与える人間ではなかった――――いや、俺がそれを言えるのか。もう既に、俺は――。


「ああ、だからこそ罪なのだよ。その超常を宿して生まれた時点で罪なのだ。人が、人を超える力を持っていてはいけない」


 男の声がした。

 はっとして声の方向へと顔を向ける。

 後部座席左側。つまりは自分の隣に座るようにして何者かは現出した。


「……あ、アンタは」


 知っている。一度だけだったが見たことがある男だ。

 頭の中の歯車が最後の一片を得て回転を始める。


「境界の魔眼……君の持つ瞳は極めて危険な代物だ」


 かちん。


「そんな可能性、我々には不必要なのだよ」


 かちん、かちん。


「さぁ、岩座守いさりがみ鷹彦たかひこ。その瞳を大人しく譲渡するというのなら、命の保証はしてやろう」


 機械的な顔で微笑む男。 


「ああ」


 知ってる。


「ああ、そうか」


 知ってるとも。


「カウンセラーだったアンタが全ての元凶だった……でいいんだろ」


 カウンセラー。

 大学の紹介で兄が頼ることとなった人。回復することのない幻覚にあれやこれやとアドバイスをし、結果的に兄は依存。両親の言葉を聞こうともせず、より鬱屈に、より内向的に、自分の心を閉じ込めた。

 今まで、カウンセラーが原因で兄がそうなったとは思ってもいなかった。 

 カウンセラーも人間で、ひとの心を解き明かすことはできない。

 カウンセラーに頼って、症状が悪化したのではなく、兄は。ただそれだけのことだと。

 治らなかった。お前はカウンセラー失格だ。そんな言葉を投げるのは的外れがすぎる。


 けれど、ここに来て全てが覆った。

 この男が、カウンセラーのフリをして兄に近づこうと画策していたのなら?

 あの、螺旋巴という男のように実態は超常を扱う専門家なら? 


 さっきまでのパニックはすーっとなりを潜め、頭がクリアになる。

 それは単に落ち着きを取り戻したわけではない。

 この男をどうやって殺そうか、ただそれだけを考えていただけだから。


「そうだ。私が殺した。全て平等に」


 用意された原稿を読んだだけの、スマホのバーチャルアシスタントAIのように、感情のない言葉だった。

 

「そうか――――――――おまえかぁぁぁぁぁぁああ‼」


 叫びに呼応して車は吹き飛ぶ。 

 どんな原理か、自分でもわからない。けれど、いつの間にか体は外に飛び出していた。 

 瞳はただ、一点だけを見つめている。どんな隙も逃がさない。そんな風に。


「残念だ。人殺しというのは、あまり気分が良いものではないのだが」


 鉄塊の爆発に動じることもなく、男は眼前に立っている。

 まるで最初からそんなことはなかったとでも言うように、無傷で。


「どの口が、言うか」


 武器と呼べるものはなく、体術といったすべも知らず。

 己の体躯だけを頼りに、奴を殺す。

 激情はレッドゾーンを振り切って、心はとっくに壊れている。

 今はただ、人を殺すことだけに特化したモノとして、全身の仕組みがスイッチされた。

 怒りも失い、感情の表現も失った。

 あるのはたった一つの目的のみ。

 ギリギリと痛む眼球も、灼けるように熱い神経も、溶けてしまいそうな筋肉も、今はむしろ心地よく感じる。

 そんな風にあれと、脳から全身に有毒で有用な神経伝達物質が過剰に放出された。

 

「…………」


 どこまでも暗い世界。

 ここがどこであるかはわからない。でも街並みには既視感がある。ここは確かに警察署すぐ側の道路だ。ただ、人の気配はおろか街の中心部であるというのに街灯も、建物の光も、ここにはなかった。

 自分の理解が及ばぬ力……おそらくはこの男に引き込まれて、特殊な別世界にでも連れてこられたのであろう。


「……名前は」


「…………」


「名前くらい、あるだろう」


「以前、自己紹介は済ましたはずですが」


 そうして男は冷笑する。


「本当の名を語れと言っている」


 カウンセラーであり、兄の味方であった男ではなく。それそのものが嘘で、家族を殺した男の名を。


「……雲雀ひばりおぼろ。お前のような“なり損ない”を狩る、魔術師だ」

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